Willie Dixon
Willie James Dixonは 1915年 7月 1日、その 2年半後には Johnny Youngもそこで生まれている Mississippi州 Vicksburgで 14人の子供たちの 7番目として生まれています。
母の Daisyというひとが結構ユニークだったようで、目にしたものをすぐに「詩」にする、という習慣があったらしく、それは Willie Dixonにも受け継がれ、それが後のソングライターとしての彼の資質の形成に寄与していたのかもしれません。
また一部の資料では、彼が 7歳のときに Little Brother Montgomeryのピアノ演奏に触れ、それが大きな影響を与えた、としています。
その彼は 10代に入ってからは地元のバンドのために曲を書き始め、それで多少は稼ぎ始めていたようですが。
同時に地元局に番組まで持っていたゴスペル・カルテット the Union Jubilee Singersのとりまとめ役だった Theo Phelpsのもとで音楽理論、わけてもハーモニィについて学び、低音の声をかわれて the Union Jubilee Singersの一員として参加していたようですから、「歌」との接点はそれが最初かもしれませんね。
ただ、詳しくは語られていないようですが、どうも法に触れる行いでもあったのでしょうか(そのへんはやや婉曲に示唆されておるだけで、具体的にどのような事情であったかは不明)、そこから Chicagoに旅立った、としている資料も存在します。

ただ、それを 1932年としている資料もある一方では、1936年( Alt. 1937年)に彼がボクシングで Illinois州の Golden Gloves Heavy-Weight Championとなったことが契機である、としているものもあり、案外、初上京が 1932年、腰を据えたのが 1936(あるいは 1937)年ということかもしれません。
ただ、ボクシングそのものは、僅か 4試合を行っただけでマネージャーとの意見の相違などがあって 1940年に引退したらしく、それ以前にジムに遊びに来ては時に一緒に演奏もしていたギターの Leonard "Baby Doo" Castonとデュオを組んで、そこから音楽に集中した生活が始まりました。
当初は Castonのギターと Dixonのヴォーカルで街頭に立っていたようですが、後にはベースも弾き始めたようです。
そこにメンバーを増やし、the Five Breezes(うぷぷ。「そよ風」五人衆ですか?)となり、そのグループでは Bluebirdへの 8曲の録音も経験。
ただしその翌年、Dixonは兵役に就くことを拒否したために Chicagoのクラブ、Pink Poodleでの出演中にステージから拘引され、そのまま収監されてしまいます。
ようやく 1942年に解放されると、こんどは the Four Jumps of Jiveを結成。
1943( Alt. 1945)年にはふたたび Castonともう一人のギター Bernardo Dennisで the Big Three Trioを結成しています。この Bernardo Dennisは後に Ollie Crawfordに変わっていますが。

そのような自分のグループでの演奏以外にも、彼は請われてクラブなどでのブルースのギグでベーシストとして参加していたようです。
そのクラブには、後に Chessを興すこととなる Chess兄弟の経営していた店もあったらしく、おそらくそこで兄弟は Willie Dixonの存在を知ったのではないでしょうか。
Aristocratを立ち上げた兄弟はさっそく Willie Dixonを彼らの専属ベーシスととして雇い入れています。その Aristocratでの彼の初録音は、1948年11月10日の Robert Nighthawk名義

Down the Line: vcl.に Ethel Mae -U7127
Handsome Lover: 同上 -U7128
My Sweet Lovin' Woman: Chess 1484( 1951年にリリース)-U7130

の三曲で、ピアノに Ernest Lane、ベース Willie Dixonで吹込んだもの(ただし Nighthawk自身の回想では、ベースが Willie Dixonではなく Ransome Knowlingだった、としていますが・・・)。
ま、本人が「違う」って言うのはブルース業界(?)では良くある話で、それを「本人が言うんだから間違いない」と考えるか、あるいは「本人のあやふやな記憶より、周囲の証言に整合性があるならそちらを採る」のか、は意見が別れるところでしょう。
ワタクシの場合、「あの」偉大なる(?)Screamin' Jay Hawkinsセンセに鍛えられたせいか、どうしても本人の主張を軽視する傾向があるようでして・・・

さて、サウスサイドのクラブ El Casino Club、El Mocambaなどでのギグなどが契機となってポーランドからの移民だった Leonard & Philの Chess兄弟と知己を得て、いわば Chess専属のスタジオ・ミュージシャンとなった、という流れで著述いたしましたが、一方では Leonard "Baby Doo" Castonらとの Big Three Trioでの活動( 1947年に Bullet Recordsから Columbia Recordsに契約し、ギグを行っていた)の「際に」Chess兄弟に見いだされた、としている資料もあります。
それによると、当初 Willie Dixonはパートタイムのミュージシャンとして雇われたのが、the Big Three Trioが解散して後 1952年に、フルタイムで Chessに所属したのだ、と。
つまり、前述の Robert Nighthawkとのセッションではまだパートタイムのスタジオ・ミュージシャンであった、と言うことになります。
このあたりは、どうもいろんな証言が整合せず、また Chess兄弟以前に Bluebirdの Lester Melrose、さらに Mayo Williams( 1920年代には Paramountに関わり、1930年代には Deccaのプロデューサー)のもとでも、例えば Tampa Redや John Lee Williamsonなどとの録音を行っていたワケですが、その期間については意外と軽視している資料が多いようで、そこからの軌跡としてトレースして行く視点に欠けていることなどからも、とかく Willie Dixonというと Chess、というやや安易な決めつけがあるようで、それが多少、証言にバイアスを与えているのではないか?という気もいたします。

それはともかく、その Willie Dixonの最初の、かつ重要なマーカーとなったのが、かの名作(?)Hoochie Coochie Man( Chess 1560 "I'm Your Hoochie Coochie Man" / "You're So Pretty"、R&Bチャート 3位)でしょう。
1952年、マディによって吹き込まれたこの彼の作品によって、Chessのフルタイム契約となった、としている資料が多いところからも、やはりこの作品の存在は(現代につながるロック・シーンにおいてさえ)大きかったようです。
この時期、他にも Little Walterの "My Babe"( R&Bチャート第一位に 5週間!)に "Mellow Down Easy"やウルフの "Evil"など、それまでのブルースとは少し視点の違う「新鮮な」作品を多数生み出しています。
また Chess兄弟は彼の楽曲のパワーを信頼し、所属アーティストに彼の書いた曲を歌わせ、また録音現場でのコーディネーター、あるいはプロデューサー、さらにはベーシストとしても重用しておりました。

ただし、そのことが即、彼の生活面での向上にはつながらなかった(当時 Chessが Willie Dixonに支払っていた「週給」は僅か 100$と言われています)、という証言もあり、その辺の経済的な側面が原因だったのか、1956( Alt. 1957)年に Willie Dixonはいったん Chessを離れ、Eli Toscanoの興した Cobraに移ります。そこでは Otis Rushの Cobra録音にも寄与しているのですが、この Cobraそのものは、みなさまもご存知のとおり、「悲劇的な終焉」を迎えてしまうワケで、結局 Willie Dixonは Chessへと舞い戻っております。

また、このとき Willie Dixonは Cobraから Otis Rushを連れて来たよなものなのですが Chessでは「せっかくの」Otis Rushを活かすことが出来ず、シングルとしてリリースされたのは "So Many Roads, So Many Train"と "I'm Satisfied"のカップリング CHESS 1751と、同じく "You Know My Love"と "I Can't Stop, Baby"の CHESS 1775という 2枚のシングル、計 4曲だけで、残る 2曲 "So Close"と "All Your Love"は Albert Kingとのコンビ・アルバム Door To Doorでようやく陽の目を見た、という状態です。
いわゆる 50年代シカゴ・ブルース(ってのにめちゃめちゃ「入れ込んで」おられる方もいるよーですが)の旗手、と言ってよい Chessですが、一方では Otis Rushや Buddy Guyなどのニュー・ウェーヴを掬い上げるセンスには欠けていたのかもしれません。

時代は 1960年代に入り、ブルースの現場では次第にその機材面で変化が定着して行きます。
例えばアンプリファイド・ハープやギターのエレクトリック化などによってバンドの「総エネルギー量(?)」がアップするにつれ、当然ベースにもエレクトリック化の流れが押し寄せてくるワケで、そうなると Willie Dixonのウッド・ベース奏者としてのプレゼンスは徐々に低下し始めました。

そのままでは彼の存在はフェイド・アウトしていくだけだったのでしょうが、時あたかも(!)Horst Lippmannがブチ上げた American Folk Blues Festival*に深く関わることによって Willie Dixonは新たな活路を見いだした、と言うことが出来るかもしれません。

* — American Folk Blues Festival。もともとはドイツのジャズ系の版元だった Joachim Ernst Berendが、ヨーロッパの聴衆にブルースもウケるんじゃなかろか?と発案したことに始まり、それを受けてアメリカのプロモーター、前述の Horst Lippmannと Fritz Rauによって 1962年にパッケージ・ショーとして組まれ、ヨーロッパに送り出されました。
この一行を実際にまとめ上げ、ショーとして構成したのが Willie Dixonであった、と言われています。
この企画は 1972年まで続き、これによってアメリカのブルースがヨーロッパに広まったと同時に、Willie Dixonの評価も高くなった、と言うことが出来るでしょう。

その 1962年は American Folk Blues Festivalのスタートした年でもありますが、同時に彼が the Blues Heaven Foundationを設立したのもこの年である、とする資料がありました。
しかし、一般には Willie Dixonがシカゴ、サウスサイドの Amos Alonzo Stagg Schoolに於いて、若い世代にブルースをしっかり伝えようとする「 Blues In The School」という試みを開始したのが 1970年、そして Blues Heavenが 1984(あるいは 1982?)年から本格的な活動を開始した、という説の方が主流のようです。
だいいち 1962年の Willie Dixonには、まだそれほどの(特に経済的)余力は無かったハズですから。

むしろ 1962年というのは、彼が、これもマディに提供したナンバー "You Shook Me"が録音された年、として輝きを放つ、と言えるかもしれません( Chess 1827、リリースは 1964年。ただし発売当時の A面は "You Shook Me"ではなく、"Muddy Waters Twist"だったハズ)。
その "You Shook Me"は 1968年に録音されたレッド・ツェッペリンのファースト・アルバムで採り上げられ、さらにそこにはもう一曲、"I Can't Quit You, Baby"までが収録されていたのでした。
もちろん、その背景にはヨーロッパを襲った(?)American Folk Blues Festivalという「ブルース・パッケージ」の存在が(そして同時にそれをまとめ上げた Willie Dixonの存在も)大きく影響を与えたイギリスでの「ブルース・ブーム」があったワケですが。
そして実際にはツェッペリンに先駆けることほぼ 5年、あのローリング・ストーンズが、これもまた彼のナンバー "Little Red Rooster"をチャートの 1位に送り込んだのは 1964年11月のことです( F-12014、カップリングは "Off The Hook"!もちろんストーンズがブルースを採り上げたのはこれが最初ではなく、それ以前にも 1964年 2月の "Little By Little"なんてのがありますが)。

Willie Dixonにとっての次のマイルストーンは Koko Taylorの "Wang Dang Doodle"でしょうか?これは Chessではなく、Checker 1135として 1966年に発売され、すぐにチャートを上昇して最高位は R&Bチャートの 4位を記録しています。
ところで、この 1960年代の最後に、彼は「自分自身の」アルバムを Columbiaに吹き込みました(ただし、それが彼の初アルバムではなく、実際には 1960年に Bluesvilleに Willie's Bluesを吹き込んでいる)。それが 1970年リリースの I Am the Blues(日本盤は CBS SONYから SOPJ-97として 1975年に発売。収録曲は Back Door Man / I Can't Quit You, Baby / The Seventh Son / Spoonful / I Ain't Superstitious / You Shook Me / I'm Your Hoochie Coochie Man / The Little Red Rooster / The Same thing)です。そしてそれに呼応するかのごとく the Chicago Blues All-Starsを率いてヨーロッパ・ツアー。

Willie Dixonはそれまで、どちらかと言うとレコード会社にせよ、いろいろな興行主にせよ、彼らの言うとおりに働き、その代価を得ていたワケですが、さすがに 1970年代ともなると、いかに自分のした仕事に対して、「途中で」かなりの金額が「くすね」られているか、と言うことに気づき出しています。
たとえば、なぜツェッペリンは "Bring It On Home"をタダで使っているのか?また "Whole Lotta Love"だって彼の "You Need Love"のパクリじゃないのか?
これらはすべて法廷に持ち込まれ、結局、示談が成立して和解することが出来ました。それが 1977年のことです。
1984( Alt. 1982)年には NPO、the Blues Heaven Foundationを設立し、ブルースマンの権利を守るとともに学習システムを整備し、またプロモートも行う活動を本格的にスタートさせています。

Willie Dixonの Blues In the Schoolを受け継いだ、と言えるのが Billy Branch*かもしれません。
Billy Branchは Willie Dixonの Chicago Blues All-Starsにも 1970年代末から参加し、多くの薫陶を得てきていますから、それも当然の流れだったのでしょう。

1988年にはアルバム Hidden Charms — Bug Music/Capitol C1-90595(そのタイトルから誤解されるのは仕方ないのですが、このアルバムの収録曲は Blues You Can't Lose / I Didn't Trust Myself / Jungle Swing / Don't Mess With the Messer / Study War No More / I Love the Life I Live / I Cry For You / Good Advice / I do the Job、となっており、そこには「あの」 Hidden Charmsが「入っていない」んですねえ)を発表し、これは同年の Grammy Awards、Best Traditional Blues Recording部門を獲得しております。
続く 1989年には Don Snowdenとの共著で自伝『 I Am the Blues: The Willie Dixon Story』を刊行し、また Chessからは彼の書いた曲を集めたボックス・セットも発売されました。そこに収録されたのは、まさに彼の楽曲の集大成と言うことができます。

My Babe: Little Walter: Checker 811: 1955
Violent Love: The Big Three Trio: unreleased
Third Degree: Eddie Floyd: Chess 1541: 1953
Seventh Son: Willie Mabon: Chess 1608: 1955
Crazy For My Baby: Himself: Checker 828
Pain In My Heart: Himself*: Checker 851: 1957
I'm Your Hoochie Coochie Man: Muddy Waters: Chess 1560: 1954
Evil: Howlin' Wolf
Mellow Down Easy: Little Walter: Checker 805 B-Side of "Last Night": 1954
When the Lights Go Out: Jimmy Witherspoon: Checker 798: 1954
Young Fashioned Ways: Muddy Waters: unreleased
Pretty Thing: Bo Diddley: Checker 827: 1955
I'm Ready: Muddy Waters: Chess 1579: 1954
Do Me Right: Lowell Fulson: Checker 820 B-Side of "Lonely Hours": 1955
I Just Want To Make Love To You: Muddy Waters: no 45's ?
Tollin' Bells: Lowell Fulson: Checker 841 B-Side of "It's Your Fault, Baby": 1956
29 Ways: Himself: unreleased
Walkin' the Blues: Himself*: Checker 822 B-Side of "If You're Mine": 1955

—ここまで Disc 1.
続いて Disc 2.は

Spoonful: Howlin' Wolf: Chess 1762 B-Side of "Howlin' For My baby": 1960
You Know My Love: Otis Rush: Chess 1775: 1960
You Can't Judge A Book By It's Cover: Bo Diddley: Checker 1019: 1962
I Ain't Superstitious: Howlin' Wolf: Chess 1823 B-Side of "Just Like I Treat You": 1962
You Need Love: Muddy Waters: Chess 1839: 1962
Little Red Rooster: Howlin' Wolf: Chess 1804 B-Side of "Shake For Me": 1961
Back Door Man: Howlin' Wolf: Chess 1777 B-Side of "Wang Dang Doodle": 1961
Dead Presidents: Little Walter: Checker 1081 B-Side of "I'm A Business Man( Dixon too)": 1964
Hidden Charms: Howlin' Wolf: Chess 1890 B-Sode of "Tail Dragger( Dixon too)": 1964
You Shook Me: Muddy Waters: Chess 1827 B-Side of "Muddy Waters Twist": 1962
Bring It On Home: Sonny Boy Williamson: Checker 1134: 1966
Three Hundred Pounds Of Joy: Howlin' Wolf: Chess 1870: 1963
Weak Brain, Narrow Mind: Himself: 45's unreleased ?
Wang Dang Doodle: Koko Taylor: Checker 1135 B-Side of "Blues Heaven": 1966
The Same Thing: Muddy Waters: Chess 1895: 1964
Built For Comfort: Howlin' Wolf: Chess 1870 c/w "300 Pounds of Joy": 1963
I Can't Quit You, Baby: Little Milton: Checker 1212: 1968
Insane Asylum: Koko Taylor: Checker 1191 B-Side of "Fire": 1968

* — Willie Dixon & His Chicago Blues All-Stars


いかがですか?もうこれだけで彼の偉業の全体像が浮かび上がってきますよね。
しかし彼の仕事はモチロンこれだけではありません。この Chess Boxに収録されていない曲でも、有名なものとしては

Oh, Baby: Little Walter: Checker 793: 1954
Too Late: Little Walter: Checker 825: 1955
Crazy Mixed Up World: Little Walter: Checker 919 B-Side of "My Baby's Sweeter": 1959
I Got My Eyes On You: Buddy Guy: Chess 1753: 1960
Let Me Love You, Baby: Buddy Guy: Chess 1784: 1961
When My Left Eye Jumps: Buddy Guy: Chess 1838: 1962
Too Many Cooks: Jesse Fortune with Buddy Guy: USA 738: 1963
Help Me: Sonny Boy Williamson: Checker1036 B-Side of "Bye Bye Bird"( Dixon too): 1963

なんてとこが挙げられるでしょう。(行末の年表示はいずれもリリース時のもの。録音時ではありません。たとえば Little Walterの Too Lateなど、録音は 1953年だったハズ)
もちろん上記の曲のなかでも、そのミュージシャンは「うんにゃ、これはワシが作ったんじゃ!」などと主張しているのもいるようですが、そんな場合でもその録音には Willie Dixonが立ち会っていたり、あるいはベースとして参加していたりで、現場で彼のアドヴァイスによって「ものになった」、それも言わばその曲の魅力を形造る上で、その根幹に関わるところで彼の「指導」が「運命を決めた」部分がかなり大きい、というケースが充分に考えられます。

ま、なにはともあれ、これらの曲が、どれだけブルース界を彩り豊かにしてくれていることか!
ちょっと面白い!と思った曲がたいてー彼の手になっているんですねえ。

ところで、もともとはルーマニアからの移民であった Charles Aron( 1907-1974)と妻の Evelyn( Evelyn Marks; シカゴ生まれ 1919-1997)の二人が、事業のパートナーとして Fred & Mildredの Brount夫妻と Art Spiegelと一緒に 1947年 4月10日に設立した独立レーベル Aristocratに、近隣のよしみで( Leonard Chessが所有していたクラブ Macombaが隣接していたことで興味を持ち、やがてはビジネスとしての可能性を見出したと言われる)投資し、同年 10月からは販売部門のスタッフとして名を連ね、まず Brount夫妻分の経営権を買い取り、やがて Charlesと Evelynが離婚するとその経営権は Leonardと Evelynが受け継ぎ、その Evelynも 1949年の12月に Art Sheridanと再婚して社を去ったことでついに全権を手中にした Leonard & Philの Chess Brothersは(ただし Phil Chessはこの時点で初めてレコード・ビジネスに関わったようですが) 1950年 6月 3日にその社名を CHESSと改め、そのシリアル・ナンバーを 1425からスタートさせました(この 1425という数字は、彼らが幼年期を過ごした Chicagoの South Karlov Streetにあった「思い出の」住居のあった番地で、後に LPをリリースした際にも同じく 1425からそのシリアルがスタートしています)。
こうして短かったその生涯を通して 292曲を録音し、うち 264曲を(残り 28曲は他社に販売、あるいはリースされた、とされる)世に送り出した Aristocratは Chessという新たな「衣」をまとったワケですが、最初に Aristocratとしてスタートし、後に Chessになった「のではありません」。そこんとこ、よろしく。
さて、1950年に Chessをスタートさせた Leonard & Philの Chess Brothersですが、1952年には(当初の目的としては)主にゴスペルを扱うことをメインにしたサブ・レーベル Checkerをスタートさせています。
ただし Checkerでの初リリースは Sax Mallardの "Slow Caboose"/"Let's Give Love A Chance" — Checker 750でした。この Checkerではそのシリアルが 750からスタートしていますが、その理由については今回、たどり着いておりません。そのうちまた別なことを調べてて、出くわしでもしたら本稿に合流させましょ。
さらに 1955年にはジャズのための Argoレーベルもスタートさせましたが、これについてはイギリスにすでにまったく同名のレーベルが存在することに気づいて 1965年には Cadetと変えました。

こうして 1950年代から 1960年代にかけての「ブラック・ミュージック」を記録し続けた Chessでしたが、 1969年には Chess Brothersがその「すべて」を 6,500,000ドルで General Recorded Tapeに売り払っています。同年10月には Leonard Chessが死亡。
その GRTは 1975年に All Platinumに転売し、マスター・テープは MCAの手に落ちました。

Willie Dixonは 1992年、Californiaの Burbankでその生涯を閉じています。偉大な遺産を残して・・・
彼の遺骸は Illinois州 Alsipの Burr Oak Cemeteryに葬られました。
1997年、彼の未亡人 Marie Dixonは、South Michigan Ave. 2129番地のかっての Chess Recording Studioを購入し、そこをあの Blues Heaven Foundationの本拠地として、未来につなげる「ブルースの遺産」として管理しています。

ところで、彼の本名について、とあるサイトだけ Irene Gibbonsである(!)としているのを発見いたしました。
いったいどこからそのような名前が出てきたのかまったく理解できないのですが、その Irene Gibbonsとは、かってハリウッドの映画界において数々の女優のコスチュームをデザインした女性で、彼女の手がけた女優にはマレーネ・ディートリッヒ、エリザベス・テイラー、ラナ・ターナー、ジュディ・ガーランド、クローデット・コルベールにドリス・デイなどがおります。
ところが、彼女が愛したゲイリー・クーパーが 1961年に死んでからは沈みがちとなり、仕事を終えた後の彼女は某ホテルに偽名でチェック・インし、その 14階の部屋で手首を切って自殺したのです。それが 1962年11月15日のことでした。

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by blues-data | 2006-02-13 19:20

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