本名 Byther Claude Earl John Smithは、1932年 4月17日に、Mississippi州 Monticelloで、10番目の子供として生まれています。母親はその出産時に死亡し、なんと父親までがその半年後に死亡してしまう。さらに姉のひとりが自宅の火災で亡くなってるんですから、もう「不幸」を絵に描いたような人生ですよね。
この時の経験が歌になり、さらに彼のアルバムのタイトルとなっています。そのアルバムこそ、「Money Tree(ただしこれはシングルとは違う新録)」が収録されたHousefire(1991 Bullseye Blues)。 彼は最初ウッド・ベースでロデオ・ショーで C&Wを演奏してたようですが、当時ボクサーでもあった彼が初勝利を挙げたとき、育ててきてくれた叔母さんが彼に Fenderのベースを買い与え、ボクシングをやめてオンガクに専心しなさい、と言ったそうです。つまりベーシストとしてスタートしてるワケ。 1962年ころからギターを始めたようで、やがて Otis Rushが水曜と木曜に出る Pepper’s Loungeでは、そのリズム・ギターも務めています。サウス・サイドでは Theresa’s Loungeで Junior Wellsとこに6年間!’70年代の中頃にはそこを後にして Geoege Smithや Big Mama Thorntonのギタリストに転身・・・ どうやら彼は’60年代から ’70年代の初頭にかけて Enaや Bea & Baby、 CJに Cruz、 Apexそして BeBeなんて独立系のレーベルにシングルを吹き込んでおり、中でも BeBeには1976年に、「アルバムとして」録音までしているのですが、それはついにリリースされずに終っています。 その後、名も売れてヨーロッパ・ツアーも経験し、Barry Lee Pearsonの著書 Sounds So Good To Me: The Bluesman’s Story にも登場するまでになりました。 1985年に Gritsに録音したセカンド・アルバムはレーベル側との金銭的トラブルからアメリカ国内では販売することが出来ず、ごく限られた数が日本でのみリリースされてました。しかし幸運なことに、そのマスターが Razor Recordsの手に移り、ついに1988年そのアルバムHousefireがリリースされ、1991年には Rounder Recordsによる CDとしてのリイシューが Bullseye Blues labelから発売されたのです。 1996年のライヴのNiles Frantzのリポートによると、使ってるギターは Fender Stratocasterで、エルモアみたいな「Crossroad」を弾くそうですがスライド・バーは使ってないんだって。 あ、ところで、彼って最初はベースだったようですが、ギターは「いとこの」 J.B. Lenoirから習った、としている Biographyもありました。 ただし、江戸川スリムさまのおっしゃっておられた、彼らの言う「あいつとオレはいとこだ」ってのが、「とんでもなく遠い」親戚だ、っちゅう意味で使われる場合が多いらしいので、日本で言う「いとこ=三等親」てのとはだいぶちゃうのかもしれませんが。 おススメはモチ「Money Tree」収録の Housefire!他に、I’m a Mad Man(Bullseye Blues)なんてのもあります。 ただ、いわゆる 1980年代以降の New Bloodたちとはあまり接点が無いのか、このひとの話題が Ariyoの日記ではまず出てきません。ちょっとちゃう「一派( Lucky Petersonあたりとの接点はあるようですが)」に属しているのかも。 当方はその商品やサービスを「一切」推薦しておりません。
by blues-data
| 2005-09-03 21:52
|