Pee Wee Crayton
Pee Wee Crayton(この名前が翻訳サイトのウェブ翻訳でどーなるか、おヒマな方はお試しくださいませ)こと Connie Curtis Crayton(えっ?Connieって女性の名前っぽいけどホント?)は、1914年12月18日、Texas州の Rockdaleあたりで生まれているようですが、育ったのは Austinのようです。
早くからいろんな楽器(ウクレレ、ギター、バンジョー、そしてトランペット)に親しんでいたようですが、彼が興味を持った音楽はブルースよりも、Duke Ellingtonや Louis Armstrongだった、と(やっぱりね)。
そして 10代直前(?)にはウェスト・コーストに移り、ベイ・エリアで造船関係の仕事についたようです。
さらに自動車販売業者のもとで働いたりもしていたようですが、アメリカが本格的に第二次世界大戦に参戦したことを受けて再び船舶関係(オークランドの米海軍造船廠)に移り、ここで初めて自前のギター(リゾネーター付だったそうですが)を手に入れていますが、あまり「ウマく」は弾けなかったようで。

当時の Californiaはジャズ、そしてブルースにとっても「変化」の兆しを見せていた、と言われることもありますが、現実に数々の録音上にその「傾向」を嗅ぎとることが出来そうです。洗練されたホーン・アレンジメントや「ロケンロー」まで紙一重の新しいビート・・・
このあたりは、むしろジャズ畑のみなさまのほーが「重視」し、かつ「熟知」されておられるかも。

またポップ・シーン、それもヴォーカルにおけるトレンドを大きく左右したのは Nat King Coleだったかもしれません。
Pee Weeのヴォーカル・スタイルにも、その影響があるような気がするんですが、いかがなもんでしょ?
ギターのほうでは 1939年から 1941年にかけて Benny Goodmanのもとにいた Charlie Christianの単弦奏法が、まず彼に影響を与えた、としている資料がありますが、あいにくとそっちのほーはニガテ分野なので、あまし詳しく分け入ってくのはヤメときますわん。1944年には T-Boneの演奏に触れて、また大きく彼のギターが変っていくことになるらしいのですが、そのヘンも T-Boneに詳しくないワタクシといたしましては「~らしい、~ようだ、~みたい」程度のことしか言えませんのであしからず。
そして Ivory Joe Hunterのサイドマンとなり、1947年には Los Angelesの Four Star Recordsに初吹き込みもしているようですが、あまりパっとはしなかったみたい。

しかし T-Boneが「売れまくり(?)」、それに目をつけて、同じよなタイプのスターを探してた Modernの Bihari兄弟は Pee Weeに T-Boneのナンバー I'm Still in Love with Youを吹き込ませました。女性リスナー向けの滑らかな仕上がりだったようです。
日記でも何度も(最初が、昨年 8月17日の Pinetop Perkins、その翌日の Eddie Taylor、ちょっと間を置いて11月22日の Jimmy Nolen)採り上げた Erskine Hawkins Jazz Orchestraの After Hoursですが、それが Pee Weeの代表曲ともなるんですから、この曲の持つ魅力ってのはそれだけ大きいのでしょうね。
ただ、逆にそのことが彼にインストを強いたという一面もあったようですが。

After Hoursは、BLUES日記でまともに 3回、他の記述で登場してるのもイッパイあるんで、いまさらクドクドと申し上げるのなんですが、オリジナルの Erskine Hawkinsでは Avery Parrishのピアノを前面に押し出して、ステージも終わり、客が帰った後のクラブのアンニュイな夜明け前のひととき、ってなイメージが演出されてましたが、それからすっと Pee Weeのはやや余韻に欠けるかな?っつー気もいたしますね。ま、そこら「すきずき」ですから別にいいんですが。
あ、ついでだけど、ワタシの中でのベストは Eddie Taylorの Ready for Eddieに収録されたヤツね。

彼のギターは 1950年代を通して次第にアグレッシヴになっていった、とする資料もありますが、どーなんでしょ?たしかに T-Boneを代表とする(異論はあるかもしれませんが)、ジャズのエリアにも重心を置いた「この手のブルース・ギター(?)」のハイアラーキーからすっと「アグレッシヴ」という表現も当たっているのかもしれませんね。ただ個人的には、どうもそれとは違う感触を持っておりますが・・・
Johnny Guitar Watson、Albert Collins、そして Clarence Gatemouth Brownのテキサス系、さらに Freddie Rouletteみたいなアナーキイ系(?)なんかのほがよっぽど「アグレッシヴ」だと思うんですがねえ。
そこらは価値観の相違ということでしょうか。

ケッキョク、彼が本格的にギターを弾くようになったのが 1944年からだ、と言われていますから、それからすると、その後 10年ってのは「どんどん変化してく」のは当然でしょ。
さらに最初の 4年ほどはたしかインストをメインにしてたワケですから、ヴォーカルもとるようになるとギターも変りますからね。
1951年には Aladdinに吹き込みをしていますが、そこでは When It Rains It Poursで彼のやや高い声域のヴォーカルが活かされ、ポップスのマーケットにまで進出したようです。
ただ、それがそのまま彼のミュージシャンとしての「安寧」を約束したワケではなく、むしろ雌伏の時期を招いたらしいのは実に皮肉、と思えますね。

1953年には、ハリウッドの John Dolphin(クルマのセールスマンだった彼は音楽産業にも乗り出して、他業種での手法を持ち込むことで、独立レーベルとしてはユニークな成功をおさめかけていました。しかし、後に売上に対するロイヤリティをバックせず、初回の買取制にしていたため、その妥当性をめぐってモメた作曲者によって「殺害」されてしまいます)が設立したレーベル、Dolphin'sに吹き込み。
この時期の Pee Weeはモロ T-Boneスタイルや Slim & Slam( Slim Gaillard & Slam Stewart。2003年11月 6日付の Screamin' Jay Hawkinsの回、1951年の Tiny Grimesのところでも登場いたします。)の音にベクトルを向けていたようですが、それでも自作の曲をメインにしていたようです。

次いで Pee Weeは Imperial Recordsに録音していますが、ここでもさしたる(商業的)成功は得られませんでした。
ただ、このあたりから、彼の曲作りに New Orleansの影響が見られる、としている資料もありますが、Imperialのスタジオ・ミュージシャンとしての Dave Bartholomewの存在があるのかも。
また、1953年に Specialtyから出現(実際には 1951年に Imperialにも録音はしてたのですが)した Guitar Slimの大ヒットも影響してるのかもしれません。
あ、それと、はたしてどの程度大きな要因だったかは不明ながら、この時期に彼は Leo Fenderから真っ赤な Stratocasterを提供されてるんですねえ。

やがて時代は Rock'n'Rollの隆盛を迎え、それによってエレクトリック・ギターを弾いて歌うタイプのブルースマンにとってはいささか居所が狭くなったかもしれません。それでも T-Boneとパッケージ・ショウを組んでツアーを行ったりしてたようです。
西海岸でのブルースの不利な状況から、彼は Detroitへと向かい、VeeJayと契約を結びます。こうして Pee Weeは 1956年と 1957年、12曲をそこに吹き込みました。

1960年には Californiaに戻りますが、そこでは音楽だけでは食べてゆけず、ブルースマンにはお馴染み Day Jobを持ち(そ、ブルースで喰っていける、なんて、そっちが滅多に無いことなのよん)、それでも小さなレーベルに吹き込みは続けていました。さらに Modern系列にも吹き込んだらしいのですが、たしかそれはまだリリースされてないんじゃなかったっけ。
そして 1970年、Monterey Jazz Festivalの Johnny Otis Showに招かれて演奏した The Things That I Used To Doは、そのライヴ・レコーディングのアルバムにも収録されました。

1970年代にはその余韻(?)でいくつかのレコーディング・セッションを行っています。
またライヴでは Big Joe Turnerや Big Mama Thorntonとも組んでいたようですが、その Big Joeとの仕事は Norman Granzの Pabloレーベルに残っています。
彼の最後のセッションは 1983年のもので、彼の死の 2年前のこと。
1985年の 6月の Chicago Blues Festivalで演奏した何週間か後、還らぬひととなりました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-10-05 21:42

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