Albert King
Albert King、本名 Albert Nelson が生まれたのは1923 年( alt.1924 )の 4 月25日、ミシシッピー州の Indianola です。・・・といつもなら始めちゃうとこなんですが、こと Albert King に関しては、あまたの紹介がなされており、いまさらワタクシなんぞが付け加えられるよなエピソードなんてのももはやございませんでしょうから、今回は年表形式にでもしてみましょっか?

1923( alt.1924 )4 月25( alt.23 )日、ミシシッピー州 Indianola で、教会のシンガーだった母から13人の子供たちのひとりとして生まれる。ただし同居していた、歌う他にギターも弾いたという巡回牧師の Will Nelson とは血縁のない継子になる。 Indianola は後に B.B.も暮らしたこともあるデルタ地帯の小村。
1929? それまでのホウキの柄に弦を張った 1弦ギターからシガー・ボックス・ギターに。
1931 一家はアーカンソー州の Osceola に移ったようで、そこの農園で育っています。継父が教会で弾くギターを聴き、Blind Lemon JeffersonLonnie Johnson のレコードからも影響を受けて自作ギターで練習していたようです。
1941( alt.1942 )彼にとって最初のホンモノのギターを 1$ 25c で友人から譲り受ける。たぶん、その弦を張り替える、なんてコトをしてないと思うんで、彼の右利き用の弦のセッティングをそのまま使うスタイルはここで「決定的」になったんじゃないかと・・・
1940's アーカンソー州 West Memphis で時おり見掛ける Robert NighthawkElmore James に魅了される。また、このころの彼は建設工事現場でのブルドーザーの運転手をしてたのですが、1940 年代の末期あたりに、St.Louis 経由でインディアナ州の Gary に移っています。そこでは Jimmy ReedJohn Brim とも共演したそうです。(それはシカゴに来てからだ、とする説もあります。また、Gary に移る前に、Yancy's Band ってのと the Groove Boys ってバンドで活動していた、とする資料あり)
1953 Chicago に出て来て、Al Benson の Parrot label に「Walking From Door to Door」b/w「Lonesome in My Bed」と、「Bad Luck Blues」b/w「Be On Your Merry Way」を吹き込み、後者はこの年リリースされてそこそこは売れたようだけど、彼に廻ってきたおカネは「ちょっぴり」だけだったみたいです( 14$!)。それでアタマに来たのか、Parrot には「お別れ」
1956 St.Louis に戻る。当時のセント・ルイスはブルースが盛んで、Ike TurnerLittle Milton と人気を争ったそうです。Bobbin と King labels と契約し吹き込みを開始。
このセント・ルイスで Gibson Flying V を使い始めてるよーですが、そのギターを「Lucy」と命名しております。彼のギターのチューニングは、かなり変わってて、太いほーから細いほーに向かって、C-F-C-F-A-D ってえセッティングです。ゲージは細いほーから「.009-.012-.024-.028w-.038w-.050w」でございます。
ルーシーじゃないほは Gibson Flying V' 58 Korina body ね(なんて、そゆヘンな情報はあるのに、正確にはいつからフライング V を、どゆいきさつで使い始めたのか?っちゅーキホンテキな情報は見当たらないのねん。フライング V のプロト・タイプが出たのが1957 年ですから、それ以降にゃ決まってるんですが。また「ルーシー」はもっと後に Dan Erlewine によるカスタムだ、っちゅう説もあります)。ついでながらアンプはってえと Acoustic( solid state )と Roland JC-120 だそうですよん。
1959-1962 R&B チャートで 14 位まで上った「Don't Throw Your Love on Me So Strong(1961)」を含む数々のシングルがリリースされます。
196? ジャズ・シンガーの Leo Gooden のレーベル Coun-Tree に入りますが、アルバート・キングにばかり注目が集まるのを妬んだ Leo に追い出される。
1966 Memphis に移り、「成り上がり」の Stax と契約。ここで彼はハウス・バンド、Booker T & The MG's のバッキングを得て「Laundromat Blues」を始めとする数々のナンバーを送り出す。
1967 Tommy McClennan のナンバーをアレンジした「Crosscut Saw」、それに「Born Under A Bad Sign」をリリース。さらにシングルをまとめた彼の初 LP「Born Under a Bad Sign」が Stax からリリースされる。また、この中には「As The Years Go Passing By」が収録されていますが、クラプトンは「レイラ」の特徴的なリフをこの曲からストレートに「いただいた」コトを認めました。
1968 2 月1日、サン・フランシスコの新しいホール、The Fillmore Auditorium のオープニングに Jimi Hendrix、メイオールとともに出演。同年、もいちどライヴを行い、その模様を収録。そして「Live Wire/Blues Power」が発売される!
なお、この時のライヴの別の曜日の録音が後年(1990 年代になってから) 2 枚発売されてます。
1969 なんでか St. Louis Symphony というオーケストラと共演(!)で、おそらくこの年、Othum は、初めてホンモノのブルースのレコードとして「Blues Power」のシングルを買い、ショーゲキを受ける。Hank Marvin から Albert King へ、の一大転換が訪れたのでありますよ。
1974 Stax の経営難→倒産により、彼は以後 Tomato、Utopia などと変わって行く。これ以降ファンク系のビートやニューオーリンズ系のテイストを採り入れて、それなりに存在感のあるアルバムを出したりしてますが、1980 年代に入ると健康面に陰りがあって、以前ほど活動は出来なくなります。
1983 には Stax を買収した Fantasy label と契約、以後グラミー賞候補となったり、「殿堂」入りもはたす。
1992 12月19日、Los Angels でのコンサートの 2 日後にメンフィスの自宅で心臓発作で死亡しました。彼の葬儀のあと、遺体は伝統的なニューオーリンズ・スタイルの Memphis Horns による「When The Saints Go Marching In」の演奏に守られて偉大なるミシシッピー川を渡り、彼が子供時代を過ごした場所にほど近いアーカンソー州 Edmondson の the Paradise Gardens Cemetery に葬られたのでした。



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by blues-data | 2005-09-02 16:47

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