Cousin Joe
Cousin Joe?ダレそれ?って方も多いでしょうね。
いちおう New Orleans系のシンガー/ピアニスト(若いころはウクレレとかも弾いてたらしーけど)でございます。
とゆーと、じゃあ、Professor Longhair みたいな?ってえコトになりますわな。
まあ、そのー、なんちゅーか、たしかに「それ系」ではございますのですよ。ピアノなんかね。時々・・・

Pleasant "Cousin Joe" Joseph(Brother Joshuaあるいは Smilin' Joeの名前も使っています)は Louisianna州 Wallaceで 1907年12月21日に生まれました。1919年には New Orleansに辿りつき、Freddy Keppard*や Mutt Carey**、そして King Oliverなどが活躍していた Storyvilleのハズレに来ています。ただ、彼の母はまずスピリチュアルズを歌わせたようで、バプティスト教会でデビュー(?)しました。それでも、そんな環境にいて「汚染」されないハズはなく、次第に「ブルース・シンガー」として知られていったようですね。

*Freddieが正しい、とする資料も。1890.2.27-1933.7.15。コルネット奏者で BYGに Edgar's Creole Orchと吹き込んだ1926年のアルバムがある。他には彼の吹き込みを集めた『The Complete Set 1923-26』 Retrieval 79017。
**1891-1948.マーチング・バンド出身のトランペッター。1914年から1925年まで Kid Ory***と一緒に活動していますが、シカゴに行く Oryと分かれ、ハリウッドで映画関係の仕事につきます。大恐慌を経てディキシーランド・リヴァイヴァルの波に乗り、1944年には Kid Ory's Creole Orchestraに復帰、1947年には自分のバンドを作るために独立した。
***Edward Kid Ory。1886-1973。もともとはバンジョー奏者だったがトロンボーンに転向し、頭角を表す。1912年に組んだ彼のバンドは King Oliverや、まだ若かった Louis Armstrong、Johnny Doddsに Sidney Bechet、そして Jimmie Nooneなどが在籍したことで知られています。1919年には健康上の理由から Californiaに移り、ついてきてた Mutt Careyも含め、新しくバンドを結成し、Kid Ory's Creole Orchestra として活動を開始。「黒人による初のジャズの吹き込み」を1922年に行っています。1925年には Chicagoに移り、様々なミュージシャンと演奏をしています。大恐慌の時期には仕事も減り、雌伏の時期を経験しますが、1940年代に入ってディキシーランド・ジャズの復興により息を吹き返し、1943年にはKid Ory's Creole Orchestra を復活させることができました。1966年に引退するまで、ツアーやレコーディングを行っています。


彼は、ミシシッピー川を航行するリヴァー・ボート(あのデカさでも英語じゃあ「ボート」なのねん)で歌い、チップを集めていたそうですから、そこそこイケてたんでしょう。1930年ころには自分のバンド the Jazz Jestersを結成しています。そこでピアニストとしての腕を上げた彼は Armand Piron*、Harold Dejan**に Joseph Robichaux***などとともに Smilin' Joe's Blues Trioを1942年にスタートさせています。

*Armand John "AJ" Piron:ヴァイオリン奏者。1888-1943。1912年には Olympia Orchestraを率いていた。初期の Clarence Williamsのビジネス・パートナー。
**クラリネット&アルト・サックス奏者。1909.2.4-?。1958年には自身の Olympia Brass Bandを結成、1980年代まで活動していました。
***ピアニスト。1901-1965。自身の New Orleans Rhythm Boysで1933.8.22-26に録音もしています。個人としては the Jones-Collins Astoria Eightの1929年録音に参加しました。


1937年には New Yorkのナイト・スポットに姿を表しています(って呑みに来てたのを見掛けた、っちゅうイミじゃないぞう)。そして1945年には Mezz Mezzrowの King Jazz labelに、「Saw Mill Man 」を吹き込みますが、その時の共演者は Sydney Becketや Lips Page*に Sam Price**Mezz Mezzrow***といったメンバーでした。

*Oran Thaddeus "Hot Lips" Page。1908.1.27-1954.11.5、トランペット&ヴォーカル。Ma Rainey、Bessie Smithに Ida Coxの伴奏を務め、1928年から1931年までは Walter Pageの Blue Devilsでソロをとり、1932年にはそこを出て "Bennie" Motenのバンドに参加、また Reno Clubでは "Count" Basieとも共演し、1936年にはソロとして独立しています。
**ピアニスト。Ida Cox、Jimmy Rushing、Sidney Bechet、Lester Youngに Cow Cow Davenportとも共演している。
***Milton Mezz Mezzrow。クラリネット奏者。 1899-1972。1920年代にはシカゴの白人のジャズ・シーンの中にいて、the Austin High Gangや the Jungle Kings、そして the Chicago Rhythm Kingsに参加しています。1927年には New Yorkに移り、Eddie Condonと共演。1930年にはスゥイング指向のバンド、The Disciples of Swingを作る。自身の King Jazz labelを1945年から1947年まで運営していたが、1948年にはフランスに行ってしまう。


1946年には Philadelphia Labelに Brother Joshua名義で録音、この前年には Leonard Hawkins*や Pete Brown**とも組んでいましたが、ここでは Earl Bostic's Orchestraと共演しています。
1940年代末には New Orleansに戻りますが、その後も Philo/Aladdinや Savoy、Gotham、DeLuxe、Signature、Decca、Flipに Imperialなどのレーベルに吹き込んでいます。
また彼が New York時代にレコーディングした中には、ギタリストの Al Casey***とのセッションで吹き込んだ「Old Man Blues / Too Tight To Walk Loose」 Savoy 5536や「Death House Blues / Big Fat Mama」 Savoy 5540なんてえのもあります。(名義は Cousin Joe with Al Casey Quartet。彼自身はヴォーカルで、Steve Hendersonのピアノ、ギターが Al Caseyで、ベースが Al Matthews、ドラムは Arthur Herbert:New York, May 21, 1947)


*トランペット奏者。1946.1.29,NYCの Dexter Gordonのセッションに参加し『Settin' the Pace 』 (Savoy Jazz SVY 17027)を録音。また Billie Holidayの伴奏(1949.2.18, NYC)で Savoy S 36106「I cried for you 」なども録音しています。
**アルト・サックス奏者。1906.9.9-1963.9.20。まるでコトバをしゃべっているかのような特徴あるスタッカート・プレイが印象的なニューヨーク・ジャズのプレイヤー。
***Al Casey And His Sextet(Gerald Wilsonのトランペット、Willie Smithのアルト、Illinois Jacquet !のテナー、Horace Hendersonのピアノ、そしてトーゼン Al Caseyのギター、ベースは John Simmons、ドラムが Sid Catlett)では1945.1.19, Los Angelesで「Sometimes I'm Happy / How High The Moon」 Capitol 10034なんてえのもあります。出て来ましたねえ、Illinois Jacquet!


さて、こーやってやたら注釈だらけの一文が出来ちゃいましたが、ケッキョク Cousin Joeは影薄いのねん。いくらキラ星のごとく有名な関係者を並べてみたところで、ご本尊がいまひとつ「光らない」んですよ。
このアルバム『COUSIN JOE OF NEW ORLEANS』 BLUESWAY BLS 6078は Al Smithが Roosevely Sykesにノセられて(?)作ったよなもんですが、やはり、いまいち「必然性」がリカイ出来ないっすねえ。なにしろ「楽天的・ポジティヴ・パッパラパー・明るい・楽しそう・軽い・派手・おちゃらけ・ダンサブル・セクシー」っつー(あ、これはワタシのイメージね)New Orleans Soundsのイメージにいっこも当てはまらないんだもの。
お亡くなりになったのは1989年10月 2日 New Orleansでございます。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 02:01

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