Willie Brown
Willie Brownについては、1900年8月6日生まれ、なんてゆう記述も存在しますが、でも、それだと、1911年に Charlie Pattonと出会った時には、20才くらいに「見えた」ってゆうのと「明らかに」矛盾いたしますねえ。
それを考えると、ktateさんの「ブルース人名辞典」にある「1890年ミシシッピー州クラークスデイル生まれで、57年同州テュニカで死去」ってのが符合しそうですよ。
だって、ホントに1900年生まれなら、1911年じゃまだ11才ですからなあ。11才と20才を区別できないアホはおらんでしょ。
また、彼の写真は1枚も残されてないみたいです。いつ死んだのかも判らない(ktateさんの人名辞典では明記されてますが、他に、1952年12月30日、Mississippi州 Tunicaで死亡、としている年表も存在します)なんて解説も多いんですが、マチガイなく1941年以降であるコト「だけ」は確かでしょ。だって、この曲の録音データが c. 24-31,August 1941(Alan Lomaxの Library of Congressのために)となってるんですから。
「travel.nostalgiaville.com」によれば、1930年代から1940年代にかけて、Kirby Plantationを本拠地としてたみたい。ついでに彼が埋葬されてるのは、Mississippi州 Prichardの Good Shepherd Church cemeteryだそうで、そこまで判ってて生没年が判らないなんて・・・

1929年にはミシシッピー州 Robinsonvilleに移り、「そこで」Son Houseと Robert Johnsonに出会ったとも言われていますが、一部に見られる「1930年の Graftonでのレコーディング後、親友の Son Houseを Robinsonvilleに呼び寄せて」と言う記載はそれと矛盾します。だって、それじゃ、もうすでに「親友」なワケでしょ?ワケ判らん。
その Graftonでのレコーディング(28 May 1930)での M & O blues(スタンダード E)と Future blues(オープンG)は、The Legendary Delta Blues Session P-VINE PCD-2250に収録されてます(実はこの時、他にも Kicking in my sleep bluesと Window bluesという二曲も録音したようなんですが、いまだにリリースされていないようです)が、ワタシの持ってるのは CREAM OF THE CROPという ROOTSの RL-332っちゅうアナログ・ディスクで、Willie Brownはこの1941年の Make Me A Pallet On The Floor 一曲だけが収録されてます。

ところで、Willie Brownと Robert Johnsonの関係については、1920年代後半、Robert Johnsonは Willie Brownからギター・コードやストリング・スナッピング・ベース(右手の親指で掬いあげた低音弦が指板に叩きつけられ、独特の迫力を演出する奏法)、さらにオープンGチューニングも教わった、とゆーことになってます。
一説では Robert JohnsonのCrossroad Blues の歌詞中に出てくる
─You can run, you can run tell my friend Willie Brown.─
ってえ一節が彼のコトだ、ってえ解釈もあるんですが、それは別人である、っちゅう説もあって、そこらは定かではございません。
ま、なんにしろ、Willie Brownについちゃ資料が無さすぎるんですね。

さらに事態をフクザツにしてるのが、どうやらギター弾き語りする「Willie Brown」が全部で 3人「居た」らしいんですよ。1941年のこの Make Me A Pallet On The Floorの翌年、1942年にも Alan Lomaxは Library of Congressのために録音をしてるんですが、そこに、どうやらまったくの別人らしい Willie BrownってのがMississippi Blues って曲をレコーディングしてるんですよ。
デルタ・ブルースとしちゃあ異例なことにキー「A」からのブルース・ピアノのスタイルを真似たようなギターだったそうです。
そしてもう一人が William Brown Parthで、こちらもやはり Library of CongressにRagged And Dirty East St. Louis Blues の二曲を吹き込んでいます。

ま、そんなワケなんで(Vcl/Guit.に限定しなければあと二人います。詳しくは ktateさんの「ブルース人名辞典」で!)Robert JohnsonのCrossroad Blues で名前が出てくる Willie Brownってのが一体ダレのこったか判ったもんじゃないのよねー。
しかも、音楽シーンにカンケー無い、タダの呑み仲間でそんな名前のヤツがいたのかもしんないし。ま、「この」Willie Brownだったらハナシは面白くなるんですが。
さらに、Born August 6. 1900 in Clarksdale, Mississippi.ってゆう記載も、残りふたりの Willie Brownのどっちか(ま、Willie Brown Parthは混同しない、とは思うんですが)の出生データだ、っちゅー可能性があります。

イギリスの『Encyclopedia of Popular Music』に登場する記述を紹介しますってえと(でもなー、これも「Born August 6. 1900 in Clarksdale, Mississippi.」って始まってますからねえ・・・別人の可能性も?)
『小作人の倅として生まれ、Charly Patton並みの腕だった、っつう Earl Harrisからギターを教わった。第一次世界大戦の時期には(1900年生まれだとしたら14才〜18才)William Moore( Virginiaのラグタイム系ブルースマンで、1927年の12月から1928年の1月あたりに Chicagoで Paramountに16曲を吹き込んだ、ってえ William Mooreでしょか?)と組んでて、その後の10年間は Memphis Minnieの「かたわらにいた」と。
Charlie Pattonが1930年5月に Paramountに三度目のレコーディングをした時にはピアノの Louise Johnsonや Son Houseとともに伴奏を務めました。
Charlie Pattonの死後は Son Houseと組み、さらに Fiddling Joe Martin( Fiddlingとあるので、ヴァイオリン弾くの?と思われるかもしれませんが、Fiddlingってのは俗語で「ペテンにかける」っちゅーイミですからねん。弾く楽器もベース&ドラムだそーです)や Leroy Williams(ハーピスト)と組んだものは Library of Congressのために、ミシシッピー州 Cormorantで録音されています。
その後ずっと Son Houseの伴奏を務めていましたが1952年に心臓発作で死亡したデルタに戻っています。』( )内はワタクシのおせっかい「注」。

なんだか、しょっぱなの生年月日の「引っかかり」さえ無きゃ、ゼンブ信じられそーなんですが、ううむ。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-12-22 23:10

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