Jazz Gillum
もうこれは説明不要の名曲です。実にいろんな人たちがカヴァーしていますので、そちらでお馴染みの方も多いことでございましょう。
でも!だがしかし!悪いことは言わない、ゼッタイこの Jazz Gillum のオリジナルの Key To The Highway を聴いていただきたいものです。
Big Bill Broonzy のギター一本に乗せて(実際にはウッド・ベース様のイミテーション・ストリング・ベースってえベース音らしきものも聞こえますが)、意外としっとりと歌う彼の声の距離感が実にいいのですよ。
出来れば一度ヘッドフォンで聴いていただけますでしょか?
「歌う」ということで、声を張ってるところがあるのは当然として、にもかかわらず、フと気が引けたところのモノローグ的な「日常性」がたまりません。
この曲に関しては、いかなるカヴァーも「不純」に聞こえます。
ま、みなさんそれぞれ「ごひいき」がおありでしょうから、「なにおっ!」なんてお思いでしょうが、こればっかりは反発喰らうのを承知で断言さしていただきましょ。「誰ひとりオリジナルを超えられなかった」と。

William McKinley Gillum は 1904年 9月11日、Mississippi 州の Indianola で生まれています。
彼の両親、Irving Gillum と Celia Buchanan は彼がまだ幼いうちに死んでしまい、彼は伯父の(あるいは叔父の) Ed Buchanan と兄たちによって育てられたのでした。
その Ed おじさんが教会の助祭となったおかげで彼は教会のリード・オルガン(別名「 Pump Organ 」。ここで言う「リード」とはハデなソロをとる「リード・ギター」なんてとこで出てくる「 Lead 」ではなく、サックスやクラリネットの発音原理で知られる振動する舌片「 Reed 」のことであり、よーするに「ふいご」でカゼを送って鳴らすとこは一緒でも、歌口で音を出すパイプ・オルガン系ではなく、学校の教室にあった足踏みのオルガンのほーだ、というイミなのでございます。ついでながら「 Pump 」とは「パン(プ)」と発音し、日本では「ポンプ」として通用しとるアレでございますよ)に親しむこととなり、やがて、発音原理が共通し、それを小さくしたもの、とも言えるハーモニカに移っていったようです。

兄弟たちにとっては Ed おじさんの彼らに対する態度が「ガマンできない」ものだったらしく、彼が 8才になる前に揃って逃げ出すことになりました。
彼はいったん Mississippi 州 Charleston の別な親類のもとに身を寄せましたが、11才になったときにそこからも「逃亡」しています。
結局 Minter City に落ちつき、農場労働者となったようですね。
そこで 3年を過ごした後、彼は Greenwood の近くでドラッグストアでの仕事を見つけています。そして、彼は仕事の後で街頭に出てハーモニカを演奏し、チップを稼ぐようにもなっていきました。

やがて、そんな彼も大勢に乗って(?)1923年には Chicago に向かいます。
当時のシカゴやデトロイトには、単に労働の機会ばかりではなく、いろんな意味でジャンプ・アップを狙える「機会」に溢れていました。それは彼にとっても同様で、すべてのモンダイがそこに行けば解決できるように思えたことでしょう。
都会に着いた William McKinley Gillum はその後 10年以上にわたって様々な仕事を経験し、夜にはクラブなどで演奏する、という生活を送っていたようです。
そしてその中で出合ったミュージシャンのひとりが Big Bill Broonzy で、すでにスタジオ・ミュージシャンだったのですが、その彼が Gillum を Victor Records の新ディヴィジョン、Bluebird Records の A&R マン、Lester Melrose* に紹介したのでした

*Lester Melrose ─第一次世界大戦が終ると、数十万の黒人たちがミシシッピー河流域地帯を後にして彼らの音楽と一緒にシカゴに北上して来ました。
一時期、レコード・ビジネスは大恐慌と、ラジオから無料で聴くことが出来る最新の楽曲のせいで急激な衰退の時期を迎えたのです。そこで、RCA の後者に対する対応は、別ラインの Bluebird Records を作って、それまで一枚 75セントで販売していたレコードの値段を、一挙に 35セントにまで下げることでした。
当初、Bluebird Records はポップスやカントリーのナンバーを扱っていたのですが、いつしか、ブルースやジャズも同等に扱うようになっていきます。
1934年に、RCA はシカゴの音楽出版業者 Lester Melrose と契約し、彼が自ら録音したものに関する自由なリリースを認めることとしました。そして、それが思わぬ幸運を招き寄せることとなります。
その最たるものとして 1946年 9月 6日、Melrose は Arthur Crudup の That's All Right を手に入れました。この曲そのものは シリーズの 4枚目のアルバムのタイトル・チューンだったのですが、それが後に Elvis のビッグ・ヒット=ブレークにつながったのは有名な事実です。

結局 Melrose は 1934年から 1951年にかけて RCA に吹き込まれたブルースのほぼ 90%を手がけ、そのほとんどを成功させたのです。
彼の録音の姿勢─音作り、テーマ性、スタイルなどについて、その「決まりきった」枠の存在を非難する向きもありますが、それでも、彼がいままさに流動し、新しい芽が出始めたシーンのただなかにいて、実にテキセツな位置で、理にかなった素材を録音し続けて、結果的に素晴らしいブルースの数々を後世に残す貢献を成し得たことに疑いをはさむことはできないでしょう。


1934年に Gillum は Bluebird に 2曲を吹き込んでいます。
しかし、そのどちらも販売されることはなく、そのままでは Bluebird との関係もオシマイかと思われたのですが、その 1年半後、1936年の 1月に英国の the Regal Zonophone label の A&R マン、Rex Palmer から、Gillum が同社に録音できる状態にあるか(つまり、Bluebird との契約はまだ有効であるのか?ということ)を問い合わせて来たのでした。
そこで Bluebird は、Gillum が契約で束縛されてはいない、と回答したのです。
それを受けて Rex Palmer は Gillum に Ginger Rogers や Fred Astaire などのミュージカル映画からの曲を録音させたいのだが、という意向を伝えて来ました。
そこで Bluebird は(その意図にとっては致命的と判断したのか) Gillum は「黒人」であること、また譜面も読めないことを伝えることにしたのですが、逆にそこまで Palmer に興味を抱かせた Gillum の存在に疑問を持ったのか、その返答を送る二日前にもう一度 Gillum をレコーディングさせてみることにしたのでした。
それ以来、Gillum は 1942年までに Bluebird に 65曲を録音することとなります(!)。
また、その間 1940年に Vocalion にも録音を経験しています。

ただし、第二次世界大戦の開始とともにシェラックの供給が途絶え、さらにユニオンの破綻もあってレコード業界は不毛な時期を迎えるのですが、Gillumは 1942年から1945年までの期間を陸軍で過ごしています。
陸軍から戻った彼はまたレコーディングや演奏を開始しますが、それだけでは生活を維持することは出来ず、他に「正規の」職業を持つことが必要だったのです。
それでも彼は都合 34曲を Bluebird に残したのですが、1950年、Victor は Bluebird を「撤収」することを決定してしまいました。
他に新興のレース・レーベルが続々登場してきたことが主な原因だったようですが、それらの新しい音の中にあって Gillum のプレゼンスは著しく低下し、レコーディングの機会も無くなってしまったのでした。

1961年になって Memphis Slim が彼を再発見し、Candid と Folkways に録音することとなりました。かってのシーンとは異なり、今度の彼の聴衆は殆どが若い白人たちでしたが、そのブームに支えられての再登場となったのです。
ただし、彼の精神と肉体の両方の状態は1962年あたりから急速に悪化していた、とされており、1963年の the Fickle Pickle への出演が彼の公共の場に出て来た最後となったのでした。

1966年3月29日、とある議論の果てに、彼は頭部を銃で撃たれ、Chicago の Garfield Park Hospital への緊急搬送の途上で死亡が確認されています。

彼の遺骸は Illinois 州 Worth の Restvale Cemetery に埋葬されました。

BLUES 1920-40 ( RCAブルースの古典)で Key To The Highway を聴くことが出来ます。
Recorded Studio C, Chicago. 1940.5.9 / with Big Bill Broonzy: gtr & Alfred Elkins or Al Collins: imitation string bass / Bluebird 8529

ところで最近になって彼の苗字 Gillum を「日本では」これまで「ジラム」と表記して来たようですが(あ、あたしんとこじゃ英文表記だからカンケー無いか?)、現地では「ギラム」と発音しているようだ、という話題がありました。
それが、彼の親族が実際に自分の名前をそのように発声しているのを「確認」したのならいいのですが、そうではなく、単に「英語的常識(?)」では「ギラム」だ、ってえだけの「だってアメリカ人がそう発音してる」ってハナシなら、また Zydeco を「ザイデコ」だ、なんて強弁する過ちの轍を踏むことになりますから、そこらもっと確かな検証が必要でしょう。
どっちみち、そんなこともあろうか、と(?)なるべくカタカナ表記にはしないで来たってとこもあるんですが、やはり外来語をカタカナで書く際にスっ飛んじゃう「にゅあんす」みたいなもんがあると思いますよ。

この Jazz Gillum に限らず、なんと発音するのか「?」なケースはまだまだありそうですからね。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-08 11:40

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