Mojo Buford
London GXF 2002、Blues Obscurities Volume 2. Lonesome Harmonicaではナゼか「 Bufford」と「f」が二つになっておりますが、それ以外の資料は殆ど「 Buford」となっております。本文中ではすべて f ひとつの Bufordに統一いたしました。
"Mojo" Bufordこと George Buford(別名 Little George Buford、あるいは Muddy Waters Jr.とも呼ばれていた)は1929年11月10日、Mississippi州 Hernando( Tennessee州 Memphisのおよそ 25マイル=約40kmほど南になります)で生まれました。
子供時代には、教会の合唱隊に参加していたそうですからそれが彼の歌の出発点でしょう。
一方、彼の父はハーモニカを演奏していたようですが、かと言って「ひと前で」パフォーマンスを見せるほどの腕前ではなかったようです。
1944年、彼は14才の時に Memphisに出て来ました(ただし、資料によっては Memphisに出たのを1954年としているものもあります)。そこではラジオやライヴなどを通してブルースに触れることが出来、次第に彼の意識はブルースのメッカ、Chicagoに集中していったもののようです。

その Chicagoに出て来たのが1952年としているもの、1954年としている資料も混在しますが(一応1952年は少数派です)、どちらにしても、1956年には彼がマディと同じ通りに住んでいたことは確かなようです。
彼自身はマディと「お近付きになりたいわあ」と思っていたようですが、押し掛けて行くのもナンだし、と悩んでたようですが、そこで Otis Spannに相談してみたら、「任しとけ!」ってなもんで間をとりもってくれたようで、スグ対面が実現したのだとか。メデタシメデタシ。
Chicagoではさっそく自分のバンドを作っています。ドラムの Sam Burdenとギターの Dave Membersで結成された The Savage Boysはマディと知りあったことにより運命が変わりました。
マディがシカゴ以外の土地でのギグには彼らをバッキング・バンドとして連れていくことにしたからなのですねえ。そのほーが自分の「手取り」が増えるのはカクジツですからなあ。
当然バンド名も変わり、「 the Muddy Waters Jr. Band」となり、これが彼の別名、Muddy Waters Jr.の由来かもしれません。
そして1960年(alt.1962)には George Smithに代わってマディのバンドのハーピストとなり、2年半ほど一緒に演奏しています(これが最初の加入時期)。また1963年には初吹き込み( The Exciting Harmonica Sound Of Mojo Buford Blues Record Society 1964)。
1962年に Minnesota州の Twin Citiesを訪れた時のこと、St. Paul barbecue barってえとこでギグをしていて「Got My Mojo Workin' 」を演奏したところ、バカうけして、「もーいっかい!もーいっかい!」コールが鳴りやまず、本人はそーとーウンザリしてたようですが、乞われるままに何度も演奏してるうちに「 Mojo」の名が冠されるようになってしまったんだそうです。
「おい、今晩また Mojoの Bufordだぜっ!」てな会話が「アタリマエ」になって「モジョのビュフォード」が定着したんですなあ。そしてミネアポリスに居を構えることに。

さて、こんどは1967年に、当時マディのバンドのハーピストだった James Cottonが抜けた後をまたもや "Mojo" Bufordが埋めることになります。
そして、この前後に London GXF 2002、Blues Obscurities Volume 2. Lonesome Harmonica収録の Whole Lotta Woman も Minneapolisで George Garrettの Bangar Recordsに録音されてることになるんですが、レコーディング・データが1966/68とアイマイなためその前なのか後なのかはちと判りません(でも、資料によっては George Smithの代わりになったのは1967年のほーだ、ってえ資料もあります。マディのバンドはハーピストの変化がハゲしい上に、ワタクシ自身マディのバンドにまったくキョーミが無いためどれが正しいのやら判りまへん。知ってるかたはそこら教えてねん)。この時期にはマディとともに国内はもとより、カナダ、ヨーロッパにまでツアーに行っています。
その後また Mineapolisに帰った彼は Sonny Rodgers、S.P. Leary、Lazy Bill Lucas、Pat Hareに Pee Wee Madisonといったミュージシャンと仕事をするようになりました。
その後またもやマディのバンドのハーピストとなるのですが、それは1983年のマディの死まで続くこととなります。

彼のトレード・マークともいうべき、いろんなキーのハープをたっぷり差したショルダー・タイプのガン・ベルトですが、2001年の早春に「盗まれ」てしまったんだそうです。ようやく、同じようなものを作れそうな皮革の工芸作家(女性らしいですが)を見つけたそうですから、もうとっくに新しいガン・ベルトも完成してるかも・・・ってトコまで書いて、背筋にブルっと、うう、フキツな予感!そうだ!江戸川スリムさんとこの George Smithだ!ってんでスっとんで行ってみたら、ありましたよん!
『 66年の中頃、ジョージはジェイムス・コットンが抜けた穴埋めとして、再びマディ・バンドに請われてシカゴへと向かった。』・・・およよ、つーことは1967年のとこは『当時マディのバンドのハーピストだった James Cottonが抜けた後をまたもや "Mojo" Bufordが埋めることになります』じゃなく、『当時マディのバンドのハーピストだった James Cottonが抜けた穴を埋めたジョージ・スミスも LAに帰った後をまたもや "Mojo" Bufordが埋めることになります』、が正しいのかな?ううう、よー判らん!



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-20 21:29

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