David "Honeyboy" Edwards
実はこの Honeyboy Edwards、多少、ワタクシの苦手としております、語尾を伸ばす歌い方をいたしますのですよ。でも、フシギなことにこのひとの場合、それがあまり不快じゃないんですね。声質によるものか、全体の脱力感によるものか、その部分があまりプレゼンスが無い、ってのもあるんでしょうが、ま、非科学的っちゅう非難をおそれずに、感覚的なことで言っちゃえば、彼の「お人柄」ですかねえ?

David Edwardsは 1915年 6月28日、Mississippi州の州都 Jacksonの北北西約 180kmほどに位置し、隣接する Arkansas州の Little Rockからは南東にほぼ 200km、さらに Tennesse州の Memphisからは南南西に同じく 200kmほど離れた(つまり、左に Little Rock、右に Memphisを置き、う~んと下に Jacksonを置くタテ長の逆三角形の中にある)町 Shawで生まれています。2000年の国勢調査では人口 2312人、うち白人は 7.31%に過ぎず、92.8%が黒人となっています。
総人口の 41.3%が必要にして充分な生活水準以下のレヴェルにある、とされていますから、あまり「豊か」とは言えないようですが、1915年当時の資料は発見出来なかったので、彼が生まれたあたりの町の様子は判りませんでした。

Tommy McClennanや Robert Petwayを聴くことでギターを学び、やがて 14才になるころには Big Joe Williamsとデルタ各地のジューク・ジョイントなどに出演するようになっていたようです。
さらに 1932年にはどうやら家族のもとを離れ、各地を旅して歩いたらしく、おそらくこの時期に南部諸州で Robert Johnsonや Big Walter Horton、Yank Rachellなどとの付きあいを持ったのではないでしょうか。
それによって、Honeyboy Edwardsは Robert Johnsonにつながる重要な「リンク」として評価される存在にもなりました。しかし、Johnny Shinesの例でも同じですが、それによって逆に本人の個性が歪められてしまうケースも多く、Robert Johnsonの影ばかりを彼らの中に見ようとする(キモチは判らなくもないけど)のは、むしろマイナスに働くことのほうが多いように思えます。

1942年、Alan Lomaxによって Honeyboy Edwardsは Library of Congressのフィールド・レコーディングに収録されました。この時は 15曲が録音されました。
そして次に彼が録音したのは、1951年の Houstonで、Arc RecordsにWho May Your Regular Be などをレコーディングし、1953年にはDrop Down Mama を残しています。
この前後には、旅をメインに、時として録音に現れる生活だったようですが、1950年代半ばからは Chicagoに腰を落ちつけて活動をしています。
Chicagoでの彼は小さなクラブに出演し、また日によっては街頭で演奏し、さらに色々なレーベルにレコーディングという生活だったようで、Johnny Temple*や Floyd Jones*、そして Kansas City Red(このひとについちゃまだ資料が見つかってまへん)などと活動をともにしていたようです。
やがて 1960年代の半ばからは Adelphi/Blue Horizonなどへのレコーディングやフェスティヴァルへの出演もするようになり、さらに1970年代以降はヨーロッパや日本などへのツアーも行われました(それで青森にも来たのねん)。
現在でも、ベーシックなデルタ・スタイルのカントリー・ブルースの「生きた化石(?)」扱いで珍重されてるみたいですが、そんな扱いは彼のもつホノボノとした魅力を歪めてしまうんじゃないか、とちょっとシンパイ。
1998年には自叙伝、The World Don't Owe Me Nothin' を刊行し、同名のアルバムもリリースしています。

なんだか、カントリー・スタイルでの演奏ばかりを求められるみたいですが、決してバンド・スタイルが出来ないワケじゃありません。現に、あの Carey Bellが一時、Honeyboy Edwardsのバックでベース(!)を弾いてるし、1979年には Floyd Jones、Sunnyland Slim、Big Walter Hortonなどでセッションもしてるんですよ。
でも、どーやら、そんな Honeyboy Edwardsは「求められてない」よーで、やはり、ギター一本でとつとつと歌って欲しいんでしょね。
言わばアメリカじゃ「ブルースの人間国宝(?)」扱いらしいですから。

その David "Honeyboy" Edwards ですが、2011年の夏、おそらく健康上の理由からと思われる「現役引退宣言」をしてブルースの世界からしりぞいたのでしたが、ほぼその直後と言ってよい 8 月 29日に Chicago で暮らしていたアパートの自室で鬱血性心不全で死亡しました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 11:55

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