Rufus Thomas
このひとの場合、コメディアンでもあった、っちゅう「企み」好きそうなとこが、その音楽にモロ反映されてるような気がいたしますが、ひょっとするとブルースマンってみんな、そんな「おちゃらけた」とこをどっかに持ってるんじゃないかなあ。
それがリアル・ブルースのコアじゃないでしょか。
メイオールだとか、あのヘンのブリティッシュ・ブルースってのがクソも面白くないのは、そこら、マジメ過ぎるからじゃないのかなあ?
1960年代の英国のブルース・ブームっての、どっちかってえとマジメなひとばっかで支えられてたよーな気がすんですよねー。
そこ行くと、この Rufusとっつぁんにしても Gatemouthのクソじ・・・うっぷす、ゲイトマウス翁にしても、どー見たって「スナオな良いコ」って感じじゃないでげしょ。
しかも、その場で「ふざけてる」んじゃなく、存在そのものがイカレてる。
このヴォーカルを聴いてると、モロそんなふうに思えるんですよ。

Rufus Thomasは、1917年 3月26日、 Mississippi州 Cayceで生まれた、とされていますが、一方では 3月28日、Tennessee州 Colliervilleの生まれ、としている資料もあります。
Mississippi Writers & Musicians ( Starkville High Schoolの生徒たちに、南部のブルースマンたちの伝記などを作成させるプログラムの成果を掲載したサイト)ではこの混乱の原因を、一家がヴォードヴィル芸のテント・ショーのキャラヴァンで暮らしていたことにあるのではないか、と示唆していますが、もしかすると実際の出生と、届け出地の違いなのかもしれません。
どちらにしても、そのような生活だったため、家族とともにすぐ Memphisに移っています。そしてこの街は、彼の将来にも大きく関わってくる重要な土地となったのでした。
ヴォードヴィル芸を生業とする家族の中で育った彼にとって、歌を唄うこと、軽妙なトークやアクションでお客を楽しませること、はある意味、遺伝的特質だった、と言えるかもしれません。
13才にしてすでに彼は Beale Streetの the Palace Theatreで行われるアマチュアのショーで M.C.をこなし、Booker T. Washington High Schoolに在学中には本格的に唄い始めていたようです。
やがて家族と同じく、ヴォードヴィル芸のテント・ショーでの生活を送るようになり、1930年代の中頃にはすでに the Rabbit Foot Minstrelsや the Georgia Dixon Traveling Show、さらに the Royal American Tent Showsで活躍するプロフェッショナルなコメディアンでした。

その彼が Memphisに「戻り」 Robert Counceとともに Rufus and Bonesとしてタップ・ダンスとスキャットのコンビを組んだのは1940年代になってからのようですが、その正確な年次は不明です。
その後ブルースを自分でも作曲したり、その吹き込みを1940年代前半に行っている、とした資料も存在するようですが、こちらも正確なことは判明していません(本人の曖昧な記憶では 1943年じゃないか?だそうですが、一番早い時期を主張する説では彼の初録音は1941年だとか・・・)。
彼の「音楽」の初録音の時期はともかく、それ以上に Memphisのミュージック・シーンに関わってくることになるのは、その当時としてはそれほど多くはなかった「黒人の経営者によって運営され」ていた放送局のひとつ WDIAの D.J.(〜1974)となってから、とするのが妥当でしょう。
また地元 Memphisのナイトクラブにも出演するようになっていますが、(前述のように、彼自身の記憶では 1943年だと)1949年には Texas州 Dallasの Star Talentというマイナー・レーベルをやっている Jesse Ericksonという男が Memphisのナイト・クラブ Currie's Club Tropicanaで演奏していた Rufus Thomasのとこに現れ、レコードにしたいので録音してもいいか?とテープ・レコーダー持参で交渉して来たそうです。
Rufus Thomasは承諾し、そこでジャンプ・ブルース系のナンバー、I'll Be Good と、より「ブルージィな(?)」I'm So Worried という 2曲を録音し、それは Star Talent Records 807として78回転の SP(!)として発売されましたが、Rufus Thomasによれば「 5枚売れた。そのうち 4枚はオレが買ったんだけど」だそうでございます。

今ではたぶん本人もどんな曲だったか思い出せないような幻の初吹き込みはこのぐらいにいたしまして・・・
Sam Phillipsの Sun Recordsは1950年にスタートした「Memphis Recording Servis」(そのモットーは "We Record Anything - Anywhere - Anytime."でした)から発展して1952年に設立された Sam Phillipsのレーベルですが、Rufus Thomasは1951年からその Memphis Recording Serviceに吹き込みを開始しています。
そしてあの Big Mama ThorntonのHound Dog 人気に便乗したおちゃらけアンサー・ソングBear Cat を1953年にリリースし、見事(と言って良いのだろうか?)R&Bチャートの 3位にまで到達したのです。
しかし、この曲はオリジナルの「Hound Dog」に肉薄するあまり(?)Jerry Leiberと Mike Stollerからなる原曲の「著作権」に抵触する、として訴訟沙汰になってしまったのでした。
もっとも Rufusとっつぁん、そんなことでメゲるでもなく、それを逆に売り物にして、なにかというと Dogネタを連発する「懲りない」とこを誇示し、 Walking the Dog やらCan Your Monkey Do the Dog and Jump Back なんていう曲を連発すんだから、「いい根性」してます。
あ、そのセンとは別に(こっちは猫族つながりか?)Joe Hill Louisをスタジオに連れ込んでTiger Man ってのも吹き込んでますが。

ま、それよりも Stax(まだこの時点では Satelliteですが)にとって重要だったのは、娘の Carla Thomasとデュエットで吹き込んだCause I Love you のローカル・ヒットでしょう。この曲が売れたばっかりに Jerry Wexlerというハイエナ・・・うっぷす敏腕プロデューサーに嗅ぎつけられたワケで、そこから Staxの栄光と転落の両方が始まったのでした。

言わば Staxの1970年代は終末へのカウント・ダウンでした。この時期、その主力は the Soul Children、the Staple Singers、Frederick Knight、Jean Knight、Rance Allen、Mel and Tim、the Emotionsといった次の世代へと移っています。
Rufus Thomasはこの時期、TV出演や1973年の the LA Forumで行われた Wattstaxのコンサートに Con Funk Shunの一員として出演するなど、数々のライヴ・シーンに活躍の場を見出しています。
ケッキョク彼は1975年12月19日に裁判所によってついに Staxの「破産」が宣告されるまで、律儀(?)にも同社にとどまったのでした。
その後もライヴ出演や D.J.をしつつ録音もしているようですが、1988年の Stax Reunionに娘の Carlaや William Bell、Johnnie Taylor、Eddie Floyd、そして the "new" Sam and Daveなどとともに集結しています。そして同年 King Snake Recordsに吹き込んだThat Woman's Poison! は Alligatorから発売されています。
1992年には Rock and Roll Hall of Fameの殿堂入り。
1996年には Atlantaオリンピックにも出演(出場じゃないぞ)していますが 1998年、心臓の手術を受けて以来、健康がすぐれず、2001年12月15日、「世界で最も年寄りな teenager」は死亡しました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-14 01:36

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