Jimmy Johnson - 1
この Jimmy Johnson、ちょっとオフ・センターで味のある存在ですねえ。
1978年に Alligator Records の Living Chicago Blues, Vol.1 への貢献が評価されてグラミー賞候補となった、この Jimmy Johnson ですが、その「ありふれた(シツレイな!)」名前ゆえに同姓同名の別人がどっちゃり存在し、有名な Muscle Shoals Sound のギタリストのほーの(たぶん、世界的にゃ、こっちのほーが「有名」)Jimmy Johnson、あとはウェストコーストのドラマー( Vanguards Records での Big Mama Thornton の録音に参加)に、戦前のピアニスト( James Johnson )、Memphis の R&B系サックス・プレイヤー( Junior Parker に参加)、南部のハーピスト、なんてのがいて(他にも究明されてないのがいるそーです)はっきり言って、ここで採り上げた Jimmy Johnson は「やや」旗色が悪い・・・かも?

ただ、世界的にゃそれほど名は売れてないかもしんないけど、評価は決して低くはありません。
いちおーあちこちのフェスティヴァルじゃトリもとってるし、それなりにやってるんですが、ま、イマイチ知名度が・・・

1928年11月27日、Mississippi 州 Holly Springs(実際には Tennessee 州との州境まで 25km という Mississippi 州でも思いっきり北にあり、おなじみの Memphis までは Route 78 で北西に 60km ほどの位置と、その近さからすると Memphis 文化圏と言えるかも。2000年の国勢調査によれば人口は 8,000人足らず。現在は黒人の比率が 3/4 以上を占めるが当時については不明)に生まれ、1950年に一家が Chicago に出てくるまではそこに暮らしていたようです。当時はそこの教会の聖歌隊に所属しており、やがては Memphis のスピリチュアルズのグループ、the United Five でも歌っていたらしく、そのせいか Chicago でも the Golden Jubilaires で歌とギターを担当しておりました。
彼の二人の弟、ひとりは有名な Syl Johnson(本名 Sylvester Thompson、1936年 7 月 1日生まれ)ですが、もうひとりは Magic Sam のベーシストとして、あるいはその名付け親とも言われる Mack Thompson(ザンネンながら現在のところ、その生年月日を記した資料には遭遇しておらず、そのため Jimmy の弟であるらしいことは確かなのですが、Syl と Mack ではどっちが上なのか?もさっぱ判りません・・・)と、かなり音楽的な才能に恵まれた家系だった、と言えるかもしれません。
弟ふたりは早くから Chicago のブルースシーンに関わってプロのミュージシャン化していったのですが、一方の Jimmy はまだ溶接工の仕事のかたわら、ゴスペルのグループに在籍していた程度でした。
そんななか、まず 1957年に Mack Thompson が Magic Sam の Cobra 吹き込みに参加し、続いて 1959年には Syl Johnson(おそらくこのあたりに Jimmy と Syl の二人はその名字を Thompson から Johnson に変えているらしいのですが、そのあたりの事情について書いた資料にはまだ出会っておりません)が Jimmy Reed の Vee-Jay 録音に参加し、次いで Federal にも自己名義での吹き込みを果たしています。
それが刺激になったのかもしれませんが、ちょうどこのあたりから彼は Chicago のブルースマンたちと交流を持ち始め、Magic Sam や Freddie King などと一緒に演奏するようになって行きます。
ただ、純粋にビジネスとして見たら、カネを稼げるのは「ブルース」よりも「 R&B 」だったようで、彼はやはりそちらの仕事をメインとして行くことになります。プロとして自立するにはそのほうが手っ取り早かったのかもしれませんね。
それからおよそ 15年ほどをソウル・ミュージックや R&B のバック・バンドのギタリスト、またバンド・リーダーとして過ごし、それなりの名声も築き上げていました。
ただし、次第にそのような生活に疑問を持つようになったようで、ブルースに「戻る」決意をし、その手始めに「あの」Jimmy Dawkins のバンドのサイド・ギターとして契約し、その結果、ドーキンズの日本ツアーにも参加しています。
Otis Rush の日本でのライヴ・アルバムにも参加し、また自身のバンドを立ち上げるまでにドーキンズのアルバム二枚にも参加しました。
それが 1978年に Alligator Records の Living Chicago Blues, Vol.1 に 4 曲が収録されたことによってアルバム自体のグラミー・ノミネートをもたらし、彼に対する業界の評価を大きく変えることとなりました。
すぐさま Delmark が Johnson's Whacks を 1979年、North/South を 1982年にリリース、そして 1985年には因縁の(ってワルいほうじゃなく、ね)Alligator から Bar Room Preacher を出しております・・・がっ!これ、実は制作は Alligator ではありません。おフランスのレーベル Black & Blue のためにパリの Sysmo Studios で録音され、Heap See( Blue Phoenix BP 33.720 )としてリリースされたものを「持ってきた」らしく、そのフランス原盤は 1983年にリリースされた、という説もあります・・・
続いては 1995年に W.C. Handy Award を獲得した I'm A Jocky( Verve )、そしてドイツ RUF からは Every Road Ends Somewhere を 1999年にリリース、2001年には弟の Syl Johnson とともに吹き込んだ Two Johnsons Are Better Than One! を Evangeline からリリースしていますが、やはり、と言うか、そのジャケットでも宣材でも Syl が「上」の扱いだったのでした・・・



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-08 22:56

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