Clarence "Gatemouth" Brown
ルイジアナで生まれてテキサスで育った・・・と彼自身のことを歌った Born In Louisianaの歌詞のとおり、「テキサス系」と言われる彼ですが、実はテキサスとの州境にある Louisiana州の Vintonで1924年4月18日に生まれ、そして生後すぐ州境をはさんだテキサス側の Orangeに移っています。つまり、彼はその幼少期からすでに、「境界」を跨ぐことを始めているワケですねえ。
彼の父がギターとフィドル(ブルーグラスなどではヴァイオリンをこう呼ぶのじゃ)を教えてくれたようですが、その父も幅広い音楽を演奏してたそうですから、血は争えません。
その父が死んだのは彼が21才の時ですが、同年(前後カンケイは不明だけど)San Antonioでドラマーとしてミュージシャン人生をスタートさせてます。

1947年のこと、ゲイトマスはヒューストンのナイト・クラブ「the Golden Peacock」で T-Bone Walkerのライヴを聴きにいってたんですが、演奏の途中で T-Boneの具合が悪くなり、ギターをステージに落としてしまったのを見たゲイトマウスはステージに駆け上がりそのギターをひっつかんでイキナリ自分の曲「Gatemouth Boogie」を弾きはじめたのです。T-Boneはこの若い成り上がりもんを「面白くは」思わなかったらしいんですが、聴衆は一気に湧き立ち、その15分の間に、ゲイトマスの足元にはたちまち投げ銭のヤマが出来て、総額 $600にもなったそうです。
この様子はヒューストンの実業家でクラブのオーナー Don Robeyの目に止まり、さっそくゲイトマウスを雇い入れ、遂にはマネージャーとなってしまいました。
23人編成のオーケストラをつけて南部から南西部をまわるブッキングを行っています。

最初のレコーディングはハリウッドの Alladin Recordsに1947年に行っていますが、そこでのプロモーションの仕方やリリース方法などについて疑問を持った Don Robeyは、ゲイトマウスのために自らの手で Peacock Recordsを設立してしまいます。
そっからは「Okie Dokie Stomp」、「Boogie Rambler」、「Just Before Dawn」そして「Dirty Work At The Crossroads」というヒットが生まれました。
これによって、ピーコック・レーベル自体もメジャーな独立レーベルとなり、Bobby "Blue" Bland、Junior Parkerや Joe Hintonを抱えるほどになったのです。

’60年代に入るとゲイトマウスは Nashvilleに乗り込み、Hoss Allenがホストを務める、R&Bを中心としたテレビ番組のThe Beat に出演するようになります(確か Freddie Kingのヴィデオのバックにいたよね?)。
この Nashville時代にも、一連のシングルを録音しています。
’60年代の終りに、ニューメキシコで保安官代理として勤務(ホンマかいな?)していた一時期は音楽と離れていたようですが、こんどはヨーロッパに新たなブルースの聴衆を開発するためのツアーに関わるようになり、まず1971年、彼はフランスでのデビューをはたしました。
1970年代を通じて10回以上ヨーロッパを訪れ、そこから計 9枚のヨーロッパでのアルバムが生まれています。
特に、 フランスの Black & Blue に 1973年に吹き込んだアルバムで、Alligator Recordsからは 1986年に発売された PRESSURE COOKERはそれ以降のグラミー賞候補として注目される契機となったものです。
1970年代中期にはアメリカ政府の事業の一環として、東アフリカ諸国を歴訪し、アメリカン・ミュージックのスポークスマンとして活動しました。
また’70年代後期には Montreux Jazz Festivalの常連ともなっています。
1979年には(当時の)ソヴィエト連邦を訪問。
このころには New Orleansに居を移し、Jim Batemanの Real Records( Louisiana州 Bogalusa )と契約。そしてアメリカでの彼の初アルバムとなった BLACKJACKを1978年にリリースしました( Music Is Medicineレーベル) 。
1979年には PBS-TVの Austin City Limits に出演。またカントリー系の Roy Clark とアルバムを作り、それによって Hee Haw という番組に出演。
1982年、グラミーの"Best Blues Recording"賞─ALRIGHT AGAIN!。同年 W.C.Handy Awardの"Instrumetalist of the Year"に。さらにドイツ・レコード批評家投票の"Album of theYear"も獲得。

その後のゲイトマウスはニュージーランドやオーストラリアへのツアーや、1988年にアメリカの大使が追放されたニカラグアにも出かけています。政治的、あるいは軍事的な緊張の続く地区(中南米を含む)へのツアーについてゲイトマウスは、「連中が聴きに来れないんだったら、こっちが行くしかなかろうが」とノタマっておられたようです。

ま、なんてステキなおかた・・・なんて思うとドッコイ、これがなかなか喰えないジジイ・・・う〜っぷす、ヴェテラン・ミュージシャンでございまして、ま、あまりにも有名なエピソードといたしましては、かの吾妻光良氏はかってゲイトマウスに心酔(?)しておられ、1986年にはゲイトマウスのインタビューをされたのでございますが、いやはやなんとも、この時のインタビューはブルース史に残る最も不条理な(?)展開をみせてしまい、なにゆえか「激怒」したゲイトマウスに吾妻光良氏はエラいメに合わされたのでございます。キョーミがおありの方は、Black Music Revue誌 ’86年7月号をご覧くださいませ。

さて、最近はどうやら肺ガンで療養中らしく、ニューオーリンズの郊外の自宅はハリケーン Katrinaにメチャメチャにされたようですが、なんとか、もいちどくらい日本でライヴやってくんないかなあ?
「Born In Louisiana」は STANDING MY GROUND Alligator ALCD 4779・・・あ、うちのは UK盤だ。

さて、その Gatemouth、肺癌を宣告され、療養中のところ、ハリケーン Katrinaに襲われる自宅を離れ Texas州 Orangeに避難していましたが、2005年 9月10日、永眠しました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-04 00:47

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