Sippie Wallace
1898年11月11日に生まれた Beulah "Sippie" Thomasはテキサス州 Houstonで育ち、バプティスト教会の宣教師だった父のもと、教会でピアノを弾いたり歌ったりしていたようです。
ただ、小さいころから夜になると家から忍び出して、地方のヴォードヴィル・ショーや、テント・ショーに通っていたみたい。
10代の前半で彼女と兄の George、弟の Hersalはテキサス州各地を廻るテント・ショーに加わって演奏を始めています。
1915年には New Orleansに移り、兄の Georgeと暮らしていましたが(ただし、これを Hersalと一緒にニューオーリンズに出た、とする資料もあり、多少の混乱が見られます)、1917年には Matt Wallaceと結婚。
そのニューオーリンズにいる間、彼女は兄の友人だった King Oliverや Louis Armstrongのようなジャズ・ミュージシャンと出合っています。

1920年代の初頭には彼女を「The Texas Nightingale」と謳ってツアーを組んでいた the TOBA vaudeville circuitに参加し、1923年には先に Chicagoに出た兄弟を追って北上し(ただし兄弟と一緒にシカゴに行った、としている資料もあります)、シカゴではカフェやキャバレーで演奏を開始しました。
同年末、彼女は Okeh Recordsと契約し、「Shorty George」と「Up the Country Blues」の二曲を吹き込み、そのヒットによって彼女はいちやくスターとなりました。
Okehにはそれ以降1929年まで、40曲ほどを録音しています。
このアナログ・ディスクに付いてきた日本盤のライナーの中で、中村とうよう氏は「Women be Wise」を1929年の作品、と紹介していますが、どうも Discographyでは発見出来ず、でございました。
1926年には彼女の弟の Hersalがわずか 16才で食中毒(?)で死亡していますが、しばしば兄弟が音楽を供給することもあるものの、ほとんど彼女自身で多くの曲を書いていた、という点で古典的ブルース歌手にしてはユニークな存在だったと言えるでしょう。
サイドマンにはニューオーリンズの最良のミュージシャンとも言うべき King Oliverや Louis Armstrong、Eddie Heywood、Clarence Williamsに Sidney Bechet、そして Johnny Doddsなどなど、が揃っています。
1929年には彼女は Detroitに移り、1930年代の始め、ショウ・ビジネスから身を引いていますが、その理由として、音楽ビジネスの周辺にイヤ気がさした、とするもの、一方ラジオの普及によるレース・レコード・ビジネスの退潮によるとする資料などが存在し、ちょっと判断に迷うところです。
しかし、1935年と1936年、彼女の叔母の Lillie、彼女の夫の Matt、そして兄の Georgeまでが(彼だけは路面電車に轢かれた交通事故によるものでしたが)相次いで死んでしまいます。
この不幸によってもたらされた「ココロの空白」を埋めるため、彼女はデトロイトの the Leland Baptist Churchのオルガン奏者およびシンガーとして、ブルース・シーンからは身を退いてしまったのでした。
その「お務め」は以後 40年も続き、そして1945年の 9月に一日だけ Mercury Recordsのためにレコーディングをした以外、1966年のカムバックまで、ブルース・シーンに浮上してくることは無かったのです。

その彼女のカムバックは Victoria Spiveyによるところが大きいでしょう。
1965年に、一部のファンによって彼女の再評価が始まり、しかも本人が現在も生存しており、かつ教会で、とは言え「現役の」ミュージシャンであることが判明し、Sippie Wallaceのカムバックを期待する声が高まってきたのを受け、「悪魔の音楽」の世界に戻ってきたのですが、それを助けたのが友人の Victoria Spiveyでした。
一緒にフォーク・ブルース・フェスティヴァルに出演し、ふたりで組んだアルバム『Sippie Wallace and Victoria Spivey』を、次いで彼女のソロ『Sippie Wallace Sings the Blues(1966 Storyville label)』をリリースしています。
また、ディスコグラフィーによれば、Alligator Recordsから1992年にリリースされた『Women Be Wise』 ALL4810も Roosevelt Sykesと Little Brother Montgomeryを伴奏者として、1966年に録音されています。また、その翌年には the Jim Kweskin Jug Bandと Otis Spannと一緒にスタジオ入りし録音をしたのですが、この時のテープは実に1990年代の初頭に Drive Archive labelから『Mighty Tight Woman』として発売されるまで陽の目を見なかったのです。

1970年には発作を起こし、以来、車椅子での生活となりますが(つーことは Ann Arborでもそうだったんですね)1980年代に入るとライヴやレコーディングを再開しています。
1982年には Bonnie Raittの仲介で Atlantic Recordsと契約、その Bonnie Raittも参加したそのアルバムは1983年に発売され、W.C. Handy Awardの年間ベスト・ブルース・アルバム賞を獲得、またグラミー賞のトラディショナル・ブルース部門のノミネート作品ともなりました。
1983年と1984年にはドイツのブーギ・ウーギ・ピアニスト Axel Zwingenbergerとツアーし、レコーディングも行っています。
彼女のラスト・コンサートは1986年5月のドイツの Mainzでのライヴでした。そして同年11月、彼女の88才(つまり「米寿」ですな)の誕生日に世を去りました・・・って、ん?この資料じゃあ 11月11日じゃなく、11月1日になってるぞう?およよ、誕生日に「異説」登場!

「Women Be Wise」は Atlantic(Warner-Pioneer) P-5090〜1A『ann arbor BLUES & JAZZ festival 1972』に収録されていますが、他に Alligator ALL4810 『Women Be Wise』、Atlanticの『Sippie. With Bonnie Raitt』などにも収録されています。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-15 20:33

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