Eddie Floyd
彼の Knock On Woodは、Ben E. Kingの「Stand By Me 」やら Sam & Daveの「Hold On 」同様、スーパーのワゴン・セールなんぞで売られてるソウル/ R&B『ベスト・セレクション』なんて CDにゃあ「必ず」と言ってよいほど収録されてますから、これを(曲名は知らなくても)聴いたことのあるひとってモノ凄い数になるんじゃないでしょか?
おまけに、この特徴あるベース・パターンやらヴォーカルのリフなど、そーとーにキャッチーですからねえ。この曲を始めたとたん客席がウォ〜!っと盛り上がるのはまずマチガイないでしょ。

おかげでこの曲、いろんなミュージシャンに採り上げられてますよ。
Vanguardでの Buddy Guyもそーですが、Carla Thomas & Otis Redding、Albert Kingに Ike & Tina Turner、James Cottonそして Ella Fitzgerald!
まだまだありそうですが、そこらおヒマな方、調べてみてくださいませ。

Lee Floydは Alabama州 Montgomeryで、1935年 6月25日に生まれています。でも彼がそこにいたのはごく僅かな期間だったようで、なんと生後 6週間くらいで、家族はすぐ Detroitに移ったもののようです。
彼のインタビューによれば、14才のころ、Frankie Lyman and the Teenagersというグループを見て、自分もグループで歌ってみたくなったんだそうです。
彼には Robert Westという(苗字がちゃうから母方の?)叔父さん( or伯父さん?)がいて、当時はまだスタートしたばっかりの小さなレーベルに過ぎなかった Berry Gordyの Motownに張り合っていた二つのレーベル、Lupineと Flickを設立しておりました。
その彼が作った(資料によっては Floydを co-founder─共同設立者か?でも co-pilotだと副操縦士なんだけど─としてますねえ)ヴォーカル・グループ、the Falconsに Floydは参加します。

と、ここで The Falconsについて少し。
とは言っても、ワタクシこの手のヴォーカル・グループにはヨワいので(別に嫌いってことじゃあおまへん)資料の受け売り、かつ、サイド・ストーリィと割り切っちゃって(?)複数の資料を突き合わせて整合性をチェックとかしておりません。この部分について興味がおありでしたら、ご自身でもケンキューしてみてくださいませ。
さて、その Falconsですが、1955年にスタートして、Robert Westによって Mercury Recordsと契約したようなのですが、ケッキョク 1957年までは、これといったヒットも無く、これじゃマズい(?)ってんで新たなリード・ヴォーカルとして Joe Stubbs( Four Topsの Levi Stubbsとは兄弟です。そ、原資料が英文なんでどっちゃが兄やら判りません)を招き入れ、これが良かったんでしょね、1959年には大ヒット「You're So Fine 」を出しております。ただし Joe Stubbsはこの後 the Contoursに参加するために Falconsを抜けています。そこで入れ替わるように入って来たのが、かの有名な Wilson Pickettでございました。スゴいでしょ?Knock On Woodの Floydばかりか Wilson Pickettまで在籍していたんですぜい。すんごいグループじゃん!しか〜し、なんと、それだけではございませんのじゃ。そこにもーひとり有名人が揃うんですよん。
Wilson Pickettが入ったのが 1961年ですが、最初 1956年に the Five Scaldersというグループにいたのが、1957年に the Falconsに加わり、グループが解散した 1963年まで在籍していた Mack Rice(なんでか「 Sir Mack Rice」と「サー」付きで呼ばれてますねえ。なんで「サー」なんでしょ?そっちまで追い掛けてるヒマが無いよう)がもひとりの VIP。
え?知らん、て?でしょーなあ。あのねえ、このひとがあの「Mustang Sally 」のオリジネイターなんだって!もちろん Wilson Pickettでみなさんご存知のことと思いますが、Mack Rice自身の歌でも( Falcons解散後の)1965年に R&Bチャートの 15位にまで昇っておるのでございますよ。その「Mustang Sally 」ってのは、Ford Motor Co.から 1965年にリリースされたスポーティなコンパクト・カー Ford Mustangと歩調を会わせるようにセールスを伸ばし、以来 Ford Motor Co.と Mack Riceは密接な結びつきのもとにあり、たとえば 2000年の夏にアメリカ各地で公演した際には『Mustang Sally 2000 Tour 』として、Ford Motor Co.の全面的なスポンサー・シップを得ておるのでございますよん。
それはさておき Falconsですが、1962年にはギタリストの Robert Ward率いる Ohio Untouchablesのバッキングを得て吹き込んだ「I Found a Love 」が最後のヒットだったようです。1963年には Wilson Pickettが独立し、それを機会にグループは解散したのでした。Robert Westは the Fabulous Playboysというグループを抜擢し、「 Falcons」の名を継がせましたがさしたる成功は収めなかったようです。

とゆーワケで 1963年には「栄光の」 the Falconsは解散してしまいます。 Floydは、Washington D.C.で Saficeというレーベルをやっていた Al Bellのもとでソロでレコーディングをしたりしていたようですが、その Al Bellが Stax Recordsで働き始め(そして最終的には社長にまで登りつめます・・・されど束の間の栄光!)たので、彼も Memphisに移り、ソングライター、そしてプロデューサーとしての仕事を開始しています。
この Memphis行きの時期について、たいていの資料では 1965年としているのですが、本人はインタビューで 1966年である、と発言しています。しかし、それではその後の客観的な歴史的事実(なんつーと、めちゃオーヴァーやね)と「整合」しないんですよ。他にも 14才の時ってのを 1959年、なんて言ってますから(それだと 1945年生まれじゃろうが!)このヒトの時間認識は多少マユツバなとこがおありのよーで・・・

ま、それはともかく、Carla Thomas( Memphisで 1942年に生まれ、18才で父の Rufus Thomasとレコーディング。Satellite labelから「Cause I Love You 」をリリースし、次いでソロ・シングル「Gee Whiz (Look at His Eyes) ( 後に VeeJay)」がヒット。ポップスと R&Bの両チャートでトップ10入りという快挙をはたします。その Satelliteが Staxになるわけですが、そこでは都合 6枚のソロ・アルバムと Otis Reddingとのデュエットで 1枚をリリース)に「Comfort Me 」などを提供していたのですが、いよいよ 1965年、スティーヴ・クロッパーと一緒に作った Knock On Woodを録音しています。これも本人のインタビューによると、本来は Otis Reddingのために作られた曲で、彼はそのパイロット・トラックとして録音したらしいんですよ。でも、周囲が、う〜ん、これ Otisにゃあ合わないんじゃない?なんて言うことでその件は沙汰止みになっちまったらしいです。ま、Otis Reddingはケッキョク歌うことになっちゃうんですけど。
Knock On Woodは 1966年に 28位にまで昇りました。
同年、Wilson Pickettの「634-5789 」の共作者ともなっています。

ところで、この Knock On Woodって言葉ですが、おまじないだそうです。
─いやぁウチのカミサンは出来たオンナでねえ、あたしゃシアワセもんですよ、ホント!なんてノロケて家に帰ってきたら「あんた!ちょっとコレなによ!」と、自分がいない間に届いてた楽器屋の請求書を鼻先に突きつけられる・・・言ってるそばから、ってヤツですな。
ま、自慢とまでいかなくても、自分がいかに恵まれてるか、なんてえハナシを吹聴してるってえと「妖精」の妬みをかって、たちどころに逆の事態が起きるのだそうでございます。でありますからして、ウッカリ自慢っぽいコトを言っちゃったときはスグに手近な木製品を「コツコツ」とノックするってえ習慣が「西洋」にはあるんだそうでして、それが Knock On Woodなのですじゃ!
この曲のバヤイも、自分にゃーもったいないような「いいオンナ」と愛し合うようになった、信じられねえ、っちゅー内容ですから、これがパーにならないように必死でそこらの木製品をコツコツやってることでございましょう。

ただし、一部では、縁起でもないことを誰かが言ったらノックする、と解釈しているようですが、それは恐らくキリスト教発生の前の民俗信仰で、魔除けとして「木に触る」(つまり Touch Wood )というものがあったので、それと混同しているのではないか?とも考えられます。Knock On Woodの方は、アイルランドの古い伝承、幸運に出あったとき、木あるいは木製品をノックして、木の妖精に感謝する。が、アメリカに渡った時点で先の Touch Woodとの混同が起きたのかもしれません。本来のヨーロッパ系の伝承では、「感謝」が主体だったようなのですが、アメリカではそれに「厄除け」的な意味合いが加わったのでしょうか?

あ、ついでに Staxについてヒトコト。VeeJayと同様(ってあっちは夫婦でしたが)、Staxも二人の名前の合成です。
brother and sisterとありますが、ここでは姉と弟、と判明しております。弟 Jim Stewartの Stewart、そして 12才年上の姉 Estelle Axtonの Axton、これで Staxっつーワケ。1961年に Memphisで開いた the Satellite Record Shopがすべての始まりでございます。そこら、詳しくは STAX story*を。

ケッキョク Eddie Floydは 1966年から 1970年までの間に 12曲を Top 100に送り込んでおります。もちろん最大のヒットは Knock On Woodであるのは当然として、1968年の「I've Never Found a Girl (To Love Me Like You Do) 」、そして 1970年にはカヴァーながら 17位にまで上がった「Bring It On Home To Me 」と「California Girl 」もあります。
あ、そうそう、サム・クックの「Bring It on Home to Me 」をカヴァーした時のハナシですが、ある日、たまたまスタジオに来てみたらサム・クックが「Bring It on Home to Me 」を入れたとこで、自分もやりたい!とダダこねて(?)ついにやっちゃったらしいんですよ。でも、オリジナルよりもアップ・テンポにしたのが「ミソ」だとか。

さて、インタビューで Steve Cropperと一緒に作品を作る際の二人の分担について尋かれた Eddie Floydは、クロッパーがギターを持ってきて、二人で一緒に曲は作っていくけど、詞については主に Floydが担当していた、と語っています。
1998年には、映画 Blues Brothers 2000 のために Eddie Floydは Wilson Pickettとともに、彼自身が Wilson Pickettのために書いた「634-5789 」を演奏しています。このときのデュエットについてはインタビューで、「かっての Falconsと同じさ」だそうでございます。

それはともかく、Eddie Floydはその後も Stax Revueに加わってツアーなども行っていたのですが、1975年に Staxは財務上の問題から破綻してしまうのでございます。
その後 1977年には Malacoからディスコ・ミュージックにもチャレンジしているのですが、あまり成功とは言えなかったみたいですね。
1989年、彼はかっての Stax(および Atlantic)の仲間を集め、ブッシュの大統領就任式のレセプションでパフォーマンス。そして次の月には the Blues Brothers Bandの Steve Cropperのゲストとして一緒にツアーも行うようになってます。
インタビューでは、その前に Steve Cropperとカナダで一緒に演奏した際に Blues Brothersの件を彼からもちかけられた、と言ってますね。

ま、なにはともあれ、映画『Blues Brothers 2000 』のおかげで、彼はふたたび知名度をとり戻し、幸運を掴んだようです。たぶん、そのラッキーが逃げてかないように、そこらへんの木製品をコツコツやってるんじゃないでしょか?そ、Knock On Wood!



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 15:03

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