Roosevelt Sykesは 1906年 1月31日、Arkansas州 Elmarで生まれました。しかし、彼がピアノを演奏するようになったのは Helenaに出てからだ、と言われています。
15才で彼は St. Louis周辺から各地のバレルハウスを回るようになり、その中で揺るぎない低音部や特徴のある右手のフレーズなどが鍛えられていったのではないでしょうか。 なんてエラそーなことを言うワタクシは、モチロンその足元にも及ばない「なんちゃってキーボーダー」ですから、専門の方々からは「おいっ、それはちゃうぞ!」なんてお叱りを受けることになるやもしれませんが。 その彼がレコーディングを開始したのが 1929年、Okehでの録音から、ということになります。しかるに彼はその翌年には、他のレーベルともガンガン契約しちゃうんですよねえ。 しかも、ちゃんと(ちゃんと?)そっちでは Dobby Braggや Willie Kelly、Easy Papa Johnsonなんてえ偽名を使って契約してるんでげすよ。 なんてえ悪いヤツだ!とお思いになられるやもしれませんが、ま、喰ってくためにゃあ少しでも多くリリースするっきゃないワケで、特に当時のレース・ミュージックに Okeh(にしろ他社にしろ)がそれほど大金を出してくれるワケもなく、他にも、この手を使ってたブルースマンは存在いたしますですよん。 それでも 1935年に Deccaに移ってからは、ミゴト彼の人気はブレイクし、しっかりしたプレゼンスをブルース界の一角に築き上げていったのでございました。 第二次世界大戦を経ても彼の人気が衰えることはなく、1943年、いわば大戦の真っ只中に、今度は Bluebirdとの契約を取り交わしています。 そして録音されたナンバー、彼と、そのバックを務める Honeydrippersによる I Wonderと、その曲名も The Honeydrippersという 2曲を 1945年のヒット・チャートに送り込みました。 続いて Sunny Roadもまたチャートに登場するヒットとなっています。 彼は Going Down Slow で知られる St. Louis Jimmy Odenとともに活動していますが、そっちは 7月 4日付の日記をご参照くださいませ。 その Bluebird時代のあと、1951年には United Recordsに変り、そちらでも素晴らしい作品を残しております。1955年には Imperialでの Sweet Home Chicagoがなかなか。その後、Bluesville、Folkways、Crown、Delmarkと遍歴を重ねて行きますが、どれも一定の評価をかちとっているようです。 1960年代末あたりからは New Orleansに落ち着き、1983年 7月17日の死まで、そこで余生を楽しんだ、とされとります。 彼の最後の録音は Blind Pigのために Michigan州 Ann Arbor(そ、あの Blues & Jazz Festivalのアン・アーバーね)の Blind Pig Cafeで 1977年に行ったライヴ・レコーディング、The Original Honeydrippersでした。 その商品やサービスを「一切」推薦しているものではありません。
by blues-data
| 2005-11-06 21:40
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