Percy Mayfield
ただ単にタイトルの Please Send Me Someone To Loveだけを見ると、「愛に飢えた」オトコの歌、と思えちゃうんですが、

どうか、すべての人々に理解する力と心の平和をお恵みください
しかしそれが過ぎた望みで無いとしたら
この私にも愛する相手をお恵みください

どうすれば世界中が仲良く出来るのか、をお示しください
憎しみが去り、平和が訪れる様を
夜、横たわったまま寝つかれずこの世界を覆う争いについて考え
いつも同じ答えに辿りつく
人類がこの戦慄すべき罪悪と縁を切らない限り
この世界は憎しみの炎に包まれてしまうのだ、と
なんと恥ずべきことか

これが私の哀しみの理由だ
憐れみは要らない
過ぎた望みで無いとしたら
この私にも愛する相手をお恵みください


この歌詞を見る限り、そこにあるのは、せっかく第二次世界大戦が終結して平和が訪れた、と思ったのも束の間、1950年の 6月25日に勃発した「朝鮮戦争」によって、世界が再び戦火に包まれることへの絶望、哀しみ、人間の愚かさに対する怒りなどではないでしょうか?(この曲の吹き込みは、1950年の 8月16日)このタイトルは、こんな世界にしてしまう人たちをとても愛せやしない。という意味ではないか?と考えています。私が愛せるのは冷静にお互いを理解し、平和を希求する人なのだ。そんな愛することが出来る人をお与えください、と。

そして今も、世界は相容れない価値観・世界観の対立から、ニューヨークの世界貿易センターの悲劇→アラブ的なるものへのアメリカによる理不尽な報復→さらなるテロの拡大へ・・・

Percy Mayfieldが生まれたのは、1920年の 8月12日、Louisiana州の Mindenです。
ダンサーの父と歌手の母のもとで、彼自身、音楽の才能を伸ばしていったのではないでしょうか。
1930年代の中頃には Texas州の Houstonに移り、1940年代の末(alt.1942)には西海岸に移りました。
まず最初はソングライターとして世に出ているようですが、どうせなら自分で歌ってみたら?とススメられた、というハナシもあります。それが(たぶん)1940年代の晩期で、1950年には Specialtyに吹き込んだ「Please Send Me Someone To Love」が R&Bチャートの 1位に登りつめ、およそ10万枚に達するセールスを記録する大ヒットとなりました。この曲は数多くのアーティストにカヴァーされる名曲として(ジャズのほうでも Phineas Newborn Jr.の演奏が有名)愛されています。
それ以後「Lost Love(1951)」、「Big Question(1952)」と連続するヒットによって、ステイタスを築き上げていったのですが、車の事故によって、彼のソロ・パフォーマンスはそこで断たれてしまったのでした。

1960年代には Ray Charlesに提供した「Hit The Road Jack (no.1 of R&B chart '61)」が彼のソングライターとしてのプレゼンスを世に知らしめ、Ray Charlesはその後も彼の作った曲を採り上げています。
Percy Mayfieldは、Chessや Imperialを経て、その Ray Charlesのレーベル Tangerineにも一時('62〜67)在籍していますが、その後も RCA、Atlantic、TRC、Timeless、Winnerと移籍していきました。

そして1984年の 8月11日、心臓の発作で死亡。
その 5年後、Johnny Adamsは全編を彼の作品で構成したトリビュート・アルバム『Walking On A Tightrope』を発表しています。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-10-06 02:44

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