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Wille Kent

今は亡き落語界の異才にしてワタクシがもっとも愛したライヴ・パフォーマー(あ、落語にそゆコトバ使っちゃいけないんだっけ?「高座映えがする」ってのかな?)、偉大なる桂 芝雀師匠がおっしゃっておられましたなあ。
─アホ声っちゅうのがおまして、もう聞いただけで、あ、こいつアホやな、と判る声っちゅうのがおます・・・と。
まっこと不謹慎ながら、この Willie Kentはん、どーも、そのアホ声っちゅうヤツとちゃうか?と思うのでございますが、後年の作品じゃもちっとシャキっとした歌も聴かせてくれるとはいえ、ど~もあの Delmark 40th Anniversaryでの曲 Memories of Youなぞ聴くってえと、芝雀師匠ふうに言えば「あまり賢そうやないで」。
いえいえ、曲はいいんですよ。ただ彼の声を聴いたとたん、トートツに芝雀師匠のセリフをなんでか思い出しちまったんでさあ。

良くいえばおおらかな、ま、緊迫感が無い、とも言えますが、そのユルユルなヴォーカルも案外いい味を出してます。
それにしても、タイトルもまたいいですよね。とてもブルース・ナンバーのタイトルとは思えないじゃないの。
Memories Of You・・・まるでハード・ボイルドのミステリーかなんかのタイトルみたいじゃん。

Willie Kentは 1936年、Tennessee州との州境から南に 100マイルほどの Mississippi州 Invernessで生まれています。KFFAの King Biscuit Timeの放送を聴きまくり、Arthur Crudup、Sonny Boy Williamson、Robert Nighthawkに 11才でのめりこみ、61号線の Harlem Innでは Raymond Hill、Jackie Brenston、Howlin' Wolf、Clayton Love、Ike Turner、Little Miltonなどのライヴにも触れていたようです。

その彼が家を出たのが 13才の時で、およそ 3年間の空白(というのは彼を追いかける資料の上での、ね。本人にとっては「それなりのことがあった」 3年間だったでしょうが)の後、1952年、彼は Chicagoに現れています。

彼は昼の仕事につき、夜は音楽に「捧げる」という生活を送りはじめたようで、仕事の同僚に Elmore Jamesのいとこがいたこともあって、クラブからクラブへとブルースのライヴをめぐっていたようです。
そこで彼はマディやウルフはモチロン、J.B.Lenoirや Johnnie Jones、Eddie Taylorに A.C.Reed、J.B.Huttoなども知ったのでした。
おそらくその経験からでしょうが、彼はギターを買い込み、1959年には親友の Willie Hudsonを介して Ralph and the Red Topsというバンドに接近し、そのバンドの専属ドライヴァー兼マネージャー、さらに時にはシンガーとしても関わるようになります。
ところで、その Ralph and the Red Topsがとあるクラブに出演した際に、ベーシストが酔い潰れてて使いものにならない状態で現れ、しかもクラブからはすでに前金で貰ってしまっていたのでヤメるワケにもいかず、やむなく、彼が代理のベースとしてステージをこなしたのでした。

どうやらこれが彼の運命を決してしまったようで、それ以降の彼は、もっぱらベーシストとしての活動(あ、歌も続けてたみたいですが)に専念いたします。
1962年には Little Walterのベースとして、また '60年代中期にはマディやウルフのベースもこなし、Junior Parkerともやっていました。'60年代晩期には Arthur Stallworth and the Chicago Playboysのベースとなり、時には Hip Linkchain、さらには「悪名高き(?)」 Jimmy Dawkinsのバックも務めております。
特に Dawkinsとは 1971年のーロッパ・ツアーにも同行し、さらにアメリカに帰って来てからも Dawkinsがホーム・グラウンドとしていた Ma Bea's Loungeのハウス・バンド Sugar Bear and the Beehives(ギターは Willie James Lyons、ドラム Robert Plunkett)に加わってバックで支えていたようで、そのハウス・バンドでは他にも Fenton Robinson、Hubert Sumlin、Eddie Clearwater、Jimmy Johnson、Carey Bell、Buster Benton、John Littlejohn、Mighty Joe Youngといった錚々たるメンバーのバックを務めております。

1970年代の晩期からは主に Eddie Taylorのバンドのベースとなり、1982年からはレギュラー・メンバーとして正式に一員となりました。このバンドは Eddie Taylorの他に Johnny B. Mooreのギター、Tim( Timothy: Eddie Taylorの長男)と Larry(同じく Eddie Taylorの次男。ちなみに三男が後に Eddie Taylor Juniorと呼ばれるようになる Edward Taylor Jr.)のドラム、と Taylor一家に Willie Kentが混じるカタチとなっています。

その Eddie Taylorが 1985年の12月25日に死亡した後、彼は Willie Kent and the Gentsをスタートさせ、自らベースを弾きながらヴォーカルをとる、というスタイルを始めています。ドラムには Tim Taylor、ギターに Jesse Williamsと Johnny B. Mooreで発足し、その後メンバーの異動はありましたが、基本的にウェスト・サイド・シカゴのサウンドをキープしている、と言っていいんじゃないでしょうか。

2004年には青森でのフェスティヴァルに来ています。
ただし、心臓の疾患が発見されて再三のバイパス手術も受けており、一時は活動も危ぶまれていたようですが、どうやら小康を保ち、昼の仕事からは足を洗って、音楽に専念しているようでございます。
その Willie Kentですが、
2005年には結腸部にガンが見つかり、2006年 3月 2日、シカゴで肺癌のため死亡しました。


reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-12-31 19:58

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