Brook Benton
Kiddeoと言えばワタクシの Favorite Songsでも採り上げている、John Littlejohnの Chicago Blues Stars に収録されたナンバーで、他にもブレイクダウンのインスト・ヴァージョンも知られております。
がっ!(とリキむこともないんですが)ここで曲名を見ていただけば判る通り(え?気付かなかった?ガックシ・・・)「Kiddeo」ではなく「Kiddio」なのよねん。
その「オリジナル」は Brook Bentonの「Kiddio」なのじゃ。
Brook Bentonは、オーティス・ラッシュやエイモス・ギャレットも歌っている、あの「Rainy Night In Georgia」のヒットで良く知られているのですが、1960年代の初頭には、Mercuryでヒットをトバし、人気もあったソウル・シンガーで、そして同時に、幾多のヒットを提供した才能あるソングライターでもあったのです。

その彼が生まれたのは、1931年9月19日、サウス・キャロライナ州 Camdenの Benjamin Franklin Peayでした。
子供のコロから朝、牛乳を配達するかたわら Camden Jubilee Singersのメンバーとしてゴスペルを歌っており、さらに1948年、彼がまだ17才の時にはすでに曲を作っていたらしく、それを「売る」ために、ニューヨークにまで出かけていたようです。
一方、ゴスペル・シンガーとしては Bill Langford’s Spiritual Singersや、Golden Gate Quartet、Jerusalem Starsなどを経験しますが、サウス・キャロライナに戻り、次のチャンスを待つ間トラックの運転手をしていたとか。
そして R&Bグループの the Sandmenに加わり、飛躍を求めて再度、ニューヨークへ。
そこで地道にあっちこちにデモ・レコードを持ち込み、(Clyde Otisとの共作で)ついに1953年、自己名義の吹き込みを Okehに果たしています。

彼単独では Epicと契約した、「A Million Miles From Nowhere」(Vik)がマイナーながら最初のヒットとなりました。
続いて Clyde Otisとアレンジャーの Belford Hendricksとともに Mercuryに行き、そこで大きな成功をおさめることになりました。1959年に訪れた彼のブレークは「It’s Just A Matter Of Time」と、そのカップリング曲「Endlessly」の両面ヒットです。
「It’s Just A Matter Of Time」は1959年 3月にポップ・チャートの3位まで上がり、B面も同年12月には12位まで上昇し、1959年から1964年までの彼の23曲にも及ぶトップ・フォーティ・ヒット(つまり、40位以内にまで上がった曲。ソロ、デュオの両方)の先頭を切ったのです。

翌1960年、またひとつ彼のナンバーがリリースされました。8月22日、ビルボードのヒット・チャートに初登場 31位で姿を現したその曲は、以後 27→17→8→7→8→11→10→12→13→22→25→26位と、実に13週にわたってチャートに名を連ねていたのです。最高 7位にまで昇った「この」曲こそ、「Kiddio」なのです。
お馴染みのブラスのリフは入りますが、そのバックには頼り無いストリングスが「さえずり」、リズム・セクションは「借りて来た猫」みたいにめちゃめちゃ控えめ。ヴォーカルもやたらマイルドで、あろうことか(?)バックには柔らか〜い女性コーラスまで入っておるじゃあないの!
John Littlejohnのガッシガッシと迫ってくるよな暑苦しい迫力とはエラい違いですなあ。
まだこっちは余裕かましてる感じでしょか?

しかしまあ、聴けば聴くほど、ジョン君、意外にも原曲をかなり忠実に活かしてるのに気付きます。このトボけたリズムをガッカガッカのハードなブーギに換えて、ストリングスと女性コーラスはヨサンのカンケーで省略(あ、ホントかどうか判りませんよ。あくまでも、そーだったりしち、ってえウケ狙いのヨタですからねん)すると、ホラ「Kiddeo」の出来上がり!
・・・実際にはブレイクダウンもそのまま活かしてた「あの」ギターのリフなんかは彼のオリジナルでしょから、コトはそーカンタンじゃないのはあたりまえなんですが。
さて、と。ここでコンポンテキなギモンを呈されるお方もおられるのではないでしょか? Brook Bentonってブルースなの?って。
まあ、シビアに言えば「ちゃう!」が正解でげしょうね。
ブルースも属するブラック・ミュージックのフィールドを縦横に走査する音楽ではあるが確かに「ブルース」と言い切るのはテキセツではない、と。
ただ、彼の音楽にはゴスペルもブルースも血液中の血小板のように(判りにくいタトエやね?)遍在する、とでも申し上げときましょうか。
ブルースかブルースでないか?なんてことより(だって分類学者じゃないんでげすからねえ)「なんか、いいなあ」ってえ感覚も大事にする、ってのタマにはいいんじゃない?

さて、その後の Brook Bentonは、ダイナ・ワシントンとのデュエットで発売したミリオン・セラーの「Baby(You’ve Got What It Takes)」、そして「A Rockin’ Good Way (To Mess Around And Fall In Love)」が、1960年に R&Bチャートのトップを記録しています。(ついでながらダイナ・ワシントンって、1963年にわずか39才で過度の「飲酒」と錠剤の過剰服用が原因で死んじゃったのねん。みなさま、お気をつけあそばせ)彼は他のアーティストにも曲を提供してて、the Diamondsの「The Stroll」、Nat "King" Coleの「Looking Back」、Clyde McPhatterの「A Lover’s Question」などはその成功例です。
しかしその好調も1963年あたりから緩やかな下降線を辿り始め、さらに、ビートルズの出現がレコード・ビジネスの状況を一変させてさせてしまいました。
彼は RCAから Reprise、さらに Cotillion(Atlanticの子会社)と、次々とレーベルを渡り歩くようになります。
やがてしばしの雌伏の後、1970年には Tony Jo Whiteの作になる名曲「Rainy Night In Georgia」で輝かしい復帰を果たしました。
1988年4月9日、脊椎の髄膜炎に肺炎の合併症でニューヨークで死亡。

Kiddeo words from Album of John Littlejohn

ベイビー、言ったよな、俺がどう感じてるか
たったヒトコトでこいつはおじゃんになっちまう
俺の「ハートのクィーン」になってくれよ
お前の愛ってのをこっちにもまわしてくれ
「イエス」と言ってくれ、「ノー」はなしだ
キディオ、いい気分にしてくれよ

たぶん時間のムダかもしんねえ
お前を忘れることは出来やしない
俺をいい気分にすることだって出来たんだ
お前がそうしようと思いさえすりゃな
「イエス」と言ってくれ、「ノー」はなしだ
キディオ、いい気分にしてくれよ

お前にゃ16通も手紙を書いて、電話口に呼び出しても
キディオ、お前のハナすのは天気のことばっかじゃねえか
やってらんねえよ
お手上げだ助けてくれ
がっかりさせるなよ頼むから
キスしてくれ、愛してるなら
態度で教えてくれよ
「イエス」と言ってくれ、「ノー」はなしだ
キディオ、いい気分にしてくれよ

(訳;Othum/John Littlejohnの歌詞カードから。ちょっと原文とはちゃうけど、意味を重視しました。なんちて)えー、その Kiddioって名前、ガキっぽい、から来てるんでしょか?英語の場合、「K」で始まる単語は意外と少ないんですよね・・・ま、それがどうした?って言われちゃうと返事に困るんですが。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-02 22:56

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