Johnny Jenkins
みなさまは Johnny Jenkinsをご存知でしょうか?
1939年、Georgia州 Maconで生まれ、Swift Creekと呼ばれるド田舎地帯でもっぱらバッテリーを電源とする Portable Radio(つまり、電気も引かれてないイナカっつーことでしょか?)でブルースや初期の R&B、アーティストとしては Bill Doggettや Bullmoose Jacksonなどを聴いて育った、という彼は 9才の時、ご他聞に洩れず、シガー・ボックスとゴム・バンドでギターを自作したのですが、(元々左利きなのか、それとも偶然そーなっただけかは資料からは判りませんでした)普通とは逆の左向きに持ち始めたようで、それは姉からホントのギターを買ってもらった後もそのままだったようです。
その Johnny Jenkinsは成長し、やがて自分のバンド the Pinetoppersを率いて活動するようになり、その彼が 1962年に Atlanticのために Staxのスタジオに録音に来たのです。
Georgia州のローカルな放送局に出演していた彼を最初に認めたのは、後に Maconで Capricorn Recordsを設立することになる Phil Waldenかもしれません。
彼は Johnny Jenkinsとそのバンド the Pinetoppersのブッキングも手がけるようになっています。

その Johnny Jenkinsを迎えた Stax Studioでは、「あの」奇跡が起きる・・・

その日、Johnny Jenkinsはおそらく「Love Twist」を吹き込んだのではないかと思うのですが、Jenkinsの調子が良くなかったか、あるいは逆に順調に進んで思いがけず早く終ってしまったのか、たぶん前者だろうとは思うのですが、およそ 30分ほど余裕が出来たとき、プロデューサーは( Jim Stewartだった、とする資料もあります)彼と一緒にスタジオにやってきていた Johnny Jenkinsのバンド the Pinetoppersのヴォーカリスト(バンドでは Jenkinsがギタリストとして全体をリードしていたようです)で、お抱え運転手でもあった男に、「時間あるからキミも歌ってみる?」てなことを言ったんでしょか?すると男は、それじゃあこの歌を、ってんで自作の曲を出してきました。
そしてレコーディング・・・
その曲こそは、いまだにその時のオリジナルを超えるカヴァーが(おそらく、これからも)存在しない稀代の名曲、名唱となったのです。

この両腕の寂しさ、哀しみ
この両腕の憧れ、お前に憧れて
もし、この両腕でお前を抱きしめることが出来るなら、その歓びはいかばかりか・・・

(原詞 http://www.lyricsdepot.com/otis-redding/these-arms-of-mine.html )

These Arms Of Mine、歌ったのは Otis Redding。
21才の、まさに新しい才能が「シーン」に登場した瞬間でした。

この曲は 1962年の 10月に Staxの R&Bのサブ・レーベルたる Voltからリリースされ、翌1963年の 3月にはチャート・インしています。
ただし、この曲は Otis Reddingの初レコーディングではなかったようで、それは 1960年、Otis and The Shooters.という名義で行われていますが、実質的には Johnny Jenkinsの the Pinetoppersそのものだったようです(曲名などは判りませんでした)。

彼はアマチュアの時代を経て 1959年には the Grand Duke Clubで歌い始め、1960年からは Johnny Jenkins and The Pinetoppersにヴォーカルとして加わり、その地方では有名だった D.J.の Hamp Swainによって、土曜日の朝に the Roxy Theater(後には the Douglas Theatreに)で行われていた『Teenage Party』タレント・ショーに出演したほか、バンドで南部一帯をツアーし始めていました(前述の初録音もね)。

1962年のこの「These Arms Of Mine」は Johnny Jenkins and The Pinetoppersのセッティングをそのまま流用したものだったようですが、それが R&Bの大ヒットとなり、1961年に新設された Staxのセカンド・レーベル Voltを大いに潤したことにより、それ以降は Staxのハウス・バンドたる Booker T. and The MGsがフルにサポートをすることとなりました(!)。

ところで、そもそも Otis Reddingをこの Staxへと導いた張本人(?) Johnny Jenkinsさんはその後どーなったんでしょか?
そのバンド The Pinetoppersから Otis Reddingという不世出のスターを送り出した後、資料では「Jenkins declined, ironically, because he didn't like air travel.」と描かれております。
そ、どーやら彼は大の「ヒコーキ嫌い」だったようで、(そればっかりじゃないにしても)それじゃ全国ツアーやらセールス・プロモーションなんて夢のまた夢・・・
でも、彼のギター・ワークはまだ若かったころの Jimi Hendrixに影響を与えた、なんて話もあるんですよ。

ま、それはともかく、1970年には Capricornにとっては初めてリリースしたアルバムとなった Ton Ton Macouteを吹き込み、一部ではレビューで採り上げられたりもしたのですが、Phil Walden(実は一時期、Otis Reddingのマネージャーもしてるんですよね。でもコイツの伝記だと「Otis Reddingはたしかにタダモノじゃなかったが、Phil & Alanの Walden兄弟が、ローカルなタレント・ショーのチャンピオンに過ぎなかった彼を世界に送り出した」なんてあるのを見ると、おいおい、そりゃあ違うだろ!とツッコミたくなりますなあ。いるよね、こうゆうなんでも自分の手柄みたく語るヤツ)はそこでバッキングを務めたオールマンの方に興味を移してしまいます。
1975年にはもう一枚レコーディングしたのですが、どうやらいまだにリリースされていないようで、それにムカついた(?)彼は家族を連れて Maconに引っ込んでしまったのでした。
しかし 1996年には新生 Capricornレーベルに Blessed Blues(バックには Chuck Leavellの keyboards、リズムには Muscle Shoalsから Mickey Buckinsを迎えて)を吹き込み、さらにブルース度を高めたそのアルバムは W.C.Handy Awardの候補にもなっています。
さらにその後、Mean Old World Recordsからアルバム Handle With Careをリリース。

生涯を通じて、フルタイムのプロ・ミュージシャンになろうとはせず常に「昼の仕事」を持ち続けた男。
家族を置いてツアーに出るなんてことを考えもしなかった男。
そのデビュー・アルバムは Allman Brothersがバックを務めていることで知られている男。
あの Otis Reddingを自分のバンドの運転手兼ヴォーカルにしていた男。
その Otisがブレイクしてバック・バンドに誘われたのにそれを断った男・・・

結局 Johnny Jenkinsは栄光よりも、家族との日常を選んだのかもしれません。
彼にとっては 1969年に New Yorkの Steve Paulのクラブで Jimi Hendrixと「組んで」共演したことだってそれほど重要なことじゃなかったのかも。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-11 00:30

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