Tabby Thomas
さて、Hey Bartenderと言えば、そりゃもう「あの」ジョン・ベルーシ & ダン・エイクロイドをフロントに、マット・マーフィー、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダンにトム・マローンてなツワモノどもを配した大プロジェクト(?)、Blues Brothersが真っ先にアタマに浮かぶのはこりゃもうとーぜんでございましょう。
あの、揃いの「 Men In Black」そのままに黒のスーツにサングラス、ハープがギッシリ入ったスーツ・ケースを手錠で手首とつなぐ、なんてえ演出も実にツボにはまって、あの当時はブルースなんてそれまで聴いたことなんてなかった人までも、Blues Brothersなら知ってる、っちゅーブームを巻き起こしたものでございました。
特にあのファッション、あるいはコンセプトが日本のポップ・シーンにも数々の影響を与えたのは、みなさまもご存知の通りでございます。

がっ!(と別にリキむほどのことではございませんのですが)本来の Hey Bartenderはそれとはちょっと、いえ、いささか、いやいや、そーとーに違っております。
あんなメリハリのあるビートの強い仕上がりじゃなく、むしろ 4ビート系の流れるようなバックに、これまた、けっこうメローでジャズィな(?)Tabby Thomasのヴォーカルが乗って、もっとバーっぽく(?)なっております。
でも、この Tabby Thomasはん、EXCELLO DBL28025のTHE EXCELLO STORY に収録されてる Hoodoo Party( 1962年 Crowley録音、バックにはハープの Lazy Lester、ピアノの Katie Webster、そして歌えるドラマー Warren Storm─Mama Mama Mama Look What Your Little Boy's Done Nasco 6015─などがバック)では、もっとリズムの強いブレイクたっぷりのダンサブルな R&B系ナンバーやってますから、それからすると、このツルんとした Hey Bartenderでのテクスチュアはちょっと距離があります。

ただし、アルバム Swamp Man Blues( 1999年 Aim Records 1203)は、そのタイトルにも関わらず、かなり総花的な、カントリー・ブルースっぽいのからステディなブーギ、さらにガンボっぽいのまで、なんでも突っ込んである、みたいな作りになってるよな気がいたしますから、ちょっと一筋縄では行かないのですが。
この Hey Bartenderも、どれ、ちょっとおじょーひんなバーの雰囲気でも、なんてノリだったのかもしれません。
そんなワケで、あまりに Blues Brothersのとちゃうので面食らう方もおられるかも。

Ernest Joseph Thomasは 1929年 1月 5日に Louisiana州 Baton Rougeで生まれています。なんでか、子供のころは T-Booと呼ばれていたらしく、それが後に Tabbyとなったもののようでございます。
祖父は地区の教会の創始者のひとりだったようで、その縁で彼も教会の合唱隊に加わるのですが、母は当時 Victorolaを持っており、それで Son Houseなどをよく聴いていた、といいますから、ここでも聖と俗の絶妙な(?)ブレンドがあったのでしょうね。

やがて高校に進んだ彼は McKinley High Panthersの QB(クォーター・バック)となったのですが、ここでのボール扱いの見事さ(ズルさ)から Tabby(ぶち猫)と呼ばれるよーになった、と本人はインタビューで語っております。
この頃の彼はフット・ボールに人生を捧げる、くらいの気持ちになっていたそうですが、Good Rocking Tonight の Roy Brownを見たことで大きく方向を転換することになったのでした。
それからというもの、B.B.や Lowell Fulsonの演奏に通い、どんどん感化されてったんでしょね。

高校を卒業後、彼は空軍に入っています。この間の彼は基地にあるフット・ボール・チームでクォーター・バックを務め、かつ、基地内のクラブで唄うことも続けていました。
後に配属された California州 Riverside基地での勤務を最後に彼は退役したのですが、その土地の居心地の良さから、西海岸にとどまったようです。
彼は San Franciscoの、ミュージシャンが多く暮らしていた、と言われる Gary Streetに住むようになり、そこで知り合った仲間に薦められてタレント・ショーのオーディションを受け、地元局 KSANの DJ、Fatso Berryの目にとまり、そのまま Ellis Theaterでのコンテストにも出場することとなりました。そこでは Etta Jamesも打ち負かし、僅か 15$の賞金ながら、グラン・プリを獲得しております。

当時の彼は靴屋の店員をしていたらしいですが、昼休みの時間に遊びに行ったスタジオでは Larry Williamsがレコーディングをしており、ちょうどそこに居合わせたプロデューサーの Ollie Huntが、前述のコンテストで優勝した彼に気がついて、一曲唄わせてみることにしたのでした。
この時の録音は Hollywood label RIH 237Midnight is Calling / I'll Make the Trip ( B面は次の日の昼休みに録音!)としてリリースされ、San Franciscoのジューク・ボックスから流れ出すこととなります。この時、全部で 6曲以上を吹き込む契約を結び、その対価として 150$を獲得!
しかし、その直後、彼は未成年の女子との淫行(!)によって有罪を宣告され、刑務所に収監されてしまいました。刑期は二ヶ月という短いものではありましたが、これを機に彼は西海岸を去り、Baton Rougeに戻ったのです。

ところで、その彼の西海岸でのシングル、RIH 237の B面I'll Make the Trip を自分の番組のテーマとして使っていた地元( New Orleansね)の DJ、Ernie the Whipのおかげで、そこそこの知名度は保たれていることを知った彼は、西海岸以来の友人でブッキング・エージェントでもある Alex Shawの助力を得て「酒」への依存も断ち切り、立ち直ることに成功したのでした。
そうして迎えた前述の Jay Millerによる 1962年の Crowley録音のHoodoo Party Excello 2212が彼の最大のヒットとなったのです。

しかしその後も彼は昼の仕事を続けたらしく(結婚─1953年に Jocelynという女性と─して子供が出来たもんだから、育てなきゃならん。苦しいときなんて、辻強盗しようか、なんて思ったくらいさ)、特に 1970年代のディスコ・ブームでは Baton Rougeのブルース・シーンはすっかり下火になってしまったらしく、不遇の時代でもあったようですが、彼はそれに逆らうかのように空きビルを借りて「ブルース・クラブ」をオープンさせました。

この 1980(alt.1983)年に出来た Tabby's Blues Boxは、なんせド素人が始めた店ゆえ、酒類販売許可証の必要性すら知らず、それを教えてくれた客(後に彼の弁護士となった John Digillio)などに助けられ、それでも次第に地域に根を降ろして Tab Benoitのようなミュージシャンを生み出していったようです。
やがて、この店は Baton Rougeでも重要な存在となり、地元局 WBRH-FMに自分の番組を持つまでになりました。

彼の音楽についての自己紹介─"Semi-laid-back jump rockin' blues with a little touch of jazz in it"─これにはホント笑っちゃいましたが、まさに Hey Bartenderなんて、この表現がピッタシじゃございませんか

2002年の 10月には New Orleansで自動車事故のため重傷を負ったようですが、今では彼の息子、Blues-rock/rap fusion(なんじゃそりゃあ)ミュージシャン Chris Thomas Kingの「父」として名前が出てくる時代になりつつあるようです。
ま、ワタクシはその Chris Thomas Kingっての聴いたことはないんですが。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-12-12 21:48

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