Ike Turner
Ike Turnerと言っても世間的には(ってダイブ上の世代のハナシになるでしょが)ブルースマンとしてよりは、Ike & Tina Turnerとしての知名度のほうがあるでしょ。
その上、薬物中毒+家庭内暴力=離婚、そして元カミさんは解放されてココロ置きなくバリバリ稼いでる、なんて「ロクでもない」イメージのほが定着してるんじゃないでしょか。
おまけに先だっては日本でのステージ、結果的にはすっぽかしちゃったコトになっちゃいましたしねえ。

Izear Luster Turner Jr.は、1931年の11月 5日、Mississippi州の Clarksdaleで生まれています。
そこで彼は King Biscuit Boysに参加していたピアニスト、Joe Willie "Pinetop" Perkinsが友人の Ernest Laneの家の地下室で練習しているのを目にし、ショックを受けます。
「いやもう、あんなに速く動く指を見たのは初めてだったよ!それまで、ピアノってものを知らなかったようなもんさ。やっとピアノってのがどんなもんだか判ったね。いったいどの指がなにをしてるのかまったく判らないんだぜ!弾いてみたい!って言ったら Laneのヤツ、『オレも!』。さっそく Pinetopに頼み込んで、それからふたりで教わるようになったのさ。それが始まりだな」
ふうむ、まことに恵まれた環境だったのですなあ。
おまけに時には Amos Milburnや Charles Brownまでがそれに加わって、おおいに影響を与えてくれたと言います。さらに Ikeの母もそれには理解があったというんだから、それで上達しなきゃあバチが当たる、ってもんでございましょう。

そしてもひとつ、彼の音楽に影響を与えたのが Clarksdaleの放送局 WROXの存在です。
当時はまだまだ人種的偏見から黒人は抑圧された位置にあったのですが、彼はナゼかその障壁を軽々と乗り越えられたようで、
「WROXには John Friskilloって白人のディスク・ジョッキーがいて、自分でレコードを乗せ、ターン・テーブルを回し、コマーシャルもいれる、って仕事をしてた。その下の階がホテルでそこで働いてた俺は上のスタジオを覗きに行ってて窓越しに彼を見てたんだけど、なんだか下の階に行く用事が出来たらしいのさ。そしたら、まだガキみたいな俺を中に呼んで、ちょっとの間、替わりをしろ、ってんだな。ここが Stopで、こっちでスタートだ。こっちが終ったらそっちのここを動かすんだ判るか?てなもんさ。判るよ、って言ったら、その場に俺ひとりを残して急いで降りてっちまった。ドラッグストアに行ったんだな。そしたら、そこに局のマネージャーが来ちまったよ。そして俺が言われたことをちゃんとこなしてるのを見て(前からどうやるのか見てたしな)、キレる替わりに俺にそこで働け、と言ってくれたんだ。で、もちろん俺はやらせてもらったよ。でもまあ、ディレクターなんてものもいないし、なにを掛けるかは自由だったなあ。カントリーもかけてたよ。カントリーを一曲流したら次は R&Bてな具合だったけど、そこら気にしたことはないよ。どっちだって自分の気に入ったのをかけられたのさ」
やがて彼はそこで Robert Nighthawkに出会いました。WROXからライヴを流したのですが彼はピアノで共演しています。

1940年代の終り近く、彼は自分のバッキングを務める若いスタッフを集め始めました。
「バンドは二つあったんだよ。The Tophattersってのと、もひとつが Kings of Rhythmなのさ。その違いは譜面が読めるメンバーと読めないメンバーで分けてあるんだよ。読めるほうはジャズ寄りかな?でもそーじゃないほうはジュークボックスに合わせて演奏出来たんで Kings of Rhythmって名乗ることにしたのさ。」
ここらのメンバーにはバリトン・サックスの Jackie Brenstonやホンカーとも言えるテナーの Raymond Hillあたりがいます。
そしてこの Kings of Rhythmは1951年の 3月 3日、お馴染みの Sam Phillipsの Memphis Recording Serviceで吹き込んだ「Rocket '88' 」をもって「最初のロックンロールだ!」と主張していますが、ま、Rock'n'Rollの本家争いはキリが無いのでここじゃあ「ほっとき」ましょ。

Jackie Brenstonの名義で著作登録された「Rocket '88' 」は Chessから発売されるや、チャートを駆け登り、そこで Ike Turnerの「ミュージシャンを見る目」の確かさに注目した Modern RPMの Biharis Bros.はタレント・スカウトとして登用したようです。
彼自身の RPM初登場は、1952年の Ben Burtonのバンドにおいて自身のピアノと歌で「Trouble And Heartaches 」に「You're Driving Me Insane 」という曲でした。
実はそれ以前、1951年の 3月 5日には Sam Phillipsの Sun Recordsに、当時のガール・フレンド、Bonnieと共に、それこそ「 Ike Turner and Bonnie Turner」名義で「Heartbroken And Worried ( 2828)」と「I'm Lonesome Baby ( 2829)」を吹き込んでいるのですねえ。このふたりがいつまで続いたのか、は不明です。少なくとも1953年の 8月までは確実で、その後が・・・?

とゆうのも、このタレント発掘に関して登場してくるのがウワサの Annie Mae Bullock、え?ダレじゃそれ?と言いたくなるのもムリはおまへん。なんでこれが Tina Turnerになるのか、よー判りまへん。ま、それが1956年のことであった、と。
最初はバンドのメンバーだったのが、あのよーに変貌を遂げるワケですなあ。
ま、それはともかく、彼は RPMでも Ike Turner and Bonnie Turnerとして「Looking For My Baby 」と「My Heart Belongs To You」の 2曲を入れるのですが、
「その時、ギターのヤツとモメちまって、で Bonnieはピアノが出来たんで俺がギターを始めたってワケ。Memphisに行った時に楽器屋の O.K.Houckに寄ってみたのさ。それが Fenderのギターを見た最初だな。それにエレクトリック・ベース!そんなもん見たことも無かったよ!すぐ買ったね。そっからはもう練習あるのみさ。」この時、Ike Turnerの甥のベーシスト Jesse Knight Jr.はエレクトリック・ベースを入手し、これがまた Kings of Rhythmのサウンドをさらに前進させることになります。

1954年あたりのバッキングの仕事から Fender Stratocaster(時々、誤って間の「 o」が無い「 Stratcaster」と綴っているサイトを見掛けますが正しくは「 Stratocaster」です)を使い始めているようですが、やはりそのアーミングこそがストラト、という認識だったようです。
ことアーミングに関しては(後の Wilkinsonや FRTは別として)同じ Fenderでも Tremlockの Jaguarや Jazzmaster、もっとチープな Mustang、そして Gibsonのアーム類全部、ビグスビィに London BURNS Buffaloのメカ、等々どれひとつその可変音域、安定性(ま、Stratocasterのだって万全じゃないけど、イイほうでしょ)で太刀打ちできないですからねえ。あ、ワタクシ個人としては Wilkinsonがベストだ、と思っておりますが。

さて、1956年に Annie Mae Bullockを見出し、1958年には結婚しちゃうんですが、そっから先の Ike & Tina Turnerの時代はもはや「ブルース」というワクを超えた「スター」となってく時代なんで、そこらは皆さんもご存知でしょ。ついでに言うと Tina Turnerが「出て」くのが1976年のことでございます。良くも悪くもひとつの時代が終ったなあ、って気がしたもんでした。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-08 10:07

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