Pinetop Perkins
Pinetop Perkins、ミシシッピー・デルタの最後の大物ブルースマンなんて声も聞こえてきますが、実際 Joe Willie "Pinetop" Perkinsは、ミシシッピー州の Belzoniで 1913年に生まれています。
Chicago 在住のピアニスト、有吉須美人の 2006 年 7 月の日記によれば、7 月 6 日にロザで Pinetop Perkins の 93 歳の誕生日ライヴが催されたことが記されています。しかし、彼のオフィシャル・サイトでは、July 7, 1913 - March 21, 2011 となっている・・・
あれえ?と、その前後のアリヨの日記もチェックしてみると、2007年では 7 月 7 日にベイエリア・ブルースフェスのオーランド近郊のホテルで誕生パーティが催されておりますが、2004 年の日記では 7/9 が誕生日となっているような?
どうやら、ジャスト「その日」ではなく、みんなが揃う日に「祝った」ってのが真相のようです。

その Pinetop Perkins ですが、もともとピアニストだったわけではなく、最初はハウス・パーテイなどでギターを弾いてたよーですが。
それが Clarence "Pinetop" Smith(ピアニスト。1904年 Alabama州生まれ。1928年に録音された「Pinetop’s Boogie Woogie」は最初に「ブーギウーギ」と名前のついた曲と言われる。1929年に Chicagoで拳銃の流れ弾に当って死亡)の庇護のもとで、いわゆる"Pinetop’s Boogie"に触れ、ついにはそれを会得し(たぶんね)名前にも"Pinetop"を受け継いだんじゃないでしょか。
でも、最初はやはりギタリストをやってたみたいで(1940年代の初頭まで)、1940年代の中期には Arkansas州 Helenaの Rice "Sonny Boy Williamson" Millerと出会っています。どうやらこの時期に腕のケガがもとで、ギターからピアノに転向した、と言われてますね。
King Biscuit Timeの Sonny Boyとは 5年間の付き合いでした。

Pinetopはこの時期、Robert Nighthawkとも交流があり、初期の Chessへのレコーディングにも参加しています。さらに Memphisでは B.B.と、1950年代の初めには Earl Hookerとも南部をまわったりしております。この組み合わせでは、1953年に、Sam Phillipsの Sunに吹き込みもしています。
でも、彼が良く知られるよーになったキッカケはやはりマディとやったことが大きいでしょ。Otis Spannに変わってマディのバンドのピアノを担当し、1970年代を通じてそのサウンドの構築に大いに貢献した、とされています。

やがて 1980年には自分のバンドを結成し、数々のレコーディングを行うよになりました。
彼はもっぱらサイドマンとしての歩みを続けてきたのですが、Blind Pigで1988年にリリースした「After Hours」で事実上デビューしたことになるんでしょね。
正統派の「シカゴ・ブルース」は Little Mike and the Tornadoesのサポートを得てミゴト、花開いたのでありんす。

その後も着実に活動を続けており、ときに Ariyoの日記にも登場しておりますので、ご覧になった方も多いのでは?

2011年 3 月 21日、Texas 州 Austin の自宅で死去。



reserched by Othum: Blues After Dark


注!この下に表示されている広告はエキサイトが勝手に掲載しているものであり、当方は
その商品やサービスを「一切」推薦しているものではありません。






[PR]
by blues-data | 2005-10-09 05:31

[ BACK to BIO-INDEX ]