Eddie Kirkeland
Eddie Kirklandは 1928年(alt.1923) 8月16日に西インド諸島のジャマイカのキングストン(綿花のプランテーションで生まれた、という資料もありますが、Kingstonでもプランテーションはあったかもしれませんね)で生まれています。
もちろん、後には Reggaeのメッカとなった場所ですが、このころにはまだその萌芽もまだ見られなかったころなのではないでしょうか。
しかし、生まれてすぐに母に連れられてアメリカ本土に移住していますので、ジャマイカが彼に与えた影響なんてものはおそらく「皆無」でしょう。
アメリカに渡って、Alabama州の Dothanの街角で、わずか 8才でチップを稼いでいた、とか(インタビューでは 4才で、もうかなりハープを吹いていたとのことです)。
12才の時には Sugar Girl's Medicine Showというショーの一員として参加したのが音楽ビジネスへの最初の関与だったようです。
その「一行」については確たる資料に辿りつくことは出来ませんでした。

そのショウの後に Indiana州に移り、さらに New Orleansにも移動しましたが、それは音楽ではなく、むしろボクサーとしての仕事を目指していたようで、それでも時々は the Louisiana Sixと演奏をしていたようです(この Louisiana Sixについては、いまのところ、Louisianaのダンス・ホールの資料に専属バンドの名前として Bill Landryの Bandと並んで登場しているのしか発見されておらず、その時代考証も不明なため、ハッキリしたことは言えません)。
そして 15才で Detroitの Ford Motor Companyに就職しました。
そして一方では地元の小さなクラブで演奏したり、ハウス・パーティなどで演奏していましたが、やがてジョン・リーと出会い(一部の資料では)1953年からは一緒に仕事をするようになって、その関係はおよそ 7年間続いたようです。

一方、彼自身の最初のレコーディングは1952年とされています。その後ほぼ10年にわたって RPM(1952)、King(1953)、Cobra(?)、Fortune(1959)、Lupine(?)などのレーベルに吹き込み。
1961年には、ちょっと横道に逸れて King Curtisと Oliver Nelsonとともに Prestigeの子会社 Tru-Sounds Recordsに、初のアルバム It's the Blues Man( TRU 15010)を New Jersey州の Englewood Cliffsで12月 8日に吹き込んでいます。これは、それまでのダウン・ホーム・ブルースとはちょっと違う路線と言えるでしょう。(ただし、Tru-Sounds Recordsの Discographyではそのアルバム・タイトルを That's The Blues Manとしているのに対し、実際に市場に出まわっているアルバムでは It's 〜となっています。)
翌1962年には、デトロイトから Georgia州 Maconに移って「ソウル・ミュージック」に接近します。
まず Otis Reddingと接触し、1965年には Voltを通じて契約、以後 Otis Reddingのツアー・バンドの一員としての活動に入りました。ただし、その契約年次については1962年とする資料もあり、Voltから1963年にリリースされている、とする資料もありますが、その作品を確認していないのでワタシには判りまへん。
1970年代には Pete Loweryの Trix labelにレコーディング、全米を巡るツアーも行っています。そして1973年には Ann Arbor Blues & Jazz Festivakに出演しました。

この時にはジョン・リーがメインで、他に Ray Charlesも出ていたため、彼はどんどんワリを喰って(つまり時間調整に使われちゃったんですね)、その演奏時間はたった「8分」が割り当てられただけだったのです。収録曲のなんだかヤククソっぽいトビようも、判るよな気がしませんか?
もちろん彼はこの後もブルースの演奏を続けています。そちらは amazonなどで検索してみてくださいませ。「ブルースのカメレオン」とか「ジプシー」とかも言われていますが、なかなかどうして味のある存在ですよ。どなたにも向く、ってえブルースマンじゃなさそうですが・・・



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-05 17:59

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