Tommy Johnson
RBF 14『BLUES ROOTS/MISSISSIPPI』に針を落とすと(そ、アナログ・ディスクなのよん)軽いスクラッチ・ノイズを追い散らすように、Tommy Johnsonの落ちついた歌がキュート(?)なギターに先導されて滑りだします。ちょっと喉声かな?なんて思って聴いてると、Dからのブルースなんですが、1コーラス目はフツーなんだけど、2コーラス目以降、9小節目の Aから12小節目までは、ミゴトな裏声、つーかブルーグラス系にタマ〜にあるよな「ヨーデル発声」になっちゃうじゃないの!そ、これは「ファルセット・テナー」とかゆうんじゃなく、まんまヨーデル!それを「ブキミ」と表現しちゃうのはどーかと思うけど・・・ Canned Heat Blues

Tommy Johnsonは、Mississippi州の州都 Jacksonの 20マイルほど南にある Terryの近くの George Millerのプランテーションで13人の子供のうちの1人として、およそ1896年ころ生まれた、と思われます(この説は Encyclopedia BRITANNICAも採用)。
ただし、異説として、生年については、1880年(by Art Rosenbaum)が、また生地(「せいち」。きじ、じゃないぞう)については Copiah郡の Crystal Springs(by Ishman Bracey)とする説もあります。でも、それは、もしかすると、どっから来た?という問いに対して Tommy Johnsonが気楽に答えたのから「類推(はたまた誤解?)」したものじゃないか?っつー気もするのでございますが。

彼の家族は1910年ころに Crystal Springsへ移ったもののようです。
ただし、これにも異説はあり、Tommy Johnsonが「単独」で「逃亡」した、としている資料もあります。
彼の家族はみな音楽に縁があり、叔父や兄の LeDellはギター、他の親戚もブラス・バンドをやっており、兄がギターの基本を教えてくれたようですね。
このファミリーは揃ってパーテイなどで演奏して得られる報酬を小作人契約の土地代の支払いのタシにしてたようですから、ヒョっとして、そんなせーかつがヤになって、「あがり」を独り占めしたくて「逃げ」たのかも?

1916年に、彼は Maggie Bidwellと結婚し、ふたりは Yazoo Deltaの Drewにあって Dockery’s Plantation( Dockery Farm)にも近い Webb Jenningsの Plantationに移ります。
その後 Johnsonが、たとえ何人の妻を持ったとしても、この最初の妻こそが「不朽の名作」、あの「Maggie Campbell Blues」のキッカケとなった、とゆーのは定説になっとるようです。
ま、そんだけ「女癖」が悪く、多くの女性と関わった「困ったヤツ」だったらしいのですが。

やがて Charley Pattonやローカルなギタリスト Dick Bankston、さらに Willie Brownなどの影響でデルタ・スタイルに接近した、なんてブンセキもあるようですが、そのワリにはちょっとデルタ離れ(?)したとこもありますよね?
どうも Tommy Johnsonのブルースは、その音を聴く限り、意外な広がりを持っているように思われます。例の「Canned Heat Blues」にしても、リズムの切り方がミョーに「ファンシー」なよな気がするんですよ。そこにもってきてあのヨーデルですからねえ。
それとは別に、彼は Charley Pattonからギターを使った「演出」を受け継いだようで、まるでギターがロバで、彼がそれにまたがってるみたいに足の間で弾いたり、後にはみんながやり出す、アタマの後でギターを弾く、あるいはギターを空中に投げ上げるなど、アクロバティックなアクションを見せています。

さて、いまやリッパな(?)アル中&女蕩しとなった Tommy Johnsonが Crystal Springsに帰って来たのが1920年。ファミリーとの音楽的なつながりを復活させています。
彼は小作人の生活に戻り、Jackson周辺で週末のパーテイに出演してチップを稼ぎ、綿花摘み人足に給料が払われたころを狙ってデルタ各地で演奏して歩きました。

1920年代の初頭には Charley Pattonと一緒に Greenwoodや Moorehead(鉄路の交差する有名なポイント「the Southern Crosses the Dog」で W.C. Handyの「Yellow Dog Blues」で知られる)周辺で演奏していたようです。
どうやら彼は、自分の名声を高めるために、ことさら迷信を利用し、St. Louisのブルース演奏者 Peetie Wheatstrawにならって、「悪魔の義理の息子」を自称し、自らの外貌を不吉な影で包みました。
兄の LeDellによれば、彼は Crossroadで「例の」契約をした、と主張していたそうですから。
それは後の Robert Johnson(直接の接触は無かったようですが)にも採り上げられることによって、さらに有名な逸話となっていきます。
当然ラビット・フットなど呪術的なものを身辺に採り入れ、魔術的な雰囲気を漂わせていた・・・
ただ、後の「お馴染み」 Screamin’ Jay Hawkinsのよーに、さらに「VooDoo」までを表立って利用する、なんてとこまではしてないようですが。
そのヘンは当時の黒人社会での「迷信」の「トレンド」の変遷(およびその「重さ」の変化?)を追ってみないと判らないのかもしれませんね。

1928年の 2月に、彼はギターの Charlie McCoyとともに Memphisで Victor labelのために吹き込みをしています。
その録音がそこそこ売れたので、引き続き同年8月にも録音が行われました。
そのセッションに含まれていたのが、「Canned Heat Blues」です。もはやアル中も進行して、酒だけでは飽き足らず、合成アルコール(?)まで呑んでいたそうで、その状態がもたらした「曲」だったのではないでしょうか。
さらにその後もアルコールについて歌った「Alcohol and Jake Blues」なんて曲もあります。この曲は Son Houseや Skip James、そして Charley Pattonなどが録音した「栄光の」スタジオ、Wisconsin州 Graftonの Paramountスタジオにまで出向き、1929年の12月にレコーディング(もち Paramountレーベルのために、ね)したものですが、その時のセッションが、彼の最後のレコーディングとなりました。

世界的な大恐慌が、Paramountの凋落ばかりか、レコード業界そのものにも打撃を与え、彼に録音の機会が与えられることがなくなってしまったのです。
メディシン・ショーや近隣のパーティなどでの演奏は続けていたようですが・・・
しかし彼の残した曲も唱法も奏法も、後のブルースには大きな影響を与えています。
例えばウルフの Cool Drink of Water Blues もそのひとつだし、 Houston Stackhouseはまだギターを覚えたてだった Robert Nighthawkに Tommy Johnsonのナンバーを教えていました。

その Tommy Johnsonが Mississippi州 Crystal Springsで死んだのは、1956年11月1日。
パーティーをした後に心臓発作を起こしたものです。生前、悪魔との契約や民間信仰の禁忌で武装していた Tommy Johnsonでしたが、遺骸は「普通に」Mississippi州 Crystal Springsの Warm Springsメゾジスト教会の墓地に埋葬されました。



reserched by Othum: Blues After Dark


注!この下に表示されている広告はエキサイトが勝手に掲載しているものであり、当方は
その商品やサービスを「一切」推薦しているものではありません。






[PR]
by blues-data | 2005-12-20 11:49

[ BACK to BIO-INDEX ]