Donald Kinsey
いかにも 1980年代の Chicagoシーンを反映したようなキレのいいリズムに乗せて、ロック・ギターのクリシェが香るエッジの効いたギター・フレーズをちりばめ、表現力も豊かなヴォーカルが歌い上げる The Kinsey Reportですが、そのサイド・ギターの動きなどを追っていると、やはり、一時ピーター・トッシュや、ボブ・マーリィとも交流があった、っつーのはウソじゃなさそ、とナットク出来るよな凝り方で、そこら、ブルース一筋で来たんじゃない「膨らみ」みたいなものを感じますね。
そのサイドを担当してるのは、唯一、血のつながっていない Ronald Princeですが、それ以外のメンバーは、ベースの Kenneth Kinseyにしても、ドラムの Ralph "Woody" Kinseyも、実の兄弟という構成で、そのヘンも、こんだけキレのいいリズムをグルーヴを失わずに走らせられる一因かもしれません。

特に、音的にはあまり表面に出ておりませんが、この Kenneth Kinseyによる、独特のリフを基本に構築されたベース・ラインが実に「ただものではない」のでございますよ。
そりゃコピ男クンたちは「こんなのカンタンじゃん」などと抜かすことでしょうが、そりゃ、こやって出来ちゃったものをパクるだけなら猿でも出来る・・・うっぷす、シツレーしました「猿マネ」のマチガイです。

そして Ralph "Woody" Kinseyのドラムだって、ハイハットのレガートの入る位置がちょっと変わってて、ワタクシにゃどやっても思いつかんよなユニークなパターンになってますねえ。この独特のリズムは、Donaldクンが「ちゃうちゃう!そこでハイハットのオープン、一拍ズラして、そうそう、そこでクローズ!」なんて口うるさくいじくりまわしたんでしょか?

Donald Kinseyの父は、Lester "Big Daddy" Kinsey*として知られたブルースマンでした。

* ─ Lester Kinsey; Mississippi州の Pleasant Groveで 1927年 3月18日に生まれ、6才のころはゴスペルを歌っていたようですが 1944年に Indiana州 Garyに移るころにはデルタ一帯のハウス・パーティなどでも演奏するようになっていたそうです。
Garyに来てからは、まず製鉄所に勤めましたが、Chase Street Church of God in Christの牧師であった Lesterの父は、彼がブルースを演奏することを快く思わなかったようです。
やがて信者のひとり Christine McNealと 1946年に結婚し、兵役の後、Garyに戻った彼は再び製鉄所で働き、家庭を築き、1960年代後半からは音楽活動を本格化させていくワケですが、その少し前、1952年 4月26日に長男の Ralphが、1953年 5月12日には次男の Donaldが、さらに 1963年の 1月21日には Kennethが生まれています。そして長男の Ralphと次男の Donaldが生まれてから、マディ・スタイルのブルースを本格的に演奏するようになったらしいですね。
Lesterはまず Donaldが 4才のときにギターを教えはじめました(同時に Ralphにはドラムを教えています。このとき Ralphは 6才だった、という資料を信じれば、それは 1958年の、4月26日から 5月12日までの間、っつーことになりますね。別にいいんですけど。ただ別な資料では Donaldは 5才だった、としているものもあり、多少の混乱がございます)。この兄弟がそれぞれ 13才と 12才になったころには、もう充分に父と一緒に演奏が出来るようになっていました(なにやら Donaldクン、そのころには B.B.King Jr.なんぞと呼ばれておったようですよん。実際、B.B.のナンバーばっか演ってたみたいですからムリもないのでしょうが)。
この二人はその後も研鑚を積んで、1984年には弟の Kennethも加え、ここに彼のバンド Kinsey Reportが・・・と言いたいところですが、実は途中、ケッコー紆余曲折があるのよねん。

ま、そのハナシの前に、"Big Daddy"と Donaldは Eddie Silversのバックの the Constellationsとして 1969年に DJOにシングルFunky Fun In The Ghetto を吹き込んでいます。さらに 1972年には Big Daddy Kinsey & His Fabulous Sonsとして中西部から南部にかけてツアーをしていましたが、Ralphが米空軍に徴兵されたため、Donaldは Albert Kingのサポート・ギタリストとなって以後三年間をおくります。

1975年には空軍を除隊してハード・ロック(あるいはヘヴィ・メタル系、なかにゃあ「ブルージィ・メタル」なんて、聞いたことない分類をしてる資料までありましたが、そんなの、聞いたことある?)のバンド、White Lightningを始めた兄の Ralphに加わるために、その Albert Kingの元を去りました(この White Lightningはベースに Busta Cherry Jonesというトリオ編成で、いったいどんなツテがあったんだか判んないけど、なんでか元マウンテンのフェリックス・パパラルディのプロデュースで Island Recordsに録音もし、アメリカ国内ではエアロスミス、イエス、ジェスロ・タルにエドガー・ウィンターなどのライヴで前座を務めたこともあるとか)。

さて、そこで、どんないきさつがあったものか、ナゼかしら Donaldクンはその White Lightningも離れ、「レゲエ界」に身を置くこととなりました。
一説では New Yorkで行われた Island Recordsのレセプションでボブ・マーリィに出会ったのがキッカケ、とされております。
そのボブ・マーリィの紹介で知りあったピーター・トッシュのお声がかりで、そのアルバムLegalize It に参加しましたが、その結果に満足したトッシュはツアーにも彼を伴うこととなります。
さらに今度はボブ・マーリィからのオファーで 1976年のRastaman Vibration アルバムとツアーにも加わりました。
この時期の彼のボブ・マーリィとのツアーはBabylon By Bus アルバムとして残ることとなりました。
またピーター・トッシュの方は 1978年のBush Doctor もあるのですが、このアルバムに関しては、むしろキース&ミックの参加と Rolling Stones Recordsからの発売、というエポックで有名でしょう。

そのような輝かしい軌跡をレゲエで残していた彼が、そこを去る契機となったものに、ボブ・マーリィの暗殺未遂事件( 1976年12月 3日、自宅を襲撃され、危うく射殺されそうになった)があるのかもしれません。
ジャマイカでの政治的な対立が絡んでいた、とされていますが、この事件で、ボブ・マーリィと常に行動を共にすることの危険性にビビったのか、1978年のツアーがウエスト・コーストで終了したのを機に、友人の Ronald Princeと Ralphを誘ってレゲエにファンクやブルース、さらにロックの要素も併せたバンド、The Chosen Onesを作って、一旦ボブ・マーリィの元を離れています。

それでも、ボブ・マーリィの(結果的に最後となった) U.S.ツアーには再び参加しています。
さらに The Chosen Onesで EP盤を作った( Faulty Productsレーベル)りもしましたが、今度はピーター・トッシュのMama Africa アルバムに参加し、アフリカ・ツアーにも同行しました。

このような武者修行(?)の時期を経て、再び Kinsey一家が揃い、Big Daddy Kinsey & the Kinsey Reportがスタートしたのは 1984年のことです。ベースには弟の Kenneth、サイド・ギターには Ron( Ronald) Prince、ドラムはもちろん兄の Ralphで、彼はこれもまたもちろんヴォーカルとギターでございます。
そして彼がロイ・ブキャナンのバックをつけた仕事が縁となり、AlligatorのThe New Bluebloodsに Corner of the Blanketが収録されることとなりました。

1970年代後半の数年、レゲエというまた少し違う世界に身を置き、しかも(いわゆる)ヘビメタみたいなもんもやってた、というユニークな履歴が彼の音楽にひと味ちがった彩りを添えている原因なのかもしれませんね。



reserched by Othum: Blues After Dark


[PR]
by blues-data | 2005-09-05 13:00

[ BACK to BIO-INDEX ]