Carlos Johnson

Carlos Johnsonは 1948年 1月17日、Chicagoの Cook County Hospitalで、建設作業に従事する父 Warrenと、病院に勤務するのではなく、個人に雇用される看護婦であった母 Barbaraとの間に生まれています。
母はブルースとカントリー・ミュージック、父はジャズとクラシックを好む、という家庭環境で育ったようですが、そんな彼に大きな影響を与えたのは、母とともに聴いていた B.B. Kingのギター・プレイで、さっそく自分のギター(子供用のオモチャ)で真似ていたとのことです。

12才の時にはすでに近所のガキ・・・うっぷす、おトモダチと一緒にバンドを作り、いわゆる '60年代ロック、例えば Led Zeppelinや Jimi Hendrix、さらにはビートルズなんてのも演ってたとのことですが*、それで近隣のバーベキュー・パーテイに押し掛け(?)ちゃあ 10ドルっつ貰ってたりしたそうで。

* ─ 1948年生まれで 12才ならば 1960、あるいは 1961年なワケですが、当時のアメリカにおけるミュージック・シーンのトピックを挙げていくと、まず有名な Ray Charlesの Georgia on My Mind のヒットが 1960年です( 11月14日に全米チャート 1位)。
他にはプレスリーの It's Now or Never (ただしプレスリー本人はこの年の 1月14日、軍務についてますが)、ロイ・オービソンの Only the Lonely 、ダリダの O Sole Mio 、日本では坂本九のカヴァーで知られるジミー・ジョーンズの Good Timin' 、これも日本ではカヴァーがヒットした the Driftersの Save the Last Dance For Me 、さらにこれまた日本じゃお馴染みヴェンチャーズの Walk Don't Run なんてのもこの年でした。
さらに以前、拙日記でも採り上げました Ella Fitzgeraldの Ella in Berlinがリリースされた年でもあります。
じゃ、彼が言うビートルズは?ってえと、まだ Stuと Peteも含む(つまりリンゴはいない)五人でハンブルグでデビューしてたころで、当然まだ無名のまま。
続く 1961年には the Supremesが Motown Recordsとサインし、ヒットではパッツィ・クラインやコニー・フランシス、さらにジーン・ピットニィなんて名前が目立ちますね。
曲では「ライオンは寝ている」がこの年。そして Dick Daleの Let's Go Trippin' 、デル・シャノンの Runaway 、さらに寿家界隈で(?)とみに有名な the Shirellesの Will You Still Love Me Tomorrow もこの年なんですねえ。
あ、そー言えば Bill Evans Trioの Sunday at the Village Vanguardのリリースも 1961年でした。え?なんで急に Bill Evans、って?でへへ、そりゃあ Scott LaFaroですがな。ま、そっちに行っちゃうと長くなるのでヤメときましょ。

てなワケで Carlos Johnsonの言う Led Zeppelinも、もちろん Jimi Hendrixだって 12才当時では「出現」しておりません。
よってこれらのナンバーを演っていたのは、もっと後になってからのことでしょう。

さてハナシを戻しまして、高校生の頃には Nut Cracker Switと Seven Peaceという二つのバンドを持っていた(と語っていますが、原文では和訳にある「ソウル・ミュージックの」に該当する単語が無い!と思ったら、なんと WEB上の原文と思われた資料には「その部分」が欠落しておることを CDに付属してるライナーと突き合わせて「気がつき」ました。
うげげ、なんでこゆとこを「カット」するかなあ?)そうです。
あ、それとジャズも父親の影響でか演奏していたみたいですね。

1970年代になってからはかなりブルースに関わり始めたようで、Billy Branchに出会い、Koko Taylorや Junior Wells、そして Son Sealsなどと演奏するようになりました。またこれは江戸川スリムさまのとこで本人が語っているエピソードですが、おそらく 1972年か 1973年あたり、これも青森のブルース・フェスティヴァルに二年連続で来た Bonnie Leeと一緒に「ジャズを演ってた」けど、ブルースの方がカネになるから、と言うんで二人揃って「転向」したんだとか。

しかし Carlos Johnsonでもっとも印象に残っているのは、なんと言っても、あの Otis Rushをサポートした日本ツアーではないでしょうか。
ワタシは「とあるルート」からの録音で触れることが出来ましたが、おそらく実際にその場で聴いた方々にとっては決して忘れることの出来ない経験となっているかもしれません。




reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-03 22:34

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