Hubert Sumlin
ああ、このギターをなんと表現したらいいのだろう?あくまでもユニークで、しかし独善的ではなく、なんだかとっても人間的な暖かみに溢れ、ユーモラスとシリアスの境界を自由に行き来し、気ままにクイっ!と舞い上がる重心の軽いチョーキングに彩られた世界を。
某有名サイトの主宰者は「勢いに任せたヘタウマギター」なんて解説してましたが(まあ、そう言われちゃいそな「破天荒」さはありますよね、確かに)、そりゃいかがなものか?

Hubert Sumlinは1931年の11月16日、13人の子供たちの末っ子として、Mississippi州の Greenwoodで生まれ、Arkansas州 Hughesで育っています(一部、こちらを出生地とする資料もあるようですが)。
その彼が初めてギターを手にしたのは 8才の時で、彼の母が一週間働いた給料を全部注ぎ込んで買ってくれたものでした。
バプティスト教会で教会の執事とともに編曲を行ったところから彼の音楽上の経歴が始まったようで、それがまた彼にとっての音楽の学校でもあったようです。
彼にとっての最初のギグは、Pat Hare( 1930年12月20日、Arkansas州 Cherry Valley生まれ。1948年、Howlin’ Wolfの最初のバンド・メンバー。1952年 Sunの専属に。Junior Parkerや James Cottonをサポート。やがて Chicagoに移りマディのバンドのギタリストとなるが酒浸りが原因で1960年に解雇され、1963年、殺人罪で逮捕され終身刑となり1980年9月26日獄中で死亡)が見つからなかった時の代役で、ハープの James Cottonのバックでギターを弾いたことだそうです。
Cottonは「まだ若いが、ちゃんと弾ける」とひとに薦められ、聴きに行ってみたところ、音では「 Pat Hareが帰って来てるみたいだった」とか。
これが Cottonと Sumlinの永年にわたる友情の始まりであり、Sumlinの母の許しを得た上でふたりはジューク・ジョイントなどに出演し始めたようです。やがて二人とも Chicagoでもその名を知られるようになり、またともにウルフとマディに関わりを持つこととなります。そしてモチロン、ウルフとの結びつきは、ブルース界での彼の名声を確立したワケです。

さて、一方、本人の回想によれば、ウルフとの出会いは、彼らの作り上げたブルース同様に伝説的なものです。
わずか11才の時、Hubertは地元のジューク・ジョイントにもぐり込み、バンドの演奏を聴こうとしました。
当然、彼はそこから蹴り出されるのですが、演奏しているバンドの真後ろに窓があるのに気付き、そこでコカ・コーラのケースを積み上げて中を覗けるようにしたのですが、なんと曲の真っ最中にケースが崩れ、Hubertは窓を破ってジューク・ジョイントの内側、演奏のただ中に転がり込んでしまったそうです。
おそらくウルフはその前に店の中からつまみ出されてゆく彼を見ていて覚えてたんじゃないでしょか?
「目を上げたらウルフが俺を見下ろしてて、『構わん、いさしてやれ、ボウズに椅子を持って来い!』と命じ、さらに水を一杯飲ませてくれた。そこで俺は座ったまま、ウルフや Pat Hare、それに Junior Parkerを見られたのさ。その上、ウルフはその夜、家まで送って来てくれて、母にあまり叱らないように、と言ってくれたんだ。コイツはただ音楽を聴きたかっただけなんだから、と。」
それからすぐ Sumlinは Memphisでウルフのもとで働き始めるのですが、やがてウルフは彼の母にきちんと面倒を見ることを約束してこの未成年者を Chicagoに伴って行く許しを得ています。
その数年後、 Sumlinが Chicagoに行った1954年から、ブルース界の伝説的なパートナーシップが始まったのです。

ただ、一時期(1956年ころ、と言われる)マディのバンドに入った(昨日のウルフについて調べている段階で、英文の資料の中で、マディに「盗まれた」という記述にも遭遇しており、それについてはマディが unfairな行為をした、という解釈が一部にあるようです)ことがあるようで、その辺にシカゴブルースの両巨頭の関係の微妙さがあるのかもしれませんね。

1976年にウルフが死んだ後、彼はしばらく演奏から遠ざかりました。ウルフ無しでの演奏など考えられなかったんでしょね。その彼がブルース・シーンに帰って来たのは1980年代に入ってからで、以来、彼自身のキャリアを積み重ねていきます。
Albert Kingや Otis Rushなどとツアーを組み、世界に出て行っていますが、中でもジミー&スティヴィー・レイ・ヴォーンとの付き合いは親密なもので、彼のギターのストラップは、今は亡き S.R.V.から貰った「あの」音符模様のものになっているそうなんですが・・・

2011年12月 4日、心不全により New Jersey の病院で死亡しました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-08 09:30

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