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Peg Leg Howell
"Peg Leg" Howellこと Joshua Barnes Howellは、19世紀のいわゆる「世紀末」ってのにもちと間がある1888年の 3月5日、Georgia州 Eatonton(alt. Eaton: ただし、それは Texas州 Limestone Countyの南に位置する Thorntonの南西 2マイルのところにある Mills Creekの近くで、Georgia州ではないのでタブン誤解と思われます)で、Thomas Howellと Ruthie Myrickの間に生まれています。
小さいときから音楽に包まれていたようですが、実際自分でも演奏するようになったのは 21才からだ、と言いますから、かなり晩くなってからのデビュー(?)なんですね。
彼は、かなり頑強な体躯だったようで農園での作業ではそれが重要なワケですから、逆にかなりコキ使われたものと思われます。

彼自身が語るところによれば、1909年、つまり 21才の彼は、ある夜、ギターを手に取って弾いてみる気になり(それまでは一切、興味が無かったのか、あるいは以前に少しでも弾いてみたことがあったのかどうかは判りませんでした)、それからは昼の農場でのシゴトと、空いた時間のギターが日常となったらしいのですが、ところが!でございます。彼の義理の兄弟と口論の末に、なんと右足を撃たれちゃうんですねえ。しかもまともな治療がなされなかったんでしょか、切断するハメになり、それが「Peg Legged(義足)」のハウエル、つまり Peg Leg Howellの名のもとになってしまったのでございます。
いかに頑強な体躯、とは言っても、片足が義足ということで、農場のシゴトが出来なくなり、Madison Countyに近い肥料プラントのシゴトに変わりました。
ただ、それもあまり長続きはせず、結局は Eatontonの家に帰っていろいろなシゴトをやってたみたいです。

1923年には Atlantaに移り、他のミュージシャンと共演するようになるのですが、これぞ「世に言う(え?知らん?・・・でげしょなあ。このヘン知ってるったら、かなりな「戦前ものの」マニアでございますよん)」アトランタ・ストリング・バンド: "Peg Leg" Howell and His Gangなのでございます。
かなりなミュージシャンがそこに加わり、また去っていったりしてますが、そのコアとなったのがギターの Henry Williams、フィドルの Eddie Anthony、そして初期にはマンドリンの Eugene Pedinあたりが挙げられます。
他にも出入りしてた中には、Macon Ed、Tampa Joe(ただし二人の別な人間がそー名乗ってたらしい)なんてのもいたようですが詳しいコトは「?」でございます。
それなりのプレゼンスもあって、この "Peg Leg" Howell and His Gangは Atlantaのブルースを一時期リードしたんじゃないか?とも思われたんですが、ドッコイ、1925年に肝腎の "Peg Leg" Howellが「密売」でパクられ、 River Camp Prisonにブチ込まれてしまったことで終焉を迎えてしまいました。

それでも「お務め」を終えると、彼はまた Atlantaに帰って来ます。
そしてストリートを主な演奏の場にしていたのですが、それがフィールド・レコーディングにやってきていた Columbia Recordsのスタッフの目に(耳に?)とまり、1926年11月8日、彼はスタジオに連れ込まれ、ムショで聴き覚えたらしき(?)「New Prison Blues」を含む 4曲を吹き込みしています。
このように、他のブルースマンの曲で、本人がまだ吹き込んでいないものもケッコウ録音しており、実際に自作した曲もあるようですが、案外ヒト様のを失敬してくるのも多かったようです。

年に 2度、春と秋に南部を廻ってブルースマンを録音している Columbiaですが、1927年の4月にも "Peg Leg" Howellを録音しています。
この時はギターの Henry Williamsとフィドルの Eddie Anthonyが一緒でした。
同様に1929の春まで、彼のフィールド・レコーディングは都合 4回行われ、ギターの Henry Williamsは次から「お払いバコ」になってしまいましたが(その後1929年に監獄内で死亡!)、フィドルの Eddie Anthonyのほうはそれ以降もずっと一緒にやっています。
また、1929年 4月のセッションにはマンドリン奏者( Jimという名のみがクレジットされています)が参加しました。でも、1930年のセッションでは、Peg Leg Howell自体に「お声」がかからなかったようです。

もちろん Peg Leg Howellはそれでもアトランタ周辺で演奏し続け、でも、それだけじゃ喰えるワケないんで(もっとも、Columbiaのレコーディングだってたいしたカネにはならなかったでしょが)一方ではまたまた酒の密売に手を出していたようです。
でも、そんななか、1934年に相棒の Eddie Anthonyが死んでしまいました。
相棒を失った彼はすっかり活動を縮小していったようです。
そして 1952年、彼は 64才のときに、糖尿病で残る足も失ってしまいます。そこからは車椅子での生活となりました。

1963年に Testament Recordsによって、実に 34年ぶりに彼のレコーディング・セッションが持たれましたが、その 3年後の1966年8月11日に、慢性の神経疾患で入院先の Grady Memorial Hospitalで死亡しています。
彼の遺体はジョージア州アトランタの Chestnut Hill Cemeteryに埋葬されました。
この、労働歌やフィールド・ハラー、さらにヒルビリー・ミュージックなどからも想を得て、いわば「ブルースの前段階(?)」を形成するに貢献した、でもローカルなエリアにとどまって、ビッグ・ネームとはなり得なかった Joshua Barnes "Peg Leg" Howell。
その「Rolling Mill Blues」に、なんとなく「哀愁」を見ちゃうのは、ただのセンチメンタリズムっつーものかもしれませんね。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-10-06 02:17

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