Jimmy Reed
あくまでもシンプルでストレートなブーギをお楽しみいただきましょう。Jimmy Reedのヴォーカルの「ゼイ肉」の無さがスバラシい!「どうだ、オレって歌うまいだろ?光線(?)」がゼンゼン出てないんですよ。そして「プリミティヴ」とさえ言ってもいい飾りっ気の無いハープ!
巧さやワザで聴かせよう、なんてえのからはほど遠いとこにいますね。そして、それを黙々と支える Eddie Taylorのギターがまたいいです。いいコンビだなあ。

James "Jimmy" Mathis Reedは1925年の 9月 6日に Mississippi州 Dunleith近郊にある Johnny Collierという白人農園主のとこの小作農だった Joseph Reedとその妻 Virginia Reedの間に生まれました。
彼が生まれた順番まではちと不明ですが、ともかく子供が10人いた中のひとりだったそうで。
そして、彼の人生の最初の 7年間はここで過ごしています。そして、「いつからか?」はハッキリしませんが、ともかく学校に通うようになり、1939年、彼が14才の時に学校をヤメて Duncanや Meltoniaの周辺で職を探し始めました。
この Mississippiにいた時期に Eddie Taylorと出会い、ギターを習っていたようですが、なんでか正確な年を記した資料に出合っておりません。

そして1943年(alt.1944) Chicagoへ。しかしこの時はすぐ(それが1944年らしいのですが) U.S.Navyに入って第二次世界大戦に参加することとなります。
(ついでながら、アメリカには 5軍があります。陸軍である U.S.Army、海軍の U.S.Navy、そして空軍が U.S.Air Force、とここまでは大抵の方が知ってると思うんですが、じゃ、残り二つは?ってえと、海兵隊 U.S.Marineと戦略空軍 S.A.C.─Strategic Air Command─これは B52に巡航ミサイルを搭載して日夜ワールド・ワイドでカヴァーし続けるってヤツで、「博士の異常な愛情─あるいはいかにして心配することをやめ、原爆を愛するようになったか」で当時のソヴィエト国内の ICBM発射基地めがけて殺到した B52群がここんちのです。ま、あまりブルースとはカンケー無いんですがね)

海軍から1945年に戻ってきた Jimmy Reedは短期間ながら Mississippiに来て、そこで後には彼の曲を作るようにもなった Mary Lee "Mama" Davisと結婚しています。そして Illinois州 Chicagoに近い Indiana州 Garyに移りました。
製鉄所で昼働き、Willie Joe Duncanという one-string guitarのプレイヤーと遊んでたりしてたようですが、1953年に、とあるクラブに出演している Eddie Taylorを「発見」して再会!ここに最高のコンビのひとつが誕生したのです。
同じくこの年、Jimmy Reedは Chessの選考を落ちているのですが、一説では、このときまだドラマーだった Albert Kingが VeeJayを紹介してくれた、ってゆーんですが。
そのヘンのいきさつはともかく、彼はめでたく VeeJay Recording Artistとはなったんですが、最初はあまりパっとせず、VeeJayではリストからハズそうか?なんて動きもあったらしいです。
だがしか〜し!1955年に「You Don't Have To Go 」がヒットするや、事態は急変、モチロン契約は続行で、以後、次々と「Ain't That Lovin' You Baby 」、「You Got Me Dizzy 」、「Honest I Do 」、「Baby What Do You Want Me to Do 」、「Big Boss Man 」、「Bright Lights, Big City 」なんてえヒットを生み出して行きます。
とーぜん、それらを支えたのは Eddie Taylorでございました。また彼の妻(後には離婚しちゃうんですが)も曲を作り、時にはスタジオで歌詞をスグ忘れちゃう彼の耳元で「次の」歌詞をこっそり教えたりして支えています(いくつかのトラックで、その声が聞こえます)。

このように、黒人&白人の両方のマーケットで VeeJayにとってもめざましいヒットを連発したことで、彼の存在は重要になったのは確かです。しかし、VeeJayでの晩期には、夢よもういちど、とばかりに「悪あがき」に近いこともしていますよ。
バッキング・トラックに12弦ギターをオーヴァー・ダブ(ダヴは鳩だよん)してみたり、「なんちゃってライヴ」にしてみたり、曲間に M.C,を入れてみたり・・・どれもハズしちゃったみたいですがね。こんなことしてちゃダメなのはアタリマエ。

1960年代の初期にはヨーロッパにもツアーに行っています。しかし、てんかんの持病があったところに、飲酒癖がかさなり、健康にもモンダイがあったようで、一部の資料では、1976年 8月29日、California州 Oaklandで、睡眠中に重い発作を起こし、呼吸困難に陥って死亡した、とされています。
Illinois州 Cook Countyの Worthにある Lincoln Cemeteryに埋葬されました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-09 22:16

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