本名、Eddie Johnesは、ミシシッピー州 Greenwood生まれ(あと二人いる同名の「 Guitar Slim」ですが、本名 Alex Seward─1902年ヴァージニア生まれ─と Norman Green─ktateさんの人名辞典では1907年テキサス生まれ、となっていますが、1920年7月25日とした資料もあります。まさか別人28号?そちらには「Slim Green」の名でレコーディング、とあるので、さらにややこしか〜!おまけに ktateさんの人名辞典には、そのスリム・グリーンの項に本名ノーマン・G・グリーンとして載っており、記載内容も、出生地、ディグ・レーベルまでは共通してるけど、他がビミョーに「?」になってます)。
と、ムダな講釈はこれくらいにして、彼のステージはホントに見ものだったみたいですよ。染めた髪の毛にマッチする鮮やかなカラーの特別仕立てのスーツにこれまたピッカピカの靴(his favorite suit was cherry with white shoes)、350フィート(ほぼ100m強)のケーブルを用意して、ステージから客席に降りて行く。さらにアシスタントの肩車で表の通りまで出てった、とゆうんですから当時はもうバカウケだったでしょね。 若き日のバディ・ガイはその演出に感銘を受けた、と自叙伝に記してるくらいですから(そーいえば、初めて観たバディ・ガイ「だけ」のライヴは渋谷のクワトロだったんですが、その時もバディ・ガイは裏通路をまわって観客席後方に「演奏しながら」現れる、ってのをやったらしーんですが、あいにくワタシのとこからは後ろの方で騒いでるのは判っても、バディ・ガイは確認できなかったんで、ホントにそーなのか自信はおまへん)。 さて、Eddie "Guitar Slim" Johnesは、1926年12月10日にミシシッピー州 Greenwoodで生まれました。 わずか 5才で母が亡くなり、Hollandaleの L. C. Haves plantationの祖母のもとに送られ、農業に従事しつつ、そこで成長することになります。 やがてその辺のジューク・ジョイントに出入りするようになり、そこに出演するバンドの歌手&「ダンサー(!)」となったようで、「Limber Legs(柔軟な脚っちゅうイミか?)」というアダ名までついてたらしい・・・ 18才の時、Willie Warrenのバンドのフロントマンを務めますが、この時期に「最初の」結婚相手と知りあっています(ただその結婚は長く続かなかったみたいですが)。その 1944年には陸軍へ。 除隊後、1950年には New Orleansに移り、そのステージ・アクションも完成し(?)てたとか。 そして「 Guitar Slim」の名のもと、やや歪んだギター・サウンドで独特なカラーを打ち出したのです。 1951年には Imperialと契約し、4曲を吹き込んでいますが商業的には成功せず、次いで1952年には ナッシュヴィルの Bulletに吹き込み、「Feeling Sad」でやや手応えを掴みます。 それが Atlanticと Specialtyの注意を惹くこととなりましたが、結局1953年にはレーベルのボス、Art Rupeと、A&Rマンの Johnny Vincentの説得により、ギター・スリムは Specialtyと契約しました。 New Orleansの有名なレコーディング・エンジニア Cosimo Matassaによって The Thing I Used to Doをレコーディングしているのですが、Lloyd Lambertのバンドに Ray Charlesがゲスト参加、というバッキングとなっています。 その大ヒット(R&Bチャート一位)によって Apollo Theatreでのショウ出演(一週間!)もはたしました。そしてこのヒットによる一連のツアーの後、ケイジャン・ミュージックの心臓部ともいえる Louisiana州 Thibodeauxに移っています。 そこで Specialtyのために曲作りにハゲむのですが、「Sufferin’ mind」にしても「The Story Of My Life」にしても「The Things That I Used To Do」のような成功には至らず、ついに Art Rupeも彼との契約を解除してしまいました。 そこで彼は即座に Atlanticの子会社 Atcoと契約(1958年)、「It Hurts To Love Someone」や「Down Through The Years」をリリースしています。 彼の生涯は「酒」によって決まった、と言ってもいいでしょう。 Earl Kingによれば、「1パイントのジンと 5パイントのブラック・ポートを毎日」呑んでた(しかも、さすが悪名高い「女蕩らし」らしく、毎晩、常に新しい女を侍らせていた!)そうです。 1959年早々、バンドは彼のアルコール中毒から来る呼吸のトラブルを押してイースト・コースト・ツアーを組みますが、2月6日、バンドが New York州の Rochesterに来たところでギター・スリムの状態が悪化し、地元の医者から「断酒」が必要、と宣告されています。翌日、New York市に入りますが、すでにグッタリしていた Guitar Slimはバンド・メンバーによってホテルの部屋に担ぎこまれましたが、その時点では「呑んだ」せい、と思われていたようです。 しかし、いつまでも快復しないため医師が呼ばれたのですが、すでに手遅れで、結局、気管支炎により死亡してしまいました。 やはり彼が日常的に「摂取」していたアルコールによって事態が深刻化したのはマチガイないでしょう。 この時の彼はまだ 32才です。 何人もいた女性たちの子供の中で、Rodney Armstrongはニューオーリンズで「 Guitar Slim Jr.」として活動しています。 以前、CXでミシシッピー・クロニクルとかゆう現地取材をしたブルースの番組があり、その中で、その「ジュニア」が Gibsonのマローダーってゆうんだっけ?あのフライングVと同じシェイプのヘッドで、ボディ・シェイプはレスポール型、でもアーチド・トップじゃなくて真っ黒でフラットなボディってヤツ。それ持って出て来たように記憶してますが、ちゃう番組だったっけ? さて、Guitar Slim(Eddie "Guitar Slim" Johnes)は、確かに New Orleansで活動してたんですが、でも、このサウンドを、たとえば「ニューオーリンズ・ブルース」みたいな分類に押し込めちゃうのは難しいようです。手元にある日本盤、1974年の9月に日本コロンビアからリリースされたアナログ・ディスクのライナーを執筆した中村とうよう氏も、その分類には悩んでおられるようですが、この「音」は地域によって解釈されるものとは少し「違う」ような気がします。もっとパーソナルな部分が大きい、と。 彼の遺体はルイジアナ州 Thibodeauxに帰り、そこに彼のギターとともに埋葬されました。 by blues-data | 2005-09-07 18:00
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