Washboard Willie
Washboardっちゅうと、「あの」洗濯板の他に、ありとあらゆる音が出そうなガラクタをいっぱい付けて、なにやらドガチャカと賑やかに、でもプリミティヴなブルースをやりそうなイメージがあるのですが、この1973年の Ann Arbor Blues & Jazz Festivalでの Washboard Willieのナンバーは、ランニング・ベースに乗せて軽快にトバす 4ビートに彼の滑らかなヴォーカルもキモチいいスマートな仕上がりなのでございますよ。トリオでこんだけの充実度があるんだからタダモノじゃありませんなあ。

Mr.Boの If Trouble Was Money の段にも登場いたしました Washboard Willieが彼のバンド、Super-Suds of Rhythm(Sudsってえのは泡立った石鹸水のコトですよん。)とともに出演したライヴの録音でございます。P-Vine PCD-4782/3(2枚組みなんですが、そのうちの「 Jump」盤、vol.3にはこの曲がそのままディスク・タイトルとして採用されています)

William Paden Hensleyは Georgia州 Columbusで( alt. Alabama州 Phenix City生まれで、Detroitの前は Columbusにいた、という資料もあります)1909年の 7月24日に生まれています。
成長していった過程は定かではありませんが、31才の時にパーカッションに目覚め(?)以来ウォッシュボードやフィンガー・シンバル、フライパンを身につけて「ひたすら」叩きまくっていた・・・
その彼が Detroitに移ってきたのが 1945年と言われています。
そして1948年には Detroitの北部に移り、Car Wash( Motor Cityの異名をとるだけに、この町では自動車関係の仕事が多く、ここでのそれが一般的な洗車サーヴィスなのか、あるいは、生産ラインのフィニッシュで「トリートメントを施す」仕事なのかは判りませんでしたが)の仕事につきました。
そして次第に他のミュージシャンと知りあう機会も増え、Calvin Frazer(
b.1915.9.16-d.1972、ヴォーカル&ギター。Arkansas州 Osceola出身で1930年代には Robert Johnsonとも一緒に演奏していた、という経歴を持つ。初吹き込みは Alan Lomaxによる 1938.10.16 Walfare Blues 、Baby Boy Warrenのバンドでは Washboard Willieと一緒になっている )や Little Sonny( Aaron 'Little Son' Willis、1932.10.6, Alabama州 Greensboroで生まれる。1953─1954とする資料あり─ 年に Detroitへ。Washboard Willieが彼に「音楽で」カネを払ってくれた最初の人間となる。1958年には自己名義で JVBに初吹き込み。I Gotta Find My Baby、これは Dukeでも発売されました。他に Love Shock は JVBから Excelloにリースされています。)といった人脈を形成するようになっていったようです。
1952年ころ、ジョン・リーや Eddie Burnsが出ていた Harlem Innにライヴを観に行った際、その時のドラマーがイケてなかったので外に駐めてた自分のクルマからウォッシュボードを取って来て演奏に参加したところ、二曲やったところでクラブのオーナーに気に入られたらしく、毎週、演奏しに来てくれるよう依頼されます。それから実に 3年間、そのクラブでステージに立つことになった(!)。

そして、仕事がらみの「泡─Suds」からヒラメいて、自分のバンドを Washboard Willie & the Super Suds of Rhythmと命名しています。1955年には Little Sonnyが加入しました。
1956年、Joe Von Battleに「Cherry Red Blues」、「Washboard Shuffle」、「Washboard Blues Pt. 1 & 2」などを初吹き込み。1957年から1962年にかけてはまた Von Battleに吹き込みをしています。
彼のドラム&ウォッシュボードに、Calvin Frazierのギター、Boogie Woogie Red(
Vernon Harrison:Loisianna州 Rayville生まれ。1924.10.24。若いうちに一家を挙げて Detroitに移り、Big Maceoや Dr.Claytonの影響を受けつつも自分のキーボード・スタイルを構築。1942年には Chicagoに行き、Lonnie Johnsonや tampa Red、さらに Memphis Slimなどとジャムをするようになっています。1946年には Detroitに戻り、以後14年間、ジョン・リーのもとで過ごす。1971年、ヨーロッパでのツアーに参加した彼はその反応に気を良くし、デトロイト周辺でのライヴの他に海外へのツアーも開始するようになります。アルバムは『Live At The Blind Pig』など)のピアノ、Chuck Smithのバリトン・サックスというものでしたが、そのテープは George Paulusが Von Battleの倉庫から持ち出して自身の Barrelhouse Records(そ、あの Chicago Boogie で有名な!)で1982年にリリースするまで世に出ることは無かったのでございます。

他に Herculon labelから Natural Born Lover と、有名な Wee Baby Blues(共に1966年のセッションから。Evans McLendonのギター、 Angelo Willisのバリトン・サックス)や Big Bear/Poly 2460 186があります。
1973年からは Ann Arbor Blues & Jazz Festivalを初めとして、各地のフェスティヴァルなどに参加していました。
多い時には週に 6日もクラブに出演したりもしていたようですが、レパートリィはブルースに限ったワケではなく、結構モータウン系のナンバーもやっていたそうです。
1991年 8月24日、Detroitで死亡



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-12-20 12:34

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