Doctor Clayton
さて、この "Doctor" Peter Claytonは 1898年 4月19日、Georgia州で生まれています。
でも、それ以外のことはどうもよく判りません。41 Blues じゃ、オレがヒットラーの寝首をこのカミソリでかっ切ってやるぜ、なんて曲をカミソリ振り回しながら唄ってた、とかその服装のシュミやら、いつも裸足だったこと、ファルセットを多用した・・・などなどエピソードはあるんですが、どんな生活から出てきたのか?はナゾ。
終戦の翌年に肺結核で倒れ、1947年 1月 7日に Chicagoの病院で死亡しています。

しかた無いので彼の Pearl Harbor Bluesのことを・・・

1941年12月 7日、いきなり日本機が Pearl Harborを爆撃しやがった

やることがキタネえよな、街をウロつく野犬なみだぜ
喰いものをやろうとしてた手を噛むなんて

(中略)

オレたちが売ってやった金属を使って
奴ら、爆弾と弾丸をこさえて、それを Pearl Harborに雨と降らせたんだぜ
それを思うとハラワタが煮えくり返る

これは、真珠湾攻撃を受けたことに対する、アメリカ国民の代表的な感情だったことでしょう。この曲は翌1942年の 3月27日に Chicagoの Bluebirdで録音されたものです。
バックで聞えてる耳慣れない(かもしれない)音はチューバで、Ransom Knowling*。ピアノは John Davisで他に Alfred Elkinsのベースとなってます。

*Ransom Knowling─有名なベーシストで数々のレコーディング・セッションに名を連ねています。生まれは New Orleansで、1912,6,24 - 1967,10,22。彼が関わったブルースマンを列挙すると、有名なマディの他にも、Jazz Gillum、Champion Jack Dupree、Tommy McClennan、Bill Casey、Big Bill Broonzy、Memphis Minnie、Sonny Boy Williamson I & II、Lonnie Johnson、Robert Nighthawk、Arthur Crudup、Eddie Boyd、Roosevelt Sykes、Tampa Red、Elmore James、Memphis Slim、T-Bone Walker、Sunnyland Slim、Big Joe Williams、Big Maceo、Washboard Sam、・・もー、スゴいですねえ。ホントはこれらのブルースマンの名前いっこっつにリンクつけて、採り上げた日記にトバそうか?とも一瞬想ったんですが、そしたら、リンクだらけで、ここんとこだけ色が変わっちゃいそでしょ?それに、さすがにメンド過ぎるざんす。
もちろんベースとして関わっているのですが、タマには今回のチューバや、バリトン・サックス( Tampa Redとの共演でそうクレジットされているものがあります)なんてのも演奏してたみたいです。チューバはトランペット系のマウス・ピースが発音原理だし、サックスはもちろんリードの振動、と発音原理が違ってるんですが、両方出来たんでしょか?それもスゴいですね。New Orleansの出身ってのが、吹奏楽器に強い原因なのかなあ?
あ、カンケーないけど、ボニー・レイットのバックでフレットレス・ベースを弾いてた Freeboも曲によっちゃあチューバかスーザホンを吹いてましたよね、確か。


上の訳詞では「やることがキタネえよな」とした部分ですが、資料によっていささか異なっており、Ungratefulとしていたほうを採用しましたが、一方の Ungracefulだと、「やることに品が無えよな」となり、ちょっとトーン・ダウンしてる感じでしょ?
おそらく、おおかたのアメリカ国民は怒り心頭、だったハズで、にっくき「じゃっぷす」を「品が無い、無作法な」程度のけなし方で収まってただろか?っちゅうギモンもあって、より「侮蔑的」な Ungrateful─恩知らず、不愉快な、なんてイミ。─をとりました。
また、「ハラワタが煮えくり返る」も、原文では「 my blood boil in the vein─血管の中で血が煮えくり返る」なのですが、これも日本ではあまりピンとこないかもしれん、つーことで日本的慣用語に替えちゃいました。

この歌を聴いていただけば判るとおり、日本軍が真珠湾を奇襲したことによって、アメリカ全体に漂ってた、「戦争は避けたい」、ってえ「気分」が一気に「参戦やむなし」にナダレ込んで行くワケです。
中略、とした部分にはルーズヴェルト大統領( Franklin Delano Roosevelt。第32代目。1882,1,30 - 1945,4,12 New York生まれ。大統領在任中に病没した)の放送に触れ、「我々はこれまでヨーロッパやアジアで起きていることから距離を置いてきた。だが、もういまはそんな場合ではない」という、まさに、方向転換を表明した演説が歌詞に織り込まれてる、ってワケ。

翻って、日本では、ってえと、開戦当初の楽観ムード下での、戦時歌謡(なんて言い方は無さそだけど)ってのがどんなだったか?ってえのはさすがのワタクシもまだ生まれてもない頃のことゆえ定かではないのですが、自分たちがエラい目にあった、ってのを(そのコト自体、国民にゃ知らせないよにしてたんでしょが)、こんなふうに、言わば吟遊詩人のごとく唄い上げて行くだけの余裕って果たしてあったかしら?と想ってみるワタクシでございました。
ここで言う余裕ってのは国力ってえヤツの違いだけじゃなく、精神的にも、ってことね。
軍部による思想統制などで、歌舞音曲にいたるまで規制の対象としてた日本でじゃ、たとえ国民の興味が集中している題材であっても、自由にそれを「曲」として作り上げ、さらに流通させる、なんてことは出来なかったんじゃないでしょか。
ただ、だからってアメリカが「天国だ」だなんて言ってるんじゃありませんよ。アメリカは構造的な「差別の肯定」の上で、いわばウワモノの繁栄を謳歌しているに過ぎず、貧困層が人間としての尊厳を奪われていることに変わりは無いワケです。
自由主義のもとでは、貧富の差が存在するのは当然。でも、底辺にあっても、衣食住(最近ではそれに情報も加えるべきでしょうが)の最低限のレヴェルは保証される、なんてゆう状態こそが「真の」豊かさであり、それを実現できない社会は実は「貧しい」のですよ。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 12:48

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