Johnny Williams
"Chicago Boogie" barrel house bh-04 での表記上は Money Talking Woman。しかし、P-Vine のライナー内に掲載された実物の 78rpm SP、ORA NELLE 712B のセンター・レーベルの画像では「ハッキリ」と MONEY TAKING WOMAN と識別することができます。( 712B?じゃ 712A は?と言うと、Johnny Williams がメインの Worried Man Blues )
その Money Taking Woman は Little Walter と Othum Brown の "I Just Keep Loving Her" と同様に「いわゆる」シカゴ・ブルースなどというスタイルが完成するのに先駆けた、まさにバンド・ブルースへの里程標として重要な意味を持つ録音、と捉えています。そして、その曲で、マンドリンの Johnny Young のバックでサポートしたのが Johnny Williams でした。

その Johnny Williams ですが、そんな「ありふれた」名前のせいか、ケッコー同姓同名がいるようで、ついに 2万人を超えた!と豪語する ktate さんのブルース人名辞典ではやはりドラマーやらピアニストにサックス・プレイヤーまで登場しておりました。
もちろん、ここで採り上げておるのは Vocal & Guitar の "Uncle" Johnny Williams で、「必ず(とまでは言わないけど、たいていは)」Maxwell Street の、という接頭辞がつきそうな人物でございます。
その Johnny Williams が生まれたのは Louisiana 州の Alexandria、1906年の 5月15日でした。
ただし、家族で移動したのでしょうが、彼が成長したのは、そこではなく、Texas 州の Houston や、Mississippi 州の Belzoni などの地域だったようで、そこで彼の叔父が一緒に演奏をしていたとされる Charlie Patton をはじめ、Jim Jackson や Howlin' Wolf などの演奏にも触れて、そのあたりで彼の方向性は決まったのかもしれません。
10才あたりですでにブルースを演奏するようになっていたようです。

そんな彼が Chicago に出てきたのが 1938年のことでした。
最初からその仕事に就いたものかどうかは判りませんでしたが、後に「縁」が出来る Planet と Marvel というマイナー・レーベル( Chester A. Scales: 1914-1997 のレーベル)があったノースサイド近辺の Sedgwick の Oscar Mayer のソーセージ工場に職を得て、毎週日曜は朝から Maxwell Street へでかけ、そこで共演者を探して、たとえば Johnny Young などとも出会ったものでしょう。
ただし、その初期にはそこに Snooky Pryor も加えたトリオで演奏することも多かったそうですが、1947年に ORA NELLE を所有する・・・なんて言うと実業家みたいですが、Bernard Abrams (自らの小さな電気店 Maxwell Radio, TV, and Record Mart の店舗の奥の一室をスタジオ代りに録音をしていたようで、一説では彼自身がそれほどブルースに興味があったワケではない、とも言われていますが、その動機はなんであれ、彼のおかげでプリ・バンド・ブルース期と言ってよい歴史の一コマが録音として残ったのですから、まことにありがたいことでございます)に声を掛けられて、録音に臨んだときには Johnny Young のマンドリンと二人のコンビとなっていました(ただしこのあたりの前後関係には多少の混乱もあるようで、最初は Johnny Young & Johnny Williams のコンビで、後に Snooky Pryor が加わった、としている資料もあるのですが、そこらは確認がとれませんでした。確かに録音史的には「それ」は正しいのですが、それ以前に街頭でやったことがない、と断言できるひとはたぶんどこにもいないでしょう)。
そして ORA NELLE 712 では、Johnny Williams がヴォーカルをとった Worried Man Blues が Aサイドとなったのですが、やはりワタシは Money Taking Woman のほーが・・・

その Johnny Williams は、1959年にブルース・ミュージシャンから「足を洗い」バプティスト教会にもっぱら身を置くこととなりました。1968年の Little Walter の葬祭を司ったのが Rev. Johnny Williams だった、と言われています。また 1975年の Hound Dog Taylor の葬儀では弔辞を読んでいます。
Maxwell street の伝説を生きた Uncle Johnny Williams は、2006年 3月 6日、ほぼ一世紀にわたる長い生涯を閉じました。


reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2008-08-02 22:34

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