Roy Milton
Roy Miltonの生まれは 1907年 7月31日、Oklahoma州の Wynnewoodです。でも、ほとんど、Chickasaw居留区*にいた彼の祖母のもとで育ったようです。

* ─ Chickasawインディアン:およそコーカソイドが表れる遥か以前の西暦1300年ころにはミシシッピー河流域の広い範囲で生活していたと思われる Chickasawは、その中心をアラバマ近辺においていたようです。それが1700年ころの各部族の移動に伴い、現在のテネシー州あたりと、同じくケンタッキー周辺とに分割されたようです。また一部のグループは 1723年に現在のサウス・キャロライナにあたる Savannah川流域からジョージア州 Augustaあたりにかけて定着しました。そこにはイギリスからの独立闘争に際し、英国側についたために1783年に土地を没収されるまで住んでいます。この分派はやがて本流であるミシシッピー河北部に復帰するまで、アラバマ周辺の峡谷などを仮りの住まいとしていたようです。しかし、1830年からのいわゆるインディアン排除思想の本格化に伴い、まず1832年にはミシシッピー東部に追いやられ、さらに1837年にはオクラホマの南西に Choctaw族(そ、Lowell Fulsonのとこで出てきましたよね。みなさん覚えてますかー?)から借りた土地に移り、1854年にはそこから一部がさらに東へ移動させられています。そして、これらの居留地制度が消滅したのが Roy Miltonの生まれる前年の1906年だったのです。しかし「消滅」したのは州法上の居留地を管理する条例などであり、Chickasawの人々が「一気に」解放され、自由に住む場所を求めて出ていった、なんて思わないよーにねん。その後も旧居留地近辺に 12,000人を超える Chickasawたちが暮らしています。


しかし Roy Miltonがブルースと出会ったのは、一家が Tulsaに引っ越してからのことだったようです。1920年代の晩期に、彼はヴォーカリストとして Ernie Fields Orchestra**に参加しています。そしてそのバンドでテキサスを公演中に、バンドのドラマーが拘留されていまったために、彼が替わりにドラマーとなったのでした。

** ─ Ernie Fieldsは Texas州 Nacogdochesで1905年に生まれ、オクラホマ州の Taftで育っています。ピアノとトロンボーンを学び、それが Tuskegee Instituteを1921年に卒業するまでのメインの楽器となったようです。やがて Tulsaで彼の最初のバンド、The Royal Entertainersを始めました。またキャブ・キャロウェイのもとでツアーに連れまわされた際に、ツアーの重要性を悟り、以後、彼のバンドはオクラホマからテキサスにかけてのツアーを行うようになります。ただ、このあたりでは、まだ the Ernie Fields Orchestraの名前は使っていないと思われ、したがって、本来なら「(Roy Miltonは)ヴォーカリストとして後の Ernie Fields Orchestraに参加・・・」が正しいかとおもわれます。
バンドは1939年には John Hammondに認められて New Yorkに招かれ、Vocalion Labelに10曲以上を吹き込みますが「T-Town Blues 」がマイナー・ヒットした以外、これといった「当たり」には恵まれませんでした。


しかし Roy Miltonは、1933年にはそのバンドを離れ、Los Angelesに移っています。そして間もなく彼は有名な Roy Milton and The Solid Sendersを作ることになるのですが、その前に Roy Milton Trio(?)を作っていた、とする資料もあります。Solid Sendersはそのトリオ時代からの女性ピアニスト Camille Howardにトランペットの Hosea Sappに、Buddy Floydのテナー、Jimmy Nottinghamのトランペット、Dave Robinsonのベースを加えたメンバーで、その Roy Milton and The Solid Sendersが1945年の12月に吹き込んだ「RM Blues 」が大ブレークして、彼自身はもとより、Specialtyにとってもその地位を確立させるものとなったのです。また、このようなスモール・コンボによるヒットはビッグ・バンドの存在に「弔鐘」をならすもの、なんて言われたりもしたようです。
Roy Miltonはその後も Specialtyに10年間在籍し、「Milton's Boogie 」、「Hop, Skip And Jump 」、「T-Town Twist (Ernie Fields Orch.のT-Town Blues との関係は不明です)」、「Best Wishes 」などのナンバーを残しています。
Specialty以降は Dootoneや King、Warwickなどに吹き込んでいますが、1960年代の終りころには、彼のスタイルがもはや「outdated」なことは明白となって来てはいたのです。
それでも、ジョニー・オーティスのショウに参加し、1970年の Monterey Jazz Festivalに出演したことによって再び注目されるようになり、ヨーロッパ公演の機会にも恵まれました。
1982年に病で倒れて以来、そのまま回復することなく、1983年の 9月18日、Los Angelesで死亡しました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-14 01:21

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