Jimmy Rogers
Little Store Blues Chicago Boogie( Barrelhouse bh-04あるいは P-Vine PCD-1888「シカゴ・ブルースの誕生 1947」)が、

Gotta little Whisky, gotta lil' Gin・・・

と始まるあたり、さすがSloppy Drunk の Jimmy Rogersだわい、とヘンな感心をしちゃいますが、Little Walterのハープと自分のギターだけ、っちゅうシンプルな構成ながら、なかなかスキの無い濃密な音世界を生み出していますね。
ここら、 Maxwell Streetで、ともすると無造作に流れていってしまいがちな聴衆の脚を止めさせるための「のべつまくなし」感もございますか、それでも腰が重くない、軽快なキレの良さを失わないとこがさすが、でございます。

彼の有名なナンバーである Chicago Bound(と言ってもオリジナルは Memphis Slimらしいのですが)にあるとおり(?)徐々に北上して Chicagoにたどりついたもののようですが、Jimmy Rogersこと James A. Lane(ミドル・ネームの Aがなんの略なのかは判りませんでした)は 1924年 6月 3日( 13日としている資料もありますが)、Mississippi州の Rulevilleで生まれています。
どうやら独習でハープとギターを覚えたらしいのですが、インタビューでまずどんな音楽を聴き始めたのか?という質問に対し、

はっきりとは覚えていないが、それほどブルース一辺倒ではなかったように思う。
でも、最初に聴いたブルースとしては Lonnie Johnsonじゃないかなあ。

と答えています。地理的にもデルタ周辺の音楽を充分に享受できる場所にいたワケですから、かなり広範囲のミュージシャンの音を耳にして来たことでしょう。

Bessie Smithはレコードで聴いてたよ。 Lonnie Johnsonの次は Roosevelt Sykesあたりかな、そのあたりからは Tampa Red、Big Maceo、Big Bill Broonzy、Bukkah Whiteと、どんどん広がって行った。
で、たまーに Robert Johnsonも聴いたけど、彼に直接会ったことは無いんだ。レコードでだけね。

そして、誰に影響されたか、あるいは Jimmy Rogersにとっての「憧れ」の対象は?という問いに、

う~ん、やはり Robert Johnsonかな。ついに会うことは出来なかったけど・・・他には Big Bill Broonzyだね。そして Memphis Minnieだろ、Tampa Redに Big Maceoもさ。

だそうですから、やはりその辺の音が彼にはかなり影響を与えていたもののようです。

ところで、生まれたときには James A. Laneだったのですが、(そこら彼自身が詳しく語っているワケじゃないので「推測」に過ぎませんが)おそらく母の再婚した相手の苗字から James Rogers、愛称 Jimmy Rogersとなったもののようですが、おかげでカントリー系のシンガーのジミー・ロジャースとよく混同されたり(書くと Jimmie Rodgersとスペルが違うんですけど)もしたようです。

どうやら十代のころにはハウス・パーテイなどで演奏をするようになっていたらしいのですが、Chicago Boundそのままの北上、ってことに関し、ある資料では「十代の終わり近く、彼は Helenaに移り、さらに Memphisでは Robert Nighthawkやロックウッドと一緒に演奏し、次いで St. Louisに移って1947年に Chicagoへ行くまで、Sunnyland Slimと一緒にやっていた。」としてるものがありましたが、多くの資料では彼の Chicago入りを 1939年としており、ま、本人の言だからゼッタイ!と言い切れないってのがブルース界のジョーシキではございますが、インタビューでも 1938年か 1939年だと思う。と発言されておられますのじゃ。
それに 1947年ったら冒頭の Ora Nelleに吹きこまれた年じゃないの。来ていきなりスグに Little Walterと、こんだけスキの無い音を作り上げたってのはムリがあるっしょ。やはり大勢が支持する 1939年説の方が整合性が高いんちゃう?特に 1939年と 1947年では「戦前」と「戦後」ですからねえ。そこらを間違えて記憶する、ってのは考えにくいし・・・

そして 1940年か 1941年、Chicagoで職についていた彼は同じ職場で Dan Jonesという男と知りあいます。
すると、そいつのいとこが南部から出て来るんで職や住むとこを手配してやんなくちゃ、ってのがあったそうなんですが、その「おのぼりさん」こそが彼と密接な関わりを持つことになるマディだったんですねえ。
マディと組むようになってからのことはみなさまのほーがよくご存知でしょうから、そこらスっトバさせていただいて、と。
1960年代にはどうやら音楽とは少し距離をおいていたようでタクシー会社をやってみたり、また衣料を扱う店を開いたりもしていたようですが、その店は 1968年の Martin Luther King師が暗殺されたことによって起きた Chicagoの暴動の際、全焼してしまいました。それが彼をしてふたたび音楽に本腰を入れさせる原因となった、としている資料もあります。

この Little Store Bluesはマディと会った後、でも本格的にバンドに参加する前、まだ Maxwell Streetあたりをたむろしてた時期の録音ということになります。
同地区はすでに取り壊されてしまったようですが、かっての Ora Nelle Recordsだった Abrams Musicの角をまわったとこ、Heritage Bluesbus Musicの中に出来た(なんて「見てきたような」書きっぷりですが、もちろんワタクシ行ったことはございません) Maxwell Street Museumには、Jimmy Rogersを記念した特別展示がなされておるハズでございます。

1997年12月19日、Jimmy Rogersは結腸部の癌と気腫によって Chicagoの Holy Cross Hospitalで死亡しました。妻 Dorothyとの間に、息子 Jimmy D. Lane、Willie Lane、James Lane、そして娘、Angela、Jacalyn、Maryland、Debraに Vera、そして 17人の孫という家族を残して。でも息子に Jimmyと Jamesって・・・紛らわしくない?
あ、死の一週間前にはその Jimmy D. Laneのギターと一緒に Atlanticに最後の吹きこみをしています。Atlantic AMCY-2959 Jimmy Rogers All Stars : Blues Blues Bluesね。なんだかとっても嬉しそうに Gibson ES-355 TD "Lucille"( 1フレットにカポ!)を弾く彼の画像が印象的です。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-09 22:31

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