Roscoe Gordon
Roscoe Gordonは 1928年の4月10日(本人は1934年だ、と主張してたようですが)、Tennessee州 Memphisで 8番目の末っ子として生まれています。
父は Rosco Sr。木材伐採関係の労働者だったようです。母は Adele、専業主婦。

18才の時に「ちょっとマズいことをやって」Chicagoにフケた経験がおありのようでございます。なにをやらかしたのかは判りませんが。
1950年に帰って来た彼は Palace Theatreの Wednesday night amateur showで成功しました。
「私はホントのミュージシャンってワケじゃなかった」でも、友人は私が歌えるって知っていたし、なにしろ、その時、酒を買う金が無かったんだ」。
その時、司会をしてた Rufus Thomasから賞金として 5ドル(?)を貰っています。
Rufus Thomasは、Memphisの初の黒人音楽の番組を採り入れていた WDIAの D.J.でもあったのですが、次ぎの日、Gordonは WDIAに招かれ、「週いち」で彼自身の番組を持つようになりました。

わずか16才(自称、ね。1928年生まれなら 22才)で、ギグの経験もなく、自分のバンドも無い状態だったワケですが、やがて若い Memphisのミュージシャンを集めて「The Beale Streeters」を結成します。
メンバーには、サックスの Earl Forrest、ギターに B.B. King、ヴォーカルには Johnny Aceと Bobby Blandという構成ですが、Bobby Blandは彼のお抱え運転手でもあったようです。
ただ、番組を持つ以上はヒット曲が無い、ではハナシにならないので、WDIAのマネージャー David James Mattisは Memphis Recording Service(後の Sun Records)を設立したばかりの Sam Phillipsに彼を紹介しました。
ただ、1951年の1月に Memphisで行われた初吹き込みの時、Gordonはまだ未成年だった、とするのは1934年生まれとしたらであって、はたしてどっちが正しいのかナゾでございますよん。
そして同じ1951年の12月4日には T-Model Boogieを録音。

やたら威勢のいいピアノ・ブーギに乗せて(たぶん)Model-T Fordを歌った、まるでオーディション・トラックかテスト・トラックじゃないの?ってえ荒っぽい仕上がりの曲です。
なんたって構成が Roscoe Gordonのヴォーカル&ピアノ、そしてサックスが二本( Willie Wilks & Willie Sims )あとは John Daleyのドラムだけ、というシンプル(っちゅーより「手抜き」に近いよな気が・・・)さ。
ですからドラムが孤軍奮闘してガンバってますが、サックスも負けずにリキ入れてブロウ・・・
人数の少なさを音数やらを「ガッツ」でハネ返そう、という意気込みのなせるワザでしょうか?

しかし、1月に吹き込まれた Bootedを Sam Phillipsは Chicagoの Chess Recordsと Los Angelesの RPMの両方に売ってしまい、ために両社から Bootedが発売される、という状況が生まれたのでございます。
この曲は1952年の春に、R&Bチャートの1位を獲得いたしました。この両社の録音はビミョーに異なっており、Roscoe Gordon自身は、Chessの方が本番ので、RPMのはデモ録音のヤツっぽい、と言っております。
1960年には Jimmy McCracklinのリフにインスパイアされて作った Just a Little Bitが VeeJayのために吹き込まれ、R&Bチャートの 2位にまで上っています。ご存じのように、この曲はリッパなスタンダードとして、以後、多くのミュージシャンに採り上げられることとなりました。

しかし、それ以降の彼は ABC Records、Old Town、Jomada、Rae-Coxそして Callaとレーベルを渡り歩くのですが、それほどのヒットには恵まれず、また Just a Little Bitも著作権登記上の不備から、長いこと印税を掠め盗られています(生前にやっと著作権が認められましたが、その間の損失は巨額にのぼるでしょう)。
さて、STONY PLAIN Recordsによれば「愛のために音楽を捨て」てケッコンしたなんて表現もありましたが、Ethel Boltonとの最初の結婚に破綻した彼が腰を落ち付けたのが光り輝くマンハッタン、Barbara Kerrのもとにでした。
Old Townレーベルに Rosco And Barbaraとしてデュオで吹き込んでいるようですが、その録音はしばらくリイシューされなかったようです。
彼はクリーニング業を経営するかたわら、Barbaraが1982年に骨癌と診断されるや、三人の子供の面倒をみながら、妻の介護に集中しています。
その Barbaraが死亡した後、Roscoe Gordonはふたたび音楽シーンに戻りました。
Duke Robillardのサポートを受けて 2000年にはニュー・アルバムを発表もしたのですが、2002年7月11日、彼が1960年代の初頭に Beal Streetを後にして移って来て以来ずっと住み続けていた New Yorkの Queensの自宅で死亡しています。

葬儀は 2002年7月18日、Elmhurstの Walker Funeral Homeで行われ、New Jersey州 Lindenの Rosedale Cemeteryに埋葬されました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-10 00:18

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