Johnny Copeland
Johnny Copelandは 1937年 3月27日に Louisiana州の Haynesvilleで生まれています。
この一帯は Texarkanaと呼ばれる( Texas+Arkansas+Louisianaつーことねん)いわば 1930年代まで、ブルースの揺籃ともなっていた地域でございます。
ただし、彼がまだ小さいうちに、小作農だった父が死んでおり、形見のギターが残されたそうですが、その父がブルースを歌っていたかどうかについて言及した資料は発見できませんでした。
また、彼自身がどのようにしてギターを覚えたのか、なども判明しておりません。
それでも、友人の Joe "Guitar" Hughes( 1937年 9月29日 Texas州 Houston生まれ。叔母や継父がミュージシャンだったらしく、放送や 78回転のレコードなどで音楽に親しむ。初期には様々な音楽を聴いていたようですが、母によってブルースだけは禁じられていたようです。聴いてるのが見つかるとケツ・・・うっぷす、シツレーいたしました、「お尻」をキツ~く叩かれたと。その彼が皿洗いの仕事を見つけ、その給料でギターを買ったことで、運命が決まったようなものかもしれません。16才で初めてのバンドを Johnny Copelandと Pat Paterson、Steve Washingtonに Cornelliusと作り the Dukesとしてスタートしたのですが、Steve Washingtonと Cornelliusが脱退。かわってドラムの Herbert Hendersonとベースの James Johnsonを加え the Dukes of Rhythmとなります。このバンドは Houstonや Galveston周辺で活動しました。1958年から 1965年までに、Kangarooや Golden Eagle、さらに Jetstreamやら Boogalooといったレーベルに録音もしています。1963年からは Little Richardのバンド the Upsettersに参加。以後 Bobby Blandのバックに Wayne Bennettの抜けた穴を埋めるようにして参加しました。1966年には Texasに戻り、学校の教師をしている彼の妻 Willie Maeの「落ちつかない暮しはイヤ」という言葉でツアーなども自粛し、Houston周辺でやってたようですが、1985年には Johnny Copelandに乞われてヨーロッパ・ツアーに動向し、以後 8枚のアルバムをリリースしています。2003年に死亡)のバンドに加わったことで、ギターを Joe "Guitar" Hughesから教わったようで、このあたりから本格的にギターも弾くようになったのではないでしょうか。

ところで、そのバンド the Dukes of Rhythmで、ある日 Joeが具合が悪くてステージに立てないってことがあり、替わって Johnny Copelandがフロントを務めたんだそうです。そしたら、意外とデキが良く、ウケもいいので、それ以来、歌うことにも力を入れるようになりました。
the Dukes of Rhythmは the Shady's Playhouseのハウス・バンドとなります。
なお、この時期、彼がボクシングに熱中してたので "Clyde"というニック・ネームを奉られたとのことですが、そこらワタクシはまったく詳しくないので、なんのこったかさっぱり・・・

当時 Copelandと Hughesは T-Boneに無中だったようですねえ。
実際、13才にして、彼が生まれて初めて見たパフォーマンスだった、としてる資料もありますから、さぞやキョーレツな印象を受けたことでございましょう。
その 1950年代はまた、彼が Albert Collinsや Sonny Boy Williamson II、Big Mama Thorntonに Freddie Kingなどとも共演していた時代でもあります。

1958年には地域的なヒットではありますが彼にとってはレコーディング歴のスタートとなった MercuryへのRock n' Roll Lilly が吹き込みされ、以後 1960年代を通じて Houstonの All Boyや Golden Eagle、そして New Yorkの Wandや Atlanticに録音しています( HoustonではPlease Let Me Know Down on Bending Knees などのローカル・ヒットもありました)。

1974年( alt.1975)、彼は New York Cityに移っています。
New Yorkはすべてが集まる街だった。音楽もね。
そして、そこには友人がいた。
来るんだったら力になるぜ、って言ってくれたのさ。

New Yorkに移ったことで、彼はまた新しい「場」を獲得します。New Yorkの Harlemやら Greenwich Villageのクラブはもとより、Washington, D.C.や Philadelphia、New Jerseyに Bostonなどに出演することが出来ました。
とは言っても、それで食べていけるほど、というワケじゃなく、彼は Brew 'n' Burgerと呼ばれる類のレストランで仕事をしつつ、夜はブルース、という生活を送っていたようです。

1981年に Rounder Recordsにサインしたことで彼の生活は大きく動き始めました。
そこでの第一作 COPELAND SPECIALに始まる一連の作品はかなりな商業的成功をおさめた、と言って良いでしょう。
特に彼が 1982年に西アフリカの 10ヶ国をまわったことで出来た、とされる 1984年のアルバム、 BRINGING IT ALL BACK HOMEは「テキサス・ファンクとアフリカン・リズムを併せた」と評され、アフリカとアメリカをつなぐ「ユニークな」ブルース、と言えるのかもしれません。
この Rounder Recordsでは他にも Make My Home Where I Hang My Hat Texas Twister When the Rain Starts a Fallin' Ain't Nothing But a Party Boom Boomなどのアルバムを残しています。

1986年には Alligatorによる Showdown!で Albert Collinsらと共演しています。ホントならこのアルバムは Albert Collinsに Clarence "Gatemouth" Brown、そして Johnny Copeland、っちゅう顔ぶれで、the Best of Contemporary Texas-style Bluesというコンセプトで製作されるハズだったのですが、(控えめに表現すれば) Gatemouthが諸条件で折り合いがつかず「ご辞退あそばされた」がために、やむなく代理を立てて録音されたのだ、とインタビュー( 1996年)で語っています。
彼にとって Gatemouthはきわめて大きい存在だったようですから、共演できない、と判ったときには、かなり失望したのではないでしょうか。

Rounder Recordsとの関係が終った後は Polygramのジャズやブルースのレーベルだった Verveと契約します。
そこでリリースされたのが 1993年の Flyin' Highで、続いて Catch Up With The Bluesを 1994年にリリースしました。
この Catch Up With The Bluesでは「念願」だった Clarence "Gatemouth" Brownとの共演をはたしています。

しかし一方では、彼の健康には、不吉な影が忍びよっておりました。
1994年後半に組まれたハードなスケジュールでのツアー中に、彼の心臓は突然変調をきたし、Coloradの病院に担ぎ込まれたのです。そこで彼は心臓の障害の存在を知らされ、そこから入退院を繰り返す闘病の生活が始まりました。
ただし、病院でも他の患者のためにブルースを演奏したりしてたみたいですが。
1995年には、バッテリーや CPUによってオペレートされる左心室のアシスト装置を取りつけていましたが、1997年 1月 1日に、ようやく臓器提供者が現れて、New York Columbia Presbyterian(長老教会派) Hospitalで心臓移植手術が行われました。
その術後の快復は一時、順調に進み、なんと春にはツアーまでしています。しかし、僧帽弁の不調から夏には再入院することが必要になりました。

結局、合併症によって1997年 7月 3日、心臓移植手術の行われたその同じ New York Columbia Presbyterian Hospitalで、帰らぬひととなったのです。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-10 20:57

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