Johnny "Guitar" Watson
Johnny Guitar Watsonって、そのチープな(って、それ悪口じゃないのよ。このチープさ加減がワタシゃ好きなんだわ)ヴォーカルとギターが「お待たせしました!」てな感じでご登場!この、どこまでホンキなんだか?っちゅう脱力系(?)のプレイがタマりません。

このヒップ・スターが生まれたのは、1935(alt.1937)年の 2月3日、テキサス州 Houston。
ピアニストだった父 John Watson Sr.(母は Wilma)に教えられて、小さいころからピアノを弾いていたようですが、実際に彼の音楽的下地を育てたのはヒューストンのストリートだったようです。
通りにあったバーから洩れてくる音とかね。
やがて、形見ということで教区牧師だった祖父のギターを貰って、いわゆる Johnny "Guitar" Watsonの第一歩を印すワケですな。
もっとも、そのギターには、所持する条件として「コイツでゼッタイにブルースを弾いちゃいかん」ってのがくっついてた、といいます。んなコト言ったってねえ。もうそのころにゃゲイトマウスのパッパラパーぶり(?)にゾッコンだったんですから、守れる「ワケがない」。
他にも Tボーンに Lowell Fulsonが「お気に入り」だったようで、そのころマネて弾いてた経験が彼のギターのおおまかな方向を決めたんでしょか。

そして15才の時には父とともに Los Angelsに移りました。まだ就学中ながら、機会さえあればタレント・コンテストに出場し、もろテキサス・スタイルで Gatemouthや T-Bone、Lowell Fulsonに Pee Wee Craytonあたりのナンバーをやってたみたいです。
でも採用されたのは、なんでか Chuck Higginsのピアニスト「Young John Watson」として、ね。
この時、初めて他人のバックではあるけど吹き込みを経験しています(「Motor Head Baby 」Combo 12)。
1953年には Los Angelsのトップ D.J.、Hunter Hancockの紹介で Federal Recordsと契約し、初シングル「Motor Head Baby(もちろん、こちらは Chuck Higginsじゃなく、彼がやってます)/Highway 60」を Amos Milburnの伴奏で吹き込んでいます( alt.「Hot Little Mama」が初シングルとしている資料もあります)。
1955年には Modern Recordsに移籍し、Earl Kingでお馴染みの「Those Lonely, Lonely Nights」で R&Bチャートの Top 10入りをはたしますが、その後」「Hot Little Mama」、「I Love To Love You」、「Too Tired」、「Don't Touch Me」などを吹き込み、翌1956年には「Someone Cares For Me」、「Oh Baby」、「She Moves Me」、そして「Love Me Baby」を Los Angelsで吹き込んでいます。
テナー・サックスが Maxwell Davis、バリトン・サックスは Jim Wynn、ドラム、トランペットとピアノは unknownですが、ギターは Rene Hall、ベース Ted Brunsonのラインナップ。
が、一応小規模ながらヒット(それもウェスト・コースト・ローカルでしたが)と言えるのは1957年の「Gangster Of Love」だけだったかもしれません

1960年代には「早くも」ブルースを離れたピアノによるインストのアルバムも出してるんだそうですが、まだ聴いたコトないので、ナンとも言えませんなあ。ま、ゼヒ聴きたい、なんて気にはなりませんが。
Watson君がふたたびチャートに顔を出すのは King Recordsから出した1962年の「Cuttin' In」で R&Bチャートの 6位をマークしました。
1963年にはアルバム Johnny Guitar Watson、1964年には Chessからアルバム The Blues Soul Of Johnny Guitar Watson、同じく Chessから 1966年の Badをリリース。
またこのころにはいろんなひと、あるいはグループと組んでツアーなどを行っていたようで、その相手としては、Don & Deweyや Jackie Wilson、B.B.Kingに Little Richard、Louis Jordan、James Brown、Sam Cooke、The Driftersと、よくもまあ、と思うくらい多彩な顔ぶれじゃございませんか。中でも、2年間パートナーとして活動した Larry Williamsとのセットが知られてるようですね。
この時また Decca Recordsにアルバムを録音しています。

その1960年代中期の彼のイギリス・ツアーでは、長さ150フィートのケーブルでギターを弾きながら天井に上がり、壁をつたって降りてきたりしてたそうです。
こんなパフォーマンスについちゃ、いろんな伝説があって、ダレがサイショでダレがそれをパクったとか、ショセツフンプンでございます。どなたか、おヒマな方、ぜ〜んぶの証言の「整合性」をチェックし、ホントはダレがいっちゃんサイショなのかケンキューしてくださいませ。
1967年には Larry Williamsとの OKehでのアルバム Two For The Price Of One、1968年には Johnny Watson Plays Fats Waller In The Fats Bagをリリースしています。

1970年代には Fantasy Recordsから Listen(1974)と I Don't Want To Be Alone, Stranger(1975)をリリース、この時にはキーボードに Andre Lewis(後にザッパとツアーしてます)が参加してます。
1976年には Dick Jamesの DJM Recordsと契約、Ain't That A Bitchをリリース、それ以降、Funk beyond the call of duty(1977)、Real mother for ya(1977)、(そしてワタクシの大好きなパッパラパー・ヴァージョンの「Gangster Of Love 」を収録した) Giant(1978)、What the hell is this?(1979)、Love Jones(1980)などをリリース。

1981年には A&M Recordsと契約しましたが、この時期はちょっとな〜。
そして久しぶりのカムバックと言えるのが、1995年、Bellmark Recordsからリリースされた Bow Wowでしょ。このリリースを受けてふたたび脚光を浴びた彼は、1996年、日本ツアーの中で、横浜「Blues Cafe」でのライヴの一曲目で倒れ、そのまま帰らぬひととなってしまったのです。
なんだかキャラに似合わない(ゴメン!)壮絶な死でございましたね。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-10 21:13

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