Detroit Juniorこと本名 Emery Williams Jr.は 1931年10月26日に Detroit Juniorという芸名に反し(?) Arkansas州の Haynes( Tennesse州 Memphisから Inter-State Hywy40で西に河を越え、Arkansas州に入って 50kmほどの Forrest Cityから Hywy40を離れ 16kmほど南下したところにある町)で生まれています。
しかし、なんらかの事情で家族はすぐ北上したらしく、彼は Illinois州の南部で子供時代を過ごしたようです。 それが 19才の時にはすでに「 Detroit」で自らのバンド the Blues Chapsを率いていたと言いますから、その間、イロイロなこともあったハズなんですが、どうも、そのあたりのことはどの Biographyでも「すっぽり」抜け落ちてますねえ。 ま、なにはともあれ、そんなワケで(?)音楽活動をスタートさせたらしいのですが、その彼を「発見(?)」し、Chicagoに連れてきたのは( Alligatorの資料によれば) Eddie Boydだ、っちゅうことらしいっす。 それが 1956年のことだったらしいのですが、当初 Eddie Boydが紹介した Chess Recordsは、あまり契約には乗り気じゃなかったらしく、その間に Detroit Juniorは「あの」サックス奏者 J.T.Brownのもとに落ち着き、Club 99で出演し始めました。 そしてそこでの彼は次第に腕を上げ、また知名度の方も上がっていったんでしょね。さらに Little Mack Simmonsとも組むようになり、Cadillac Babyのハウス・バンドとなったことが一つの転機となります。 Cadillac Babyは自らのレーベル Bea & Babyを持っており、それがあの名曲(?) Money Tree を産み出すことになりました。このシングルが出るまでは「ただの」 Little Junior Williamsだったのが、この曲で Detroit Juniorという名前が定着したもののようでございますよん。 ま、Money Tree のローカル・ヒットで Chessは「しまった!」と思ったんでしょか?彼と契約はしましたが、ナゼかあまりリリースには積極的ではなかったようで、結局 Detroit Juniorは Foxy、CL、Palosというレーベルに吹込んでいたようです。 そして 1965年には U.S.A.からリリースされたシングル Call My Job (カップリングは The Way I Feel )がヒットし、その曲は Albert Kingもカヴァーすることになりました。 う〜ん、どうやらピアノ・プレイヤーとしての Detroit Juniorもさることながら、業界(?)ではむしろ Songwriterとしての位置も獲得していたようですね。 Money Tree ばかりか、この Albert Kingの Call My Job 、さらに、Koko TaylorのThanks, But No Thanks 、Tired of That 、Never Trust A Man なんて曲もを書いておるのですよ。 これも Alligatorの Biographyによれば(って、他には、そっから引用したらしいのしか発見出来なかったのねん)、1960年代を通じて、前述の Mack Simmonsをはじめ、「あの」Eddie Taylorや Sam Lay(彼も健康を害しているとか・・・シンパイです)などとギグをしていたようですが 1968年からはウルフとも一緒にやっています。ウルフの死後も the Wolf Gangに残ったそうですが、そこではサックスの Eddie Shawがリーダーねえ・・・ Chicagoのノースサイドで Kingston Minesなどに出演もしていたそうですが、興がノると彼のカラダはだんだん「沈んで」行き、ついには彼の姿は見えず、ただ彼の手だけが鍵盤の上で動いているのが見えた、なんてエピソードもあるようですが、その彼も糖尿病からくる腎不全でやや演奏活動のペースを落としていたようですが、この 2005年 8月 9日、心臓発作によって自宅で死亡しました。 彼を愛した Alligatorの Bruce Iglauerの言葉─ He was a one-man blues party. He had a smile and a good word for everybody. 安らかに眠られんことを! by blues-data | 2005-09-05 12:03
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