Earl Hooker
Gibson EDS-1275、つまりダブル・ネックの SGでお馴染み(?)、 Earl Hookerさんでございます。
Earl Zebedee Hooker(ミドル・ネームはどう発音すんでしょ?ゼベディ?)は 1929年、あるいは 1930年に Mississippi州 Clarksdaleで生まれた、とされています。
生年ですらそんなですから、誕生日も判明していないのは仕方ないのかもしれませんね。
その彼が一才になるかならないかで一家は Chicagoのサウス・サイドに移ったもののようですが、良く知られているように彼はジョン・リーの「いとこ」でもあります。
しかし、資料によっては彼をジョン・リーのFirst Cousin としているものと、Second Cousin としているものがあって、多少の混乱があります。
ま、どっちだっていいんですがね。

彼はブルースの真っ只中と言ってよいシカゴをその揺籃として育っていきます。
さらに両親ともに音楽を演奏した(ちょっと楽器までは判りませんでしたが)と言いますから、音楽的な環境としては、ワタクシなんぞにしてみりゃあヨダレがドド~っと出そうな「恵まれた」状態だったんじゃないでしょか。
ワタクシなんぞ、そのよーな環境がゼロに近いとっから過たず「ブルース」に着地することが出来たのはもはや奇跡と言っていいんじゃない?え?そんなことより Earl Hooker?はいはい、そーでしたね。

およそ 1945年ころ、彼は Robert Nighthawkに会ったことで影響を受けたのか、ギターを始めることになったそうです。当時の Nighthawkは名義こそ Robert Lee McCoyですが、すでにして Bluebird Recording Artistでした。
そのようにして、彼にギターとの関わりを与えてくれたのは Robert Nighthawkですが(もちろん、奏法でも影響は受けています)、同時に彼はブルースのみならず、カントリー&ウエスターンやジャズ、そしてポピュラーからやがてはロックン・ロールにまで及ぶ広い範囲の中から様々なギター・プレイを吸収していったようです。
この時期のそのような視点が、彼のプレイに独特な彩りをあたえたのではないでしょうか?

ま、なんだって、その道一本っちゅーのは、それはそれでリッパなことではあるのでございますが、元来、ニンゲンつーもの、けっしてそのよーにタンジュンな世界で充足する、とは思えませんから、その多様性のあり方みたいなとこに「個性」は存在する、とワタクシなんぞは愚考する次第でございます。
やがて彼はシカゴを出て南下し、Ike Turnerのバンドに参加し、Sam Phillipsの Sun Records*に録音も経験しているようです。

1950年代の彼はどこか一社と長期契約を結ぶことなく、かなりな移動を繰り返していたようで、各地のクラブやジューク・ジョイントを回り、また数々のレコーディング・セッションに参加するためにフロリダからウエスト・コーストまでの各都市のスタジオを渡り歩きました。

その彼も 1960年代の初頭には再びシカゴに戻り、一連の彼自身の代表作を Chess、Chief、さらに Ageなどのレーベルに残しています。

Blue Guitar Tanya Blues In D Natural (これって、同名の Red Lightnin'のアルバム・タイトルにもなってますよね)、Universal Rock なんて曲を生み出したのがこの時期です。
それらの自己名義のもの以外にも、たとえば Junior Wellsの Chief録音、さらにはマディや A. C. Reed、Ricky Allen、Lillian Offittのバックでも活躍していますが、Lillian Offittの Will My Man Be Home Tonight での印象的なギターは、以後、彼のトレードマークみたいなものになっていきました。
1971年、Otis Rushは、彼自身のアルバム、Right Place, Wrong Time の中でそのリフを導入したナンバーI Wonder Why を Earl Hookerに「捧げた」とされています。
また、この時期のマディとの仕事で、You Shook Me で実際にスライドを弾いているのは彼なのに、マディをスゴいスライド・ギタリスト、と思い込んだ層が実際にいた、としている資料もありました(今もいそう・・・)。

ケッキョク彼は「お馴染みの」 Day Jobにつくことなく、あくまでもプロ・ミュージシャンとして時代を疾走して行きます。
1960年代後期には Arhoolie Recordsのオーナーである Chris Strachwitzが Buddy Guyの推薦で Earl Hookerに接触し、それ以降、Two Bugs And A Roach( Arhoolie 1044、CD 324)や The Moon Is Rising( Arhoolie CD 468)などをリリースし、彼のギターはジャンルを超えてロック・ギタリストにまで愛される普遍性を獲得して行く(・・・なんてエラそうなこと言える立場じゃないんすけどね)ことに。

1969年の晩秋、彼は Magic Samなどとも一緒に(だから Magic Samが Earl Hookerの Univox U1885、「なんちゃって」 Les Paul Customを使っているのねん) American Folk Blues Festivalの一員としてヨーロッパ公演を行っていますが、その時すでに彼の結核はかなり進行していたものと思われます。
それから帰国した彼はすぐに、シカゴの結核療養施設に収容されたのですが、もはや容態はきわめて悪化しており、治療の甲斐もなく 1970年 4月21日に死亡しました。

彼の遺骸は Illinois州 Cook Countyの Alsipにある Restvale Cemeteryで眠っています。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 13:04

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