Richard "Rabbit" Brown
およそ 1900年当時には、街頭で、あるいはフェアやフェスティヴァルの入り口、大きなサーカスの近くなどで、そのようなトピック・シンガーたちが、声を張り上げてギターをかき鳴らし、その時々に大衆の興味の赴くところを歌い上げ、チップを集めていたようですが、当然、客のリクエストに応え、どんな曲でも演奏できるようにそのレパートリィも宗教的なものから流行りのもの、アイルランドやスコットランドの古謡にヒルビリーやブルース、と多岐にわたり、それだけにあまりブルース色が強くない傾向もあったようです。このような Songsterにとって、シンガーとしての技量より、むしろ「語り部」として、聴衆を感動させるワザ(?)に重きを置くようになるのは当然だったのかもしれませんね。彼と親交があったとされる他のミュージシャンたちの記憶の中での Richard "Rabbit" Brownは、いつもおちゃらけていて、面白そうな事柄を扱った曲を歌っていた、といいます。
ただし、彼らが活躍できる場は「あまり娯楽もない」田舎で、しかも他のメディアが浸透して来ていない場合に限られていましたから、1920年に始まった放送が、1930年代にかけて次第にその受信家庭を増やし一般化して来るにつれ、あまたの事件もいち早く電波に乗って周知徹底されてしまうため、Songsterの存在価値は相当下落していたものと思われます。
このラビット君の一連の録音は、そのようなソングスターの「最期の輝き」だったのかもしれません。

Richard "Rabbit" Brownは例によって、一瞬の露出の後は歴史の闇に紛れて消えていったミュージシャンのひとりです。1927年の 3月11日に New Orleansのガレージでチューバ奏者の Joe Hawardと同じ日、Louis Dumaineとセットでの録音( 3月 5日の説もある。Victor 20578A。全 6曲、 この録音を担当したのは Ralph Peerで、Victor Recordsでは「Great Northern Blues」以外の 5曲がリリースされています)に現れた彼は「もはや中年にさしかかっていた」という証言もあり、逆算しておそらく 1880年前後に生まれたのではないか?という憶測がなされていますが、それを裏付ける資料などは未だに確認されておらず、決して信憑性のあるものではありません。また、その生まれた場所がどこか、もまったく判りません。安易に New Orleansの生まれ、としている資料もあるようですが、地元のブルースマン Ernie Vincentは Richard "Rabbit" Brownの録音の中に、むしろ、Louisiana州の北部から Mississippi一帯の特徴を感じる、と証言しています。
また「James Alley Blues」の中の一節、

Cause I was born in the country, she thinks I'm easy to rule.

俺が田舎生まれなもんだから、彼女は俺が言いなりになる、と思ってるのさ。

というところから、New Orleansのような「都会」で生まれたとは考え難い、という分析がなされているようですが、それも確証があるワケではない以上、憶測の域を出ません。
19世紀末の都市への黒人の流入は、小作農の生活(物納のノルマと人種差別から来るストレス)からの解放を求めて「ともかく」都会に潜り込むような現象でしたが、もし Brownが New Orleans生まれだったとしても、両親が移住してきてすぐ生まれたのではないか、という想像も可能かもしれません。
いずれにしても彼は 1890年10月15日の夜に New Orleansの Basin Streetで起きた警察の最高責任者 David Hennesseyがショットガンで射殺された事件(犯人はマフィアのメンバーではないか?ということで容疑はイタリア系移民に向けられ、裁判の結果 6人が無罪、他の 3人についても差し戻しが宣告されたために暴徒化した群集が刑務所を襲い、11人が射殺及び首吊りのリンチを受けたものです)について歌った曲を扱っているので、その時点では New Orleansに「いた」のでは?という推測も出来ますが、それも反論は可能です。
一方で Brownは New Orleansの暗黒街に流布した伝承にからんだ曲も作っていたようです(ただし録音は存在していないし、当時、彼と交流があった、という他のミュージシャンも、その歌詞がどんなだったかは思い出せなかったようですが)。レストランとバーのオーナーだった Billy Phillipsが Charles Harrisonによって殺害された事件(1913年の復活祭日─ 3月21日以後の最初の満月後の最初の日曜日、つまり、1913年の月齢表が無いので日付は不明。おヒマな方におまかせします。 ─ に起き、それが銃撃戦に発展し、ついには Storyville一帯が閉鎖されるような一大事件になった)がそれですが、同地区が閉鎖される、ということは、そこをナリワイとしていたミュージシャンの職を奪うことも意味しており、閉め出されてリヴァーボート上に職を求めたり、あるいは北に向かうものもかなりいた、と言われています。Brownはおそらく数々の証人たちに取材して曲想を練り上げていったものと思われます。
1920年代にタブロイド紙が普及してゴシップが容易に日々戸口にデリヴァーされるようになる以前は、ソングスターが街頭で扇情的な事件の数々を歌にして人々に伝えていた、と言われます。おそらく Richard "Rabbit" Brownの持ち歌にはそのようなトピックがふんだんに盛り込まれていたのではないでしょうか?

とある権威筋は Richard "Rabbit" Brownが 1937年に「貧困のうちに」死亡した、としています。しかし、それを確認しうる客観的な証拠は存在せず、逆に 1927年から 1937年の間の「どの時点で」死んでいてもおかしくはない、とする見方も根強くあります。またその終焉の地も New Orleansである、とする説もありますが、これまた確証はありません。

ところで、曲のタイトルとなっている James Alleyですが、実際には Jane's Alleyという、Louis Armstrongがそこに住んでいたことでも知られる市内でも最も「荒れた」地域で、警察ですらケンカの仲裁などに介入することを「ためらう」ほどの無法地帯だったそうです。Richard "Rabbit" Brownはこの街に住みついたようですが、例の銃撃戦の後でダンス・ホールや売春宿が閉鎖されるまでは街角ばかりかナイト・クラブで歌うことでカネを稼いでいたようです。収録アルバムは Cream of the Crop, 1926-1942 Roots 332など。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-10-11 23:09

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