Jimmy Smith
えっ?ジャズは嫌いだ、とか言ってなかったっけ?とゆーようなツッコミが全国から(おーげさ!)ドトーのように押し寄せて来るやもしれませぬが、ここはひとつ Jimmy Smith追悼っちゅーことで・・・(?)
そ。2月 8日、Arizona州 Scottsdaleの自宅で 76年の生涯を閉じた(彼のマネージャー Robert Claytonが起こしに行ったところ、眠ったままの状態ですでに死亡していた、と言いますから、どうも老衰による自然死らしいです)偉大なるオルガン・プレイヤー Jimmy Smithでございます。

どうやら、あまり確実な資料は無いらしいのですが、様々な整合性からいって、どうやら彼の生まれたのは 1925年12月 8日であるらしく(ただし彼の家族たちは 1928年生まれ、と主張しているようです。どっちがホント?)、Pennsylvania州の Philadelphiaから 11時の方向に 30kmほどの位置にある Norristownで James Oscar Smithとして誕生しています。彼の父はピアノ奏者であり、その父が彼にとっての最初の教師だったようですね。
学校を出てすぐ彼は海軍に入り(とは言っても、家族が主張するとおり 1928年生まれだとすると、 1941年の Pearl Harborの時でもまだ 13才なんで、1944年ころに入ったんでしょか?)、そこで黒人だけで編成された楽団でピアノとベースを弾いておったそうですから、もしかすると、当時、おなじくサックスで参加しておった可能性もある(と言っても、なにしろヤツのこったから、どこまでがホントーなのか、信用できないんですけどねん) Screamin' Jay Hawkinsとどっかで一緒になった可能性もあった・・・かも?

そして海軍を除隊したのが 1947年で、そっから Philadelphiaの Hamilton & Ornstein音楽学校に入り、ピアノとベースに関して学び直しているんですねえ。すごい「向上心」の持ち主でございますよん。おまけに Pennsylvania鉄道の工事現場で働いて生活費も稼いでたようですからリッパ!
1951年には R&B系の Don Gardnerの the Sonotonesに参加しピアノを弾くようになっています。そしておそらくこの年に Hammond B-3に出会い、さらに Atlanta Cityの Club Harlemで Wild Bill Davis( 1918年、Missouri州 Glasgow生まれ。最初はギターで Milt Larkinのバンドに参加していますが、そのバンドこそ Eddie "Cleanhead" Vinsonと Arnett Cobbのふたりが「ブイブイ」言わしてたバンドで、そこには 1942年まで在籍しています。その後ピアノに転向し、1945年には Louis Jordanの Symphony Five─ただし Louis Jordanのバンドは the Tympany Fiveとして知られており、それとも、Symphony Fiveとでも言う別名があったのでしょうか?─に参加。この時期にはまた編曲や作曲にも興味を持ったようです。後に Count Basieや Fats Wallerとの交流を通して Hammond B-3に触れ、次第に彼独自のオルガン・テクニックを持つユニークなプレイヤーとなっていきます。1950年には Louis Jordanのもとを離れ、自らのトリオを結成。Booker Tにも影響を与えたと言われてるようです。1995年10月に死亡)の演奏に触れて影響を受け、1954年には「自分の」 Hammond B-3を手に入れました。

そして New Yorkに進出し Harlemの Small's Paradiseでデビューしています。1956年 1月には Blue Note Recordsとサイン。1957年には Newport Jazz Festivalに出演しました。
1962年には Verve Recordsに移籍し、1970年代には Los Angelesに居を構え、妻の Lolaとともに San Fernando Valleyに Jimmy Smith's Supper Clubを開きましたが数年後には閉めているようです。
昨年 Arizona州 Scottsdaleに移っていますが、その少し後に妻の Lolaをガンで失っていました。そのことが彼自身の生きる意欲を失わせてしまったのでしょうか・・・

ワタクシがこの Jimmy Smithを初めて「見た」のが 1964年のアメリカ映画 Get Yourself a College Girl(邦題「クレイジー・ジャンボリー」・・・ヒドい題じゃのう)での「演奏シーン」でございました。
いやあ、Jimmy Smith、めちゃめちゃカッコ良かったなあ。
この映画には他にも Eric Burdonの the Animals(記憶では Around & Around を演奏してたハズ)や同じ Verve Recording Artist(?)、 Stan Getzに Astrud Gilbert(もち the Girl from Ipanema )などが出ていたのですが、映画のストーリィ自体はヒドい代物で、「女性蔑視の時代の他愛もない三流の作品、出演しているミュージシャンの演奏シーンが見られる、というだけの価値しかない。」と酷評されております。この映画は公開されてすぐ観に行きましたが、ストーリィ部分は退屈で退屈で眠ってしまいました。
で、演奏が始まると目がパッチリ!てな具合。

ま、それはともかく、この Jimmy Smith、なんと言っても代表曲は the Cat なのでございますが、そこはホレ、ワタクシのことでございますから、ちと目先の変わった、ってえとこでこの Mack the Knifeの登場でございます。the Cat にも通じる「饒舌な」オルガン・ワークが実にいいですねえ。
もちろん彼には、「もろジャズ」(?)のアルバムもあって、そこではサックスなどと共演してジャズのスタンダードを「分担して」演奏しているものもあるのでございますが、やはりワタクシとしては彼の右手が鍵盤上を「ひらめくがごとく」舞う「弾きまくり」系のナンバーが好きです。
つまり彼とギター、そしてドラム、っちゅートリオ編成ね。
この Mack the Knifeももちろんトリオで、ギター Quentin Warren、ドラムが Donald Baileyで、1960年 1月 4日、New Jersey州 Englewood Cliffの the Van Gelder Studioで録音されたものです( Blue Note 84030 Crazy Baby)。

ところで(カンケーないけど) Mack the Knifeと言えば Ella in Berlin (?)でげしょ。で Ella in Berlin と来れば、もう How High the Moon と・・・
あの Ellaのヴォーカルっつうかスキャットって、もうヘタな楽器以上に楽器的だなあ、と感心いたしますが、それとまったく逆位相で、この Jimmy Smithの Mack the Knife、実に肉声的だなあ、と聴き惚れております。
ま、ワタクシ個人といたしましては、いかな超絶技巧であろうと「楽器的ヴォーカル」よりは、「肉声的、の域に達した器楽演奏」のほーに感動いたしますもので。

なお、まったくの蛇足でございますが、この Ella in Berlin 、リリースされたのが 1960年 2月13日でございますから、Jimmy Smithセンセ、これを吹込んだ時にはまだ聴いていないハズ(ま、ベルリンでの隠し録りテープでも先に出回ってたら別ですが)でございます。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-09 22:41

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