Eddie Bo
Eddie Bo として知られる Edwin Joseph Bocage が New Orleans の Algiers* で生まれたのは、1930年の 9月20日のことでした。

* ─ Algiers: New Orleans の、Mississippi 川がメキシコ湾に注ぐ河口の南側(現地では West Bank と称するようですが)に位置する。この「アルジェ」という名前そのものは、おそらくフランス領だった期間の名残(ご存知でしょうが、1830年にフランス軍がアルジェリアを占領するために上陸した「最初の」地点が、同国の首都であった Algiers =アルジェでした。以後、アルジェリアはフランスの海外県として 1962年の独立まで支配されることとなる・・・ )と思われますが、一説ではアルジェリアでの戦闘から帰還した兵士たちが、洋上から New Orleans に接近していく際に、その地区の海からの眺めがアルジェにとてもよく似ていたから、以後、そう呼ばれるようになった、とも言われています。

Eddie Bo の家族はミュージシャンとして知られる数々の名前を輩出していますが、表向き(?)の「昼の」職業としては、船大工だったらしい先祖に始まり、煉瓦職人、大工、石工という数々の建築関係の仕事に就いていたようです。
そのような Day jobs のかたわら、夜ともなると彼のいとこ(ほんとうに「いとこ」の場合もあるが、アメリカ黒人たちの言う cousin は、単に「血縁」がつながっている、という意味でも使われている場合が多いらしいので注意)である Henry**、Charles*** に Peter**** などは「音楽」の世界で重要なプレゼンスを発揮する存在でもありました。

** ─ Henry Clay Bocage は 1894年の 3月に(日付は判りませんでした)Algiers 地区で生まれ、一部の資料では Henry、Charles、Peter の三人が兄弟である、としているケースもありますが、大半は Henry だけが(兄弟のように育ったかもしれないけど)「いとこ」である、としています。
Armand Piron( Armand John "AJ" Piron: ヴァイオリン奏者。1888-1943。1912年には Olympia Orchestraを率いていた。初期の Clarence Williamsのビジネス・パートナー)の Piron's New Orleans Orchestra では、トランペットの Peter Bocage とともにバンジョー奏者として在籍していた。没年不明・・・

*** ─ Charles Leopard Bocage は 1900年 1月14日に New Orleans の Algiers 地区で生まれています。Charles と Peter は「兄弟」で、Henry は「いとこ」とされていますが、Henry も兄弟同然にして育った、と。
Charles も吹奏楽器をこなしたのかもしれませんが、バンジョー、ギターのプレイヤーとして、あるいはヴォーカリストとして知られているようです。Armand Piron の楽団のあと、兄である Peter Bocage が始めた Peter Bocage and The Creole Serenaders でも一時バンジョー奏者として在籍していました。
1963年11月 4日死亡。

**** ─ Peter Edwin Bocage は 1887年 7月31日に Algiers 地区で生まれています。
そこでの彼はまず最初にヴァイオリンの演奏から始まって、マンドリン、ギター、バンジョーと弦楽器をこなし、さらにはトランペットなどの吹奏楽器に辿り着いたようですが、やはり最も評価されたのは、そのトランペッターとしての功績だったようです。
10代ですでに父とともに近所のパーティなどで演奏をしていたようですが、すぐに Storyville 界隈のさまざまなグループでも演奏に加わるようになりました。20代になると自ら率いる the Superior Orchestra をスタートさせ、コルネットには Bunk Johnson を据えています。
その後、自身も 1910年には Frankie Dusen の Eagle Band にヴァイオリン奏者として参加し、さらに数多くのバンドを経験し、その間に出会った多くのミュージシャン ─ Buddy Bolden、Freddie Keppard、King Oliver、Louis Armstrong たちの音楽に触れ、さらにスキルをアップさせて行ったのではないでしょうか。1923年には再び Piron's New Orleans Orchestra に復帰し、Clarence Williams の助力で実現した New York での吹き込みで、彼自身の作になる Bouncing Around が Okeh 40021-A として、さらに Columbia には Bright Star Blues( 99-D )と Sad Bustin' Blues( 14007-D )の二曲、さらに Victor には Mama's Gone, Goodbye( 19233-A )、New Orleans Wiggle(19233-B )の二曲が、そしてその二年後、New Orleans に戻って録音された Red Man Blues(19646-A )、その別テイク(19646-B)が、これも Victor に残っています(このときのメンバーには、バンジョーの Charles Leopard Bocage も参加していました。
その後、保険業務の仕事を始めたりもしていますがやはり楽団から離れることはせず、1960年代に入って Riverside からアルバム『 Loves-Jiles Ragtime Orchestra/Creole Serenaders 』などもリリースしています。
1967年 7月31日、New Orleans で死亡。


さて、本題に帰って Eddie Bo です。
Algiers 地区と、9th Ward と呼ばれる、コミュニティとしても機能し、住民による「ある種の自治活動」によってひとつの文化圏を形成していた、とも言われる地区(余談ですが、「あの」ハリケーンではかなりな被害を受けたようですけど)で成長したようですが、なにしろ身内に Henry、Charles & Peter というミュージシャンがいたワケで、そんな環境に影響を受けないワケはなく、おそらくそのスタートは、かなりジャズに接近した位置から始まったのではないでしょうか。
また、それらのいとこたちばかりではなく、彼の母からしてが、あの Professor Longhair みたいなピアノを弾いていたそうですから、それも彼の音楽的素養の一部を形成したのかも。

高校( Booker T. Washington High School )を卒業後、軍務に就いていますが、生年から追って行く限りすでに第二次世界大戦は終結していたハズなので、おそらく実戦の経験をすることなくブジに(?)除隊したものと思われます。
New Orleans に帰ってきた彼は Grundwald School of Music に入学し、そこでは理論的な裏付けとなる音楽理論などの他、あらためてピアノを学び直しているようで、その当時の彼は、ロシアの有名なクラシックのピアニスト、Vladimir Horowitz に傾倒していたようで、一方では Art Tatum や Oscar Peterson にもココロ動かされていたようで、そのへんは ボキャブラリーの豊富さにつながって行くのかも。
もっとも、意外とブルースのミュージシャンとの交流も多かったようで、LaSalle Street の Dew Drop Inn などで演奏していたようです。
もっとも、やはり基本はジャズだったようで、 Spider Bocage Orchestra( Spider Bocage ってのは 彼の当時の「芸名」だったようです)という名前のジャズの楽団も率いていました。
しかし、現実モンダイとして、ジャズは「カネになる」とは言い難かったようで、もっとカネになると思われる R&B にシフトし、Earl King や Guitar Slim、Lloyd Price に Ruth Brown、さらに Big Joe Turner に the Platters などのサポートとしてツアーを経験もしています。

また Eddie Bo は、およそ半世紀にわたる音楽活動を通じ、かなりな数の楽曲を作り、かつリリースしてきました(彼の初レコーディングは 1955年の ACE への吹き込み)。
そしてプロデューサーとして Irma Thomas に Robert Parker、Art Neville、Chris Kenner などに関わっていますが、彼の楽曲で有名なものとしては、1961 年の 彼自身の初の(そこそこ?)ヒットとなったナンバー
Check Mr. Popeye に続く曲、I'm Wise が Little Richard によって Slippin' & Slidin' として大ヒットしています。
他にも Etta James には My Dearest Darling、Tommy Ridgley には In the Same Old Way を提供しました。
やがて 1969 年には自作のナンバー Hook and Sling で R&B チャートの 13位にまで到達。
このあたりには「ニュー・オーリンズ・ファンク」というジャンルに属すると見られるようになっていたようです。
彼がレコーディングしたレーベルはさすがに多岐に渡り
ACE / APOLLO / ARROW / AT LAST / BLUE-JAY / BO-SOUND / CHECKER / CHESS / CINDERELLA / NOLA / RIC(なんと、Eddie Bo は家業?の大工の腕を活かし、ここのスタジオの建設にも関わったのだそうです)/ SCRAM / SEVEN B / SWAN など

となっています。1950年代から、実に半世紀の長さに及ぶ彼の音楽活動ならでは、でしょうね。
もっとも、彼とても、常に音楽シーンの第一線にとどまっていられたワケではなく、 1970 年代には一時、ミュージック・シーンから姿を消したかのように思われたこともあったのですが、二枚のアルバム、"Another Side of Eddie Bo"、"Watch for the Coming" で帰ってきました。
1980年代以降の彼は、Dirty Dozen Brass Band とともにレコーディングしたり、Willy DeVille と共演したりと活動の場を広げ、ブルースしか判らん、というかたでも、それなら知ってる!と言いそうな(え?知らんて?)Raful Neal とも共演してるんですよね。

ところで、あのハリケーンですが、ちょうど彼がパリにツアーに出ている間に自宅やスタジオが「やられて」しまったそうで、帰ってきた彼はさっそく得意な建築技術でもって、「自力で」修復したそうです。いいなあ、そうゆう腕がある、ってのは!

そんな彼も 2009年 3月18日に、心臓発作により死亡いたしました。


reserched by Othum: Blues After Dark

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by blues-data | 2009-04-11 18:40

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