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Otis Rush
多くの資料では、Otis Rush が生まれたのは 1934年の 4月29日、場所は Mississippi 州の Philadelphia としています。
ただ、ひとつの資料だけは、それを Philadelphia ではなく、同じ地区ではあるものの、その周囲の Neshoba 郡内のいづこかである、としてありました。
なかなか「あり得る」センかなあ?という気もしたのでございますが、その同じ資料だけは Otis Rush の誕生年を 1935年、としているのですよ。そこで判断に迷ったのですが、Otis Rush 本人と親交のある江戸川スリムさまからの情報によりますと、ナゼか 1934年というのが定説となっているようですが、正しくは 1935年である、とのことで、そーなるとやはり生まれたところも Neshoba が正しいのかもしれません。
実際には Neshoba 郡の郡都が Philadelphia なワケですから、判りやすく言うためにその名前を出した可能性もありそうですね。
この場所は人種差別の「本場(?)」 Alabama 州にかなり近いだけあって、1964年にあった黒人の教会への放火事件を調査に来た公民権運動の活動家 Andrew Goodman、Mickey Schwerner、James Chaney の三人が 6月21日に殺害されるという事件が起きて(映画 Mississippi Burning の元ネタ)、2005年になって「やっと」現在 80才になる Edgar Ray Killen というオトコが犯人として逮捕されました。41年もたって!
黒人が白人を殺した場合には「どんなことをしてでも」犯人を探し出すのでしょうが・・・

Living Blues の 1996年の記事によれば、どうやら彼の生まれた家庭では父親が収入の面で「頼りにならず」兄弟姉妹がそれぞれに働いて母を助けていたもののようです。
彼が最初に覚えた楽器はハープで、ギターは 8才から、などと言われておりますが、その背景には Baptist 教会でのコーラスの経験や、時にはギターでその伴奏をつけたことによって、基本的なギターの技術を習得した、としている資料もあります。
また資料によってはこの時期の彼はラジオから流れてくる様々な音楽(そこには C&W も含まれていた、と)に影響されて音楽への意欲を持つようになった、としているものもありました。
また彼の歌唱力はこの時代に培われた、という見方も出来るでしょう。
また、そもそも、彼がギターを右利き用のままで左向きで弾き始めた件についての信頼するにたる情報はどうやら見当たらず、おそらくゴスペルの場で、そこにあったギターをなんとか弾こうとしてそのままで覚えたものではないか、と思うのですが、モチロンそれは憶測に過ぎません。

その彼が Chicago に出たのが 1948年(一部には 1949年としている資料も)とされていますが、そもそもは姉(先に Chicago に出ていた、ということから「姉」では?と推測しているもので、ハッキリ Elder という表現があるワケではないので注意してください。英語では姉か妹かがまったく判らないのですが、そこら向こうの研究者「ども」はどー思ってるんだ、いったい!)の Elizabeth を Chicago に訪ねたところ、音楽好きな Otis のために案内してくれたのが Zanzibar で、そこではマディのバンドに Little Walter、Jimmy Rogers の演奏に触れて、すっかり魅せられてしまい、そのまま Chicago でミュージシャンになることを決意した、としているサイトもあります。
ただし、かと言って Chicago に出てきただけで誰でもがミュージシャンとして暮らして行ける訳でもなく、この Otis Rush も当初はいろいろな職を経験したようで、石炭を積載した貨車からの荷下ろしの仕事(を行う馬を御する仕事だ、ということですが)のようなハードな労働に従事し、夜ともなれば、あちこちのブルース・クラブに足を運んでいたようですね。
そして彼は、まず Kay のギターを手に入れて練習を開始したようです。
そのような努力の末、1950年代の前半には、彼のギターはひとつの個性として完成に近づいた、と言えるのかもしれません。
1953年、彼が Kay のギターで練習しているのを聴いた Club Alibi のオーナーは、彼にソロで出演するように声をかけてくれたのでした。したがって彼の最初のギグは、ギタリストとしてギグに参加したものだったようです。
しかし、そのような形での活動はやはり彼の本意ではなかったようで、じきに自らのバンドを結成しようと動き始めました。
むろん、その時点ではまだ Day Job 無しで喰って行けるほどの稼ぎとはならず、昼の仕事と並行することとなっていたようですが、そのバンドではギターよりも、むしろヴォーカリストとしてのスキルをアップさせたのではないでしょうか。
Little Otis という芸名(?)が使われ出したのもこの頃と思われます。

そんなある日、Otis は Dave & Louis Myers 兄弟の Four Aces に加わって(そこら「臨時」だったものか、あるいはオーディションみたいなものだったかはちと判りませんでした。またこれが 1956年、つまり Cobra と契約したその直前だったのか、あるいはもっと前のことなのか、については確実な資料に辿り着くことができませんでした)東 47番街の 708 Club で演奏していたところ、居合わせた Willie Dixon と Cobra のレーベル・オーナー Eli Toscano の目に止まったらしく、結局 Willie Dixon の「プッシュ」もあって 1956年には Cobra と契約が成立し、そこで吹込まれて初のヒットとなった I Can't Quit You Baby が生まれています。
ここに新しいスター Otis Rush が誕生したのでした。

そのまま Cobra では都合 8枚のシングルをリリースしています。

Cobra 5000 I Can't Quit You Baby / Sit Down Baby : 1956
Cobra 5005 Violent Love / My Love Will Never Die : 1956
Cobra 5010 Groaning the Blues / If You Were Mine : 1957
Cobra 5015 Love That Woman / Jump Sister Bessie : 1957
Cobra 5023 Three Times A Fool / She's A Good 'Un : 1958
Cobra 5027 It Take Time / Checking On My Baby : 1958
Cobra 5030 Double Trouble / Keep On Loving Me, Baby : 1958
Cobra 5032 All Your Love ( I Miss Loving ) / My Baby's A Good 'Un : 1958

Eli Toscano の失墜及びその直後の不可解な死から Willie Dixon を追うように Chess に移った Otis でしたが、そこでは

Chess 1751 So Many Roads, So Many Trains / I'm Satisfied : 1960
Chess 1775 You Know My Love / I Can't Stop, Baby : 1960

のシングルがリリースされたのみで、後に Albert King とのコンビ・アルバム Door to Door という形で出て来ただけです。
そこでは上の 4曲の他に So Close、All Your Love も収録されています。

Cobra での厚遇(?)に比べ、この Chess では Otis Rush が正当に評価されていたとは言い難く、続いて DUKE と契約。

DUKE 356 Homework / I Have to Laugh : 1962

というこれまた名曲を残すのですが、他に Don't Let It End This Way と This Mean Old World の二曲を吹込んでいるようですが、ともにリリースされた形跡は無いようです。
ステージとしてはこの頃には Madison & Homan の Curley's Twist City などに出演していたようで、特に Cobra からの一連のリリースによって彼の知名度はかなり高くなっていました。

1965年には Vanguard に吹込んだ 5曲: Everything's Going to Turn Out Alright / It's A Mean Old World / I Can't Quit You Baby / Rock / It's My Own Fault が V/A Chicago / The Blues / Today! vol.2 Vanguard 79217-2(リリースは 1966年)に収録されています。
そして 1966年には American Folk Blues Festival のツアーの一員としてヨーロッパに渡っています。
このときの 10月16日の Berlin での録音では All Your Love / My Own Fault の二曲が(ウチのはアナログ・ディスク) Fontana からディストリビュートされた GRAVURE UNIVERSELLE 885 431 BY AMERICAN FOLF BLUES FESTIVAL '66 に収録されています。
ただし、このアルバムに関する限り、Junior Wells の Checkin' on My Baby A Tribute To Sonny Boy Williamson 、Big Joe Turner の Flip, Flop and Fly Roll'em Pete にギターで参加しています。
この時の録音でも他の編集による Amiga 855114 では All Your Love 一曲だけとなり、その vol.2 たる Amiga 855126 では It Takes Time と My Own Fault が収録されています。

おそらく、その American Folk Blues Festival での演奏が強い印象を与えたのではないかと思うのですが、ブルームフィールドとグラヴェナイツ(でいいのかな?発音)は Otis を Atlantic のサブ・レーベル Cotillion に導き、そこで Alabama 州 Muscle Shoals で吹込まれたのが 1969年の Mourning in the Morning( Cotillion 82367 )でした。
そこでは「あの」オールマンがギターとして参加したことばかりがとかく語られるようですが、もうひとりのギター、Muscle Shoals のサウンドの確立に貢献した Jimmy Johnson も参加していたことを忘れてはいけません。
収録曲は
Me / Working Man / You're Killing My Love / Feel So Bad / Gambler's Blues / Baby, I Love You / My Old Lady / My Love Will Never Die / Reap What You Sow / It Takes Time / Can't Wait No Longer


かわって 1970年には Otis Rush は Capitol とアルバム 5枚の契約を結びます。
そして、それにしたがって 1971年 2月に San Francisco に赴き、そこで録音したのが Right Place, Wrong Time( Hightone HCD 8007 など)。
Tore Up / Right Place, Wrong Time / Easy Go / Three Times A Fool / Rainy Night In Georgia / Natural Ball / I Wonder Why / Your Turn To Cry / Lonely Man / Take A Look Around
このアルバムは本来、Capitol からリリースされる予定だったのですが、結局、Bullfrog が市場に出すまでは Capitol の倉庫で眠り続けることとなったものです。
そんな状況でしたから Capitol での「 5枚のアルバム」などすべて「ちゃら」だったようで、結局彼の次のレコーディングは 1974年の Black & Blue まで待たねばなりません。
しかし、その間にひとつ重要なトピックを。
1972年 9月10日に白いボデイに鼈甲柄のピックガードという右利き用の Fender Jaguar を抱えて Ann Arbor Blues & Jazz Festival のステージに登場した Otis Rush はたしか 5曲ほどを演奏(なかには Stormy Monday も含まれる)したハズなのですが、そのときの録音からは、ただ一曲、Gambler's Blues のみが Atlantic SD 2-502 Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1972 に収録されました。

1974年11月26日にはフランスの Black & Blue にレコーディング。これは後に Evidence ECD 26014 としてリリースされた Screamin' and Cryin'です。
Looking Back / You're Gonna Need Me / It's My Own Fault / I Can't Quit You Baby / Every Day I Have the Blues / A Beautiful Memory / I Got News For You / I Can't Quit You Baby(最後の二曲は CD 化するにあたってボーナス・トラックとして加えられたもの)
続いては 1975年 4月29日(お誕生日だ!)と 5月29日に録音された Delmark DE 638 Cold Day in Hell
これはまた、やたら長い曲が多いアルバムで
Cut You Loose / You're Breaking My Heart / Midnight Special / Society Woman / Mean Old World / All Your Love / Cold Day in Hell / Part time Love / You're Breaking My Heart ( alt. take )/ Motoring Along

別テイクじゃないほの You're Breaking My Heart など 8分を超える作品になっています。

そして 1975年には日本を訪れ、そこでのライヴ( 7月20日と 29日のステージ)から録音された 12曲
Will My Woman Be Home Tonight - Blue Guitar
Everyday I Have the Blues
I Can't Quit You, Baby
Crosscut Saw
Looking Back - Take A Look Behind
Chitlin' Con Carne
I've Got News For You
Mean Old World
All Your Love - I Miss Loving
So Many Roads
Gambler's Blues
Three Times A Fool

が Delmark DE 643(日本では TRIO PA-3086 ) So Many Roads: LIVE IN CONCERT としてリリースされています。
この音源は後に、曲順を入れ替え、Crosscut Saw / Chitlin' Con Carne / I've Got News For You の三曲を「落とされて」 Vivid Sound VSCD 052 Blues Live! として再発されました。ジャケットのデザインも違うのでうっかりダマされないよにね。
一説ではこの時の来日で奥さんのマサキさんと知り合われたらしいのですが、そこらは江戸川スリムさまのほーが詳しそう。

さらに 1976年には Wise Fool's Pub で、これも Delmark のためにライヴ・レコーディング。この音源はおよそ 30年後の 2005年11月にようやく発売される。

続いて 1977年にはヨーロッパ・ツアーにおいて二枚のアルバムが生まれています。
まずは 10月 9日、フランスの Nancy でのステージを Isabel(仏)がレコーディング。
Cut You Loose
All Your Love
You're Breaking My Heart
I Wonder Why
Feel So Bad
Society Woman - Love Is Just A Gamble
Crosscut Saw
I Can't Quit You Baby
I'm Tore Up
Looking Back

の 9曲が納められた LIVE IN EUROPE(この時はジャケットの画像を見ると、日本での Fender Jaguar ─ 白ボディに鼈甲のピックガードではなく、同じ白ボディながらローズウッド指板の Stratocaster ─ ただし PU とツマミは黒っぽい、を使っているようです)が Evidence ECD 26034 としてリリースされています(もちろん「おフランス」国内では Isabel レーベルで出てるハズ)。
その翌週と言ってよい 10月の15・16の両日にはスウェーデンの Stockholm に赴き、そこの Decibel Studio で録音した
You Got Me Runnin'
Little Red Rooster
Whole Lot of Lovin'
It's Got To Be Some Change Made
You Been An Angel
You Don't Have To Go
Troubles Troubles
I Miss You So
Hold Your Train
Same Old Blues(ただしこの曲では Otisではなく、ドラムの Jesse Lewis Green がヴォーカル)

が Sonet SNTF 756 TROUBLES TROUBLES としてリリースされました。
ただしこの音源は後に Alligator の手に渡り、そこではキーボードの Lucky Peterson がオーヴァー・ダブされ( Little Red Rooster だけは Allen Batts がピアノで参加)、また収録された曲も異なり
Hold That Train(曲名が微妙に変更されてますね)
You've Been An Angel
Little Red Rooster
Troubles, Troubles
Please Love Me
You Don't Have To Go
Got To Be Some Changes Made
You Got Me Running
I Miss You So

となって、さらにアルバム・タイトルも LOST BLUES となって Alligator ALCD 4797 としてリリースされました。
この Alligator によって行われた「後処理」については Otis に無断で行ったものらしく、その成果(?)については賛否両論があるようです。

この件は 1990年代に入ってからのことなのですが、それ以前、おそらく 1980年代に入るあたりに、彼のレコード会社、あるいはレコード産業そのものに対する「不信感」はかなり強まっていたようで、それが彼をしてレコーディングの機会から遠ざけたのだ、とする分析をしているサイトもあります。
その彼の久しぶりのアルバムは 1985年 9月15日に San Francisco Blues Festival のステージをライヴ録音したもので Blind Pig BP 73188 TOPS としてリリースされました。収録曲は
Right Place, Wrong Time
Crosscut Saw
Tops
Feel So Bad
Gambler's Blues
Keep On Lovin' Me Baby
I Wonder Why

の 7曲。
翌年の 1986年 7月 9日には Montreux Jazz Festival に出演し、このときのライヴはラジオでも放送されたため、そのエア・チェックかと思われる海賊版が存在します。それによると演奏した曲目は
I Wonder Why
Lonely Man
Gambler's Blues
Natural Ball
Right Place, Wrong Time
Mean Old World
You Don't Love Me
Crosscut Saw(ここからクラプトンが加わる)
Double Trouble
All Your Love

で、この後 Luther Allison を迎えてそのナンバー Natural Man を演奏したあと、みんなで Caldonia という構成だったようです。

その同じ年、つまり 1986年の冬には日本を訪れ、12月12日、東京公演をライヴ・レコーディングしたのが P-Vine PCD-1960 BLUES INTERACTION: Live In Japan 1986 With Break Down で、そのタイトルで判るようにブレイク・ダウンを中心にウィーピング・ハープ妹尾、チャールズ清水などの日本人ミュージシャンによるバッキングで行われています。収録曲は
Introduction - Tops
All Your Love - I Miss Loving
Please, Please, Please
Killing Floor
Stand By Me
Lonely Man - I'm A Lonely Man
Double Trouble
Right Place, Wrong Time
Got My Mojo Working
Gambler's Blues

の 10曲。最後の Gambler's Blues は実に 10分に達する長さ!
こちら、海外では Castle や Sequel というレーベルからリリースされているようですが、そのタイトルも BLUES INTER〜が省略され、ただ Live In Japan 1986、となっているようです。

1992年にはイギリスの London で行われた A Celebration to the Blues という企画のために Buddy Guy、Jimmy Rogers などとともに渡英し、その 1992年 6月28日には London の Hammersmith Odeon に出演し、(たぶん海賊版?) TOAST C-02 ってやつに
Natural Ball
Lonely Man
Blues Left Town
Gambler's Blues
So Many Roads( with Gary Moore )

が収録されているようです。
なお TOAST C-01 には Gary Moore の Blues Is Alright に Buddy Guy や Jimmy Rogers、Pop Stables とともに参加している模様。

そして 1993年、彼は Los Angeles に赴き、そこで「本格的な」スタジオ・レコーディングによるアルバム作りを行うことを計画しています。
かってないほどによく音を吟味し、Joe Sublett のテナー、Marty Grebb のバリトン・サックス、Darrell Leonard のトランペットからなる The Texacali Horns をバックに配し、キーボード陣も Mick Weaver、Ian McLagan、Bill Payne の三人が(同時にはそのうちの二人が)複数の楽器をオペレートする、というかってない緻密なプロデュースで 1974年に録音されたアルバム Phonogram PHCR-1248 AIN'T ENOUGH COMIN' IN は実に久々のスタジオ・レコーディングとしてリリースされています。
Don't Burn Down the Bridge
That Will Never Do
Somebody Have Mercy
A Fool For You
Homework
My Jug and I
She's A Good 'Un
It's My Own Fault
Ain't Enough Comin' In
If I Had Any Sense, I'd Go Back Home
Ain't That Good News
As the Years Go Passing By

ただしこれには日本盤限定(?)で If You Can't Do No Better が追加されているようで、つーことは日本のファンだけがトクしてる?

続いては 1998年に House of Blues からリリースされたアルバム Any Place I'm Going で、「ついに(?)」グラミー賞を獲得しています。
このアルバムでは Memphis Horn も起用し、さらにバックには女性のコーラスまでつく、っちゅう「デラックス版(?)」で、この仕上がりはロック系から彼のファンになったひとにはちょっと「ちゃう」かもしれません。
You Fired Yourself
Keep On Loving Me Baby
Part Time Love
I Got the Blues
The Right Time
Looking Back
Any Place I'm Going
Laughin' and Clownin'
Pride and Joy
Have You Ever Had the Blues
Walking the Back Streets and Crying

え?どっかで聞いたよなタイトルだ?
ま、さいわいこのアルバムなら、あちこちのネット・ショップで(僅か 30秒っつではありますが)試聴も出来ますので、ちゃんとチェックしてみてください。

この後、みなさまの記憶にも新しい 2004年の日本でのライヴのスケジュールが入り、本人もそれを楽しみにしていたようなのですが、その前の冬に脳梗塞に倒れ、歌うことも難しく、ギターもまったく弾けない状態となってしまいました。
しかし、本人のたっての希望で日本ツアーのみはキャンセルされることなく、マサキ夫人の助けで、また彼を迎えた友人たち、さらにステージは、まさに渾身のバック・アップを見せた Carlos Johnson などの助けを得て、奇跡的なステージを日本の聴衆にプレゼントしてくれたのです。
2005年 5月11日に Buddy Guy's Legend で行われた彼の誕生日パーティは実に多くのブルースマンやブルースファンにとって、徐々に快復に向かいつつある彼を目の当たりに出来た一日となったようです。そのあたりのことは BlueSlimの「アリヨの日記*」で読むことができます。
また同サイトには Otis Rush を応援するWe Love Otis Rushもオープンして世界中から Otis への熱い声援が集まってきていますので、興味のある方は是非どうぞ!


そのような熱い支持とファンたちの祈りも届かず、2018年の 9 月29日、彼は帰らぬひととなりました。
ありがとう Otis、あなたを知ってさらにブルースが好きになったんだよ。

R.I.P. Otis...

reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2018-10-01 20:31

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