Scrapper Blackwell
Francis Hillman "Scrapper" Blackwellは South Carolina州 Syracuseで、Paytonと Elizabeth Blackwellの間に 16人(!)の子供の一人として 1903年の 2月に生まれました。
本人は Cherokeeの血が入っていると主張しておりましたが、彼の写真はある程度、それを裏付けている、とする声もあります。ま、そのへんは「?」つきにしといたほうがいいのかも・・・

彼の父はフィドルのプレイヤーだったようですが、彼は自分で葉巻の箱と木っ端、それに針金とでギターを作り上げ、弾いていたといいます。
また、場合によってはピアノも「かなり」弾けたそうですが、その前にどうやら一家は、彼が人生の大半を過ごすことになった Indianapolisに移っていたようです。
ただ、彼の場合も、その早い時期についてはあまり詳しいことは判っておらず、特に彼を再発見した、とされる Duncan Scheidtの表現によれば、彼は「多少内向的、時々不気嫌。」とのことで、あまり「話し好き」とは言えず、自分のことを語りたがらなかったことにも起因しているのでしょう。

彼のギターについては、Willie Harrisと、Blind Lemon Jefferson、そしてかって彼の家族がいた Syracuseあたりで聴いていた「かもしれない」 East Coast Piedmontスタイルの残滓を指摘するむきもありますが、そのヘンのことは聴く側の主観(ならびに嗜好)が大きく左右しますので、安易な推論はヤメときましょ。
さて、10代ですでに彼はパートタイムのミュージシャンとして働き始めていて、時には Chicagoにまで出向いていたようですが、だんだんと「気難しい」面が前面に出て来て、一緒に「やりづらい」ミュージシャンになっていったのだとか。
もちろん、それにも例外があり、それがあの Leroy Carrとのパートナーシップでした。
Scrapper Blackwellが Leroy Carrと出会ったのは 1920年代の中頃、 Indianapolisでだったそうですが、以来この二人は時代を代表するような名コンビとしておよそ 1928年から 1935年にかけて 100曲ほどを残しています。
このデュオが訪れた土地も中西部から南部にかけて、Louisvilleや St.Louis、Cincinnatiに Nashvilleなど、広範囲にわたり、大きなプレゼンスを獲得した、といっていいでしょう。
ただ、Scrapper Blackwell自身は Leroy Carrに出会って Vocalionのために 1928年の 7月にレコーディングをしたことによりそのコンビネーションが高く評価されるようになるまでは、自分のことをプロフェッショナルなミュージシャンとは捉えていなかったようで(事実、1920年代の彼はすでに酒の密造で「身を立てて」いたよーですからね)さほど自分の才能というものを重視してはいなかったようです。
あるいは本業(?)の「 Moonshiner」をほっとけなかったからなのか、Indianpolis以外でのレコーディングにはあまり乗り気ではなかったと言います。よく録音に使われた Richmondも同じ Indiana州だし。

さて、彼自身のレコーディングは 1928年 6月16日の Kokomo bluesと Penal farm bluesが最初、とされています(ただし、この時期については異説もあり、6月19日に録音された How Long How Long Bluesによって評価されてから、つまり 1928年の終り近く、とするものです) 。
同年 8月15日には Mr. Scrapper's blues、Down and out blues、Trouble blues - part 1、Trouble blues - part 2の 4曲をレコーディング、さらに翌1929年の 2月15日には Non-skid treadを吹き込み。さらに 3月19日には Be-da-da-bum、1930年 2月 4日には Springtime bluesを、そして 1931年11月24日が Rambling blues他の全 6曲。
1934年 2月21日には Morning mail bluesと Blues that make me cry、1935年 2月25日には D blues と A blues。

しかし、この1935年の 4月29日にはパートナー、Leroy Carrが主として酒に原因がある、とも言われた急性腎炎(あるいは肝硬変?)で死亡してしまいます。
その後、7月 7日のセッションでは My old pal bluesにサブ・タイトルとして「 Dedicated to the memory of Leroy Carr」としてあります。この時は他に、Bad liquor blues、Alley Sally blues、No good woman bluesもレコーディング。翌日にも Motherless boy blues、Wayback blues、Texas stompの 3曲を吹き込んでいます。
最初の吹き込みの Kokomo bluesが Kokomo Arnoldを経て、Robert Johnsonの Sweet Home Chicagoにまで発展して行った・・・てなハナシは置いといて、と。

Leroy Carr亡き後、Scrapper Blackwellは音楽にまつわる意欲を失ってしまったかのようで、またもやコツコツと(?)密造酒造りに戻ったようですが、禁酒法の撤廃により、その業務も以前ほど実り(?)多いものでは無くなってたと思うんですがねえ。ま、それはともかく、彼の消息は音楽業界からカンゼンに消失してしまいます。1959年までは、ね。
ブルース・ファンの Duncan Scheidtによって見出されたとき、彼はもう 15年以上も演奏していなかったことになります。
Duncan Scheidtは彼が演奏を再開できるように尽力し、それは Documentの CDとして結実しました。

これによって、再び世に出るか、と思われた矢先の 1962年、彼は Indianapolisの裏通りで撃たれ、落命しています。
それは、Prestige / Bluesvilleのために LPの吹き込みを終えて帰るところだった、とも伝えられていますが、 この事件の真相はいまだにナゾで、未解決のまま歴史の闇に溶け込んで行ってしまいました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-15 00:51

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