Eddy Clearwater
Blues界のレフティとしては、やや忘れられがちな Clear Water。
ド派手なインディアンの羽根飾りをかぶってニンマリしてる彼の写真を(名前は知らなくても)見たことあるひとも多いんじゃないでしょか?

Eddy Harringtonは 1935年の 1月10日、Georgia州ではなく Mississippi州の方の Maconで生まれています。
デルタ・ブルースやカントリー&ウェスタンのレコードを聴いて育ったそうですが、彼が 12才の時(本人はインタビューでそー言ってますが、資料によっては 13才としているものもあります)、一家は Alabama州の Birminghamに移り、そこで初めて叔父の弾くギターという楽器に魅せられ、ギターを手にするようになります。
その叔父のギターはゴスペルに伴奏をつけることをメインとしていたようですが、Lightnin' Hopkinsやジョン・リーから「耳で学んで」さらなる練習をしたもののようです。
そして、ひととおり弾けるようになった彼は、Five Blind Boys of Alabamaをはじめとするいくつかのゴスペル・グループのバッキングをすることから始めました。
そしてこのゴスペルとの関わりは 1950年 9月に彼が Chicagoのウエストサイドに移った後も残り、やはりゴスペル・グループのギターを務めていたようです。

そんな彼に押し寄せてきたのが Little Richardや Fats Domino、Chuck Berryなどのロックンロール系の音楽でした。
1950年代の前期に彼はそれらの音楽の洗礼を受け、特に Chuck Berryとは一緒にやったこともあるそうですから、その感覚は、ずっと彼の深いところに根付いているのではないでしょうか?
やがてそんな彼も Magic Samや Otis Rush、さらには Luther Allisonや Freddie Kingなどとの出会いを通して、そのベクトルを「ブルース」の方に曲げてゆくことになるのですが、やはり、どこかに昔日のロックンロールの余熱が残っているように思うんですよねー。

その後、Jimmy(あるいは Jimmie) Lee Robinson(昨年の 8月14日付の日記)とも出会い、彼のインタビューでは、その J. L. Robinsonのレコーディングに「ベースで」参加した、と言っていますが、それって 1959年あるいは 1960年あたりに Bandera Recordsに吹き込んだLonely TravellerやらAll My Lifeのことなんでしょか?ザンネンながら確認できず。
なお、その当時だと思うのですが、Musicians Unionから来てたマネージャー Armon Jacksonってのが、マディをもじって「 Clearwater」ってのはどうだい?と言ったらしいのですが、そのエピソードはもっと後のことかもしれません。

だって 1958年に彼のいとこでもあり、同じよーにレフティのギタリストでもあった Rev. Houston H. Harringtonが所有していたレーベル、Atomic-Hに吹き込んだシングル、Atomic-H 203(ただしHillbilly BluesBoogie Woogie Baby のどちらが A面だったのか?については資料の間でも混乱が見られ、両方の説が入り混じっております。あ、ついでに同レーベルには 1959年に Atomic-H 956 I Don't Know Why / A Minor Cha-Chaも吹き込まれています。で、もひとつ、ついでに Rev. Houston H. Harringtonですが、Rev.でお判りのよーに聖職者で、とーぜん、そのレーベルもゴスペルをメインとしてスタートさせたものらしいのですが、やはり商業的見地からブルースにも手を広げておったのでしょうね。アルバムもリリースしていたらしいのですが、そのマスターは Delmarkに渡り、シングルはリイシューされたのですが、アルバムのほーはそれっきりでございます。もしかするとどれもゴスペルのだったのかな?)での名義は Clear Waters & His Bandとなっており( 1959年のシングルでは Clear Waters & His Orchestraですが)、おそらく、これが起源だと思うのですが、インタビューではそのことに一切触れてないんですよ。なんかそのヘンひっかかるなあ。
また、似ているようでも Clear Waters Cleawaterでは違いますからね。たぶん Clear Watersは、そのいとこあたりが軽い冗談でつけたんじゃないでしょか?それに初期のころは自分を Guitar Eddyと、また組んでいたトリオを Eddy And The Cutawayと呼んでいた、とする資料も(ただしインタビューでは出てこないし、その名義での録音も確認されてはいません)ありますから、Clearwaterってのは 1961年の Federal録音以降の名称のようです。

ところで、その Atomic-Hのオーナー、Rev. Houston H. Harringtonの他にも Harrington一族がブルース界におりまして、それはなんと、あの Carey Bellだったのでございますよん。そー言えば Carey Bellも Mississippi州 Macon( 1936年11月14日生まれ)でしたねえ。
Clearwater自身はまったく知らなかったそうなんですが、後に Jim O'Nealが彼の家系について調べてゆくうち、その事実に突き当たったらしく、実際、Carey Bellのラスト・ネームも実は Harrngtonだったのだそうです。
The ChiefでのBlues For Breakfast で聴ける Carey Bellのクロマチックがひときわ感慨深くなりそなエピソードでございますわねん。

およそ1960年代になってからはフル・タイムのミュージシャンとしての生活を始めたようですが、いわゆる '60年代中期のヨーロッパでのブルース・ブームには「乗り損なった」らしく、彼がヨーロッパを訪れたのは 1976年になってからです。
同時代の、彼のインタビューでも、色々な逸話とともに名前が出てくる Hound Dog Taylorや Magic Sam、さらに Otis Rushに Freddie Kingといったところが次々と注目されて世界的なセールスにまで届いてゆく中、彼の位置は微妙なところにあり、その意味でも、ここ日本じゃ名前は知ってる、あるいは聴いたことがある、さらにアルバムも一枚くらいなら持ってる、くらいまでは行けるんですが、おそらく彼の熱烈なファンで全アルバム揃えてます、なんて方はあまり多くはないんじゃないでしょか?

なんて、かくゆうワタクシも彼の最新アルバム(つーても 2000年の 9月に出てるんだけどさあ)まだ聴いてないもんなあ。Bullseyeからの Reservation Blues



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 14:42

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