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Curley Weaver
Curley Weaverの本名は James Weaverです。
1906年に Georgia州の Newton Countyで、Jim & Savannah Weaver夫妻のもとに生まれました。
Barbecue Bob(弟: Robert Hicks)や Charlie Lincoln(兄: Charlie Hicks)のとこでも書いたとおり、母の Savanahは Hicks兄弟と息子の Jamesにギターを教え、それ以来この三人は結びつきを強めていくことになります。
10才ですでに彼はギターを演奏し、場合によっては自分より年上の Hicks兄弟(兄は 6つ、弟でも 4つ上)とも共演するようになったようです。
ただ、Jamesは世俗の音楽しか残していませんが、母は教会での音楽だけを演奏していました。
どうやら彼がギターを習っていたのは母からだけ、というワケじゃなく、周辺のミュージシャンたちからも多くを学んでいたようです。それは例えば Judd Smithや Nehemiah Smith(どっちも資料がみつかりません。でも、Curley Weaverの長年の友人という Roy Dunnってえひとによれば彼がイチバン影響を受けたのは Nehemiah Smithだそうです)だったり、Blind Buddy Keith(詳細不明。1943年の Folk Festivalに名前が出て来てますが、それがこのひとかどうかは「?」です。)、Charlie Jackson( Papa Charlie Jackson。1924年に始まった Paramountのレコーディングに始めて登場したブルースマンとして知られています)、そして Harry Johnson(詳細不明)などでした。

Charlie Lincolnのとこでも触れましたが、Curley Weaverは仲間にも人望があり、多くのミュージシャンにも慕われていたようですが、やはり Hicks兄弟や Harmonica wizardと呼ばれた Eddie Mapp( alt. Mappe。ところで、Curley Weaverはそれに呼応するかのような「 Georgia Guitar Wizard」の異名を持っています)との結びつきがとりわけ固かったようです。
1925年には Eddie Mappとともに Atlantaに移り、先行していた Hicks兄弟とまた一緒になり、それ以後、彼はこの街のブルース・シーンを語る際に欠かすことのできない存在となっていきました。
1928年の10月には、先に Columbia Recordsから Barbecue Bobとして「売り出され」看板ともなっていた Robert Hicksのおかげで彼もレコーディングをすることが出来たようです。
この時レコーディングされたのが、母の Savanahの作った「No No Blues 」ですが、これは Barbecue Bobが既に吹き込んでいた「Yo Yo Blues 」のリメイクでもあります。
後には Eddie Mappや Guy Lumpkinとともに New Yorkにまで出向いて QRSレーベルに再度「No No Blues 」を録音しました。
1930年には Columbia Recordに Barbecue Bobと Buddy Mossと一緒に The Georgia Cotton Pickersとして録音をしています。
さらに、女性ヴォーカリストである Ruth Willisや Lillie Maeなどのバッキング、また Blind Willie McTellや Buddy Mossとの演奏も行っているのですが、子供のころからの友人であった Barbecue Bobが死んで Charlie Lincolnも活動しなくなり、さらに Eddie Mappも殺害されるにいたって、彼の環境は大きく変わってしまいました。
1933年には、ふたたび New Yorkに録音に訪れています。この時は Ruth Willis、Buddy Moss、そして「 Man Of My Own」でも共演しているスライド・ギターの Fred McMullenと一緒でした。そして American Record Companyでソロとしての活動をスタートさせているのですが、ここで最初に吹き込んだのもまた「No No Blues 」だったのです。

その後 Curley Weaverは Buddy Mossと Blind Willie McTellとも吹き込んでいます。
一方、「 Man Of My Own」を歌っている Ruth Willisもまた Blind Willie McTellと共演しており、その時の録音が Blind Willie McTell:Complete Recorded Works, Vol.2 (1931-1933)に 4曲収録されているのですが、その中には Curley Weaverの参加した「 You Was Born To Die」も含まれております。

1935年には Deccaレコーディングに向かう Blind Willie McTellに随行して Chicagoに行き、戦前では最後のレコーディングを行っています。Atlantaを中心に Buddy Mossとともに演奏を続けていたようですが、1949年に Regalが Atlantaにカントリー・ブルースを収録に来た際に McTellとともに吹き込みをしています。また Weaverは Sittin' In Withにも録音をしていますが、この Regalと Sittin' In Withに行われた録音はまだリイシューされてないんじゃなかったっけ?おそらくこの時が彼のラスト・レコーディングだったようです。
1950年代の後半にはあまり活動もしなくなっていたようですが、1959年には、前からあまり良くなかった眼の状態が悪化してついに失明にいたりました。
これによって完全に演奏を断念した彼は Atlantaから Almonに移り、そこで1962年 9月の死まで、短い余生をそこで送ったのです。
決して儀礼的な意味ではなく、死後も彼のことを悪く言う人間は居なかった、といいます。
誰もが彼の音楽と人格を「喜びをもって」回想した、と。
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by blues-data | 2005-11-14 01:49

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