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Henry "Red" Allen
Get the Mopという曲をご存知でしょうか?
ジョン・リーから Magic Samへとつながるギターをメインとした「高速」ブーギが存在する一方では、ピアノをメインとしたブーギ・ウーギ・ピアノから拡大発展したようなジャズ・コンボ寄りの「高速」ブーギってのがあるワケでして、この両者の間には、スピード的には似通っているものの、共通した「ビート」は無く、Magic Samのそれが、見事ではあるけれども、ある種、「平板」な印象を与えるのは、そのへんのビートの扱い、Swing感というか、柔軟さよりも、ソリッドなタイム感をそのよりどころとしているからではないのか?

なんて小ムズカシいハナシはともかく(言ってる本人もちゃんとワカってない?)、この「疾走感」!まず「ワンッ、ワン!」っちゅう犬の吠え声(だと思うんだけど)で始まる高速ビートは、もの凄~い「聴いたことある」感に襲われ、ん?と思ったら、そう!これは、あの我が最愛の American Cartoon!Tom & Jerryで、トムの飼い主のお嬢さんが週末のダンス・パーティが開かれる友人宅に出かけたあと、鬼の居ぬ間に、と近所のワル猫どもを呼び集めて留守宅で繰り広げるドンチャン騒ぎ、その場でレコード・プレイヤーから流れて、それに合わせてハメをハズすシーンの音楽にメッチャ似てるじゃないの!
もち、ちゃう曲なんですが、この「大騒ぎ」感がソックリざます。

さて、Henry "Red" Allenは、そんな暴走するバックに負けず声を上げておりますが、ま、どっちかってえと「歌」っちゅうより「合いの手」みたいなヴォーカルでして、やはり、この曲での主役は各楽器のガンバりぶりでございましょう。
コンジョーの座ったブローをかますアルト・サックスは Don Stovall。早い曲に必死で追いすがるトロンボーンは J. C. Higginbothamでございます。シャカリキで、でもなんだか楽しそうなピアノは William Thompson。もう、しょっぱなから走りまくるタフなベース(しかも、これ、たぶんウッド・ベースでしょ?)は Clarence Motonの力技。あのハイハットだけでも疲れちゃいそな「お元気な」ドラム、Allan Burroughs、っちゅうメンメンでございます。
録音は 1946年 1月14日、New York City。
この曲を「まんま」パクって、白人のカントリー系シンガー Johnnie Lee Willsがヒットさせちゃいますが、裁判の結果、「珍しく」黒人のミュージシャン側が勝訴した稀有な例となったのは、どうやら有名なエピソードらしいです。

Henry "Red" Allenは 1908年 1月 7日、Louisiana州の Algiersで生まれました。
ただ、その後の足取りは、いささか判然とはしておりませんで、間をトバすようでナンなんですが、1933年と 1934年は the Fletcher Henderson big bandに所属しております。
1934年と 1935年には、すでに彼自身の名義で Vocalionや Parlophone、Bannerなどのレーベルに録音も経験してるみたい。
と、まあ、この経歴から見ましても、彼の場合はモロにジャズの比重が高いミュージシャンでして、そこら、バリバリの(っちゅうのもヘンな表現ですが)ブルースマンって言うのはキツいかも( Utamさんが教えてくれた Tokyo Bluesのジョーク・コラムで言うとこの、「メンフィスで人を殺してもいない」みたいだし?)しれません。
でも、いいんじゃないの?ジャンプ・ブルースの充分エリア内だと思うし(あ、でも When the Sun Goes Downシリーズの That's All Rightの日本語ライナーじゃ S氏が、この曲について、「ロックン・ロールのさきがけ」みたいな意味合いを当てておられますが、ま、事実、The Birth Of Rock & Roll Vol 4 "Rock The House" なんてアルバムにも収録されてはいるけれど、う~ん、一連の Louis Jordanの仕事に比べると、それ否定するほどでもないけど、そこまでは感じられませんでしたねワタクシには。ま、感じ方は人それぞれだからいいんですけど。なんか、ズート、ストラット、ジャンプ・ブルースなんてゾーンの「確率雲」に含まれちゃうよな気がします)。

このころの彼は並行して the Blue Rhythm Bandというスタジオ・ワークをメインにしたバンドにも在籍しています。1937年から 1940年までは Louis Armstrongのビッグ・バンドに参加し、同時に彼自身のセクステットを結成してニューヨークのクラブ、Kelly's Stableなどに出演するようになって行きました。このセクステットは途中メンバーの変遷などがありつつも 1950年代初頭まで続いています。ですからあの Get The Mopも当然そのセクステットでの吹き込みとなるワケでございます(ね?数えると六人でしょ?)。

その後、1954年の 4月からは New Yorkのクラブ the Metropoleのディキシーランド・スタイルの(なんたって Louisiana出身ですからねえ、って決めつけちゃダメなのねん)ハウス・バンドに所属し、1957年の映画The Sound Of Jazz にその姿を表しているそうです(そ、ワタシは観ておりません)。
1959年の秋には Kid Ory*の一員として、そのヨーロッパ・ツアーに加わっています。

*Edward Kid Ory─1886-1973。もともとはバンジョー奏者でしたがトロンボーンに転向し、頭角を表します。1912年に組んだ彼のバンドは King Oliverや、まだ若かった Louis Armstrong、Johnny Doddsに Sidney Bechet、そして Jimmie Nooneなどが在籍したことで知られてますが、1919年には健康上の理由から Californiaに移り、ついてきてた Mutt Careyも含め、新しくバンドを結成し、Kid Ory's Creole Orchestraとして活動を開始。「黒人による初のジャズの吹き込み」を1922年に行いました。
1925年には Chicagoに移り、様々なミュージシャンと演奏をしています。ただ、大恐慌の時期には仕事も減り、雌伏の時期を経験しますが、1940年代に入ってディキシーランド・ジャズの復興により息を吹き返し、1943年には Kid Ory's Creole Orchestraを復活させることができました。その後、1966年に引退するまで、ツアーやレコーディングを行っています。

その Edward Kid Oryが引退した翌1967年の 4月17日、Henry "Red" Allenはこの世を去りました。



reserched by Othum: Blues After Dark


by blues-data | 2005-09-07 22:46

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