Arthur Gunter
Arthur Gunter は1926 年の 5 月23日に Tennesse 州 Nashville で生まれています。
ってとこまではいいけど、その先の詳細な情報が記載された資料が見当たりません。
いつもなら叔父さんにもらったギターだのラジオから流れて来たサニー・ボーイを聴いて・・・ なんつーエピソードのひとつやふたつ出てきて、ま、不完全ながらもあるてーど、そのブルースマンの方向性みたいなもんが感じられたりするんですが、そのヘンがキリの中でございます。
ただし EXCELLO のライナーノーツには、幼少の頃から兄弟や従兄弟(これが日本でいう親の兄弟姉妹の子供、という意味よりはもっと広い範囲で使われているようなので要注意ですが)とともに Gunter Brothers Quartet というゴスペル・グループのメンバーであった、という記載はあるようです。

1950 年代に入ってから、Ernie Young( Ernest Lafayette Young は 1892 年の12月 2日、Tennesse 州の Giles County で生まれています。つまり Arthur Gunter の 34 才年上ですね。1951 年の 8 月に Nashboro Records を設立していますが、1952 年の 8 月には、その下に Excello を発足させています。どちらも 177-793rd Avenue.North の通信販売で業績を伸ばしてきた Ernie's Record Mart に併設されていました。Excello の記録した最初のヒットこそ、この Arthur Gunter がピアニスト Skippy Brooks & Kid King's Combo とともに吹き込んだ「 Baby, Let's Play House 」で、1955 年1月29日に R&B チャートに登場し最高12位まで登りつめています。ついでながら同日登場した B.B.の「 Everyday I Have The Blues 」は最高 8 位にまで達しました。Arthur Gunter の「 Baby, Let's Play House 」は、その後エルヴィスにカヴァーされたことで有名になりますが、本来、Eddy Arnold のナンバー「 I Wanna Play House With You 」へのアンサー・ソングでした。また、その 1955 年からは、Louisiana 州 Crowley の Jay D. Miller と手を結び、一連の有名なセッションをリリースすることとなります。しかし 1966 年、Ernie Young は彼のもとで働いていたゴスペルのプロデューサーだった Shannon F. Williams に Excello を売却しました。1977 年の 6 月 8 日、Tennesse 州 Nashville の自宅で、彼は妻と二人の兄弟、そして一人の継子、Mississippi 州 Jackson の Glenn H. Massey を残して亡くなっています)と知り合い、Excello でセッションに参加したりしていたようです。
1954 年には彼がかって在籍していた、とも言われる Kid King's Combo とともに吹き込んだ「 Baby, Let's Play House 」が Excello にとって「初の」ヒットとなります。それとほぼ同時期に吹き込まれた(?)のが「 She's Mine, All Mine 」とゆーことになりますが、1954 年とあるだけで、何月ころかクレジットが無いんで「同時期」と決めつけるのはモンダイあるかも。

実はこの Arthur Gunter、ここでたびたび採り上げている 1973 Ann Arbor Blues & Jazz Festival にも、Eddie Burns と殆ど同じ(つーことは、例の Mack Collins の The Partymakers Incorporated ね)バッキング・メンバーで出演し、「往年」の大ヒット、「 Baby, Let's Play House 」を演奏しておりますのじゃ。

しかし、その 3 年後、1976 年の 3 月16日、34 才も年上だった Ernie Young に先立つこと 1年 3ヶ月、Michigan 州の Port Huron で、わずか 49 才の若さで死亡したのです。
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by blues-data | 2005-09-02 16:53

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