Leroy Carr
Catfish Recordsのライナーの記載を尊重すれば 1899年生まれ、と言うことになるのでしょうが、実はその説は「少数派」らしく、多くのサイトではその誕生日を 1905年 3月27日としております。
いまのとこ、1899年説は他のとこじゃ出てまいりません。ま、少数派だから信じることは出来ん、ちゅうことはないワケで、他の年表との整合性などから総合的にそりゃちとおかしいんちゃう?ってのがあれば、おのずとどっちが正しそうか判断の足しにもなるのですが、さほど決定的、と言えるよな材料は無いんですねえ。
ま、生年月日はともかくとして、彼は Tennessee州 Nashvilleで、Vanderbilt Universityでポーターとして働いていた父のもとで生まれて、1912年には父母の離婚に伴い、姉(あるいは妹?)とともに母に連れられて、当時、全米一、自動車産業が盛んで、南部からの(白人・黒人ともに)多くの流入する労働者で賑わっていた Indiana州 Indianapolisに移り(ま、そのような立地であったからこそ、「あの」歴史的なレース・トラック Indianapolis Motor Speedwayが Detroitじゃなく、ここに作られたのだ、と言われております)、彼はそこで育ち、ピアノも独学でモノにした、って記載に出会いますが、問題は 1917年(つまり 1905年生まれだとしたら、まだ 12才!)には the Pot Roast Clubに入り浸るようになって、そこで聴き覚えた Ollie Akinsのピアノを、家に帰ってすぐ姉(たぶんね。でも妹かもしんない)のピアノでそれを再現してみようとした。って部分かな?
はたしてそんな年齢で入り浸りになることが出来たのか?ってのがどうもねえ。ま、ゼッタイあり得ないとも言いきれないでしょが。
もし 1899年生まれだとしたら 18才ですから、これはまあ、あまりムリは無いかな?って思いますが・・・
またサーカスの一員として(楽団?)各地をまわってた、とか、軍に籍を置いていたこともあるとか、この辺りの前後関係、また事実かどうか、などもいまひとつ判りません。唯一、そのクラブのエピソードについては 1899年説が「やや有利」というところでしょうか。

Elmore Jamesや、Screamin' Jay Hawkinsはいずれも第二次世界大戦に関わって(ま、Screamin' Jay Hawkinsがどのように「関わっていた」のか、は、ちとアヤしい部分もあるのではございますが・・・)おりまして、そこらの召集年齢が、どうやら 16才らしい、ってのが見えてきておるのでございますが、もし、本当に 1905年生まれだったとすると、彼がプロとしてスタートを切った、とされる 1922年ってのは、まだ 17才だったことになります。
ま、たった一年だけ軍にいた、ってえ可能性も無いじゃないですが、どうもイマイチしっくり来ませんねえ。ムリだ、とは言いませんが。

それはともかく、その 1922年、彼は Jack Wileyの伴奏者となった、と言われています。
ただ、別な資料では、除隊後すぐ結婚し、酒の密売人などをしてもいたようなのですが、1920年代の「半ば以降に」プロのピアニストになった、としております。
ま、1922年からかあるいは 1920年代後半かはともかく、プロとなった彼は Indianapolis界隈のダンス・パーティやハウス・パーティで稼いでいたようですが、そんなパーティのひとつで Part-time Guitarist but full-time Bootlegger、つまりギターの Francis Scrapper Blackwellと出会っているらしいんですねえ。
そこからこの二人の名コンビは生まれるのですが、ただ、二人の音楽に「賭ける」姿勢みたいなものには微妙な温度差があったようで、ギターも弾くけど、むしろプロの Bootleggerじゃ!っちゅうスタンスの Scrapper Blackwellのほーは「商売(?)」の都合上、あまり地元を離れたがらず、したがってちょっと遠出をしたギグでは Leroy Carrも彼なしで、あるいはその地元のミュージシャンと共演することが多かったようです。

そんな二人でしたが、1928年の Vocalionのタレント・スカウト Guernsey(フル・ネームは不明)によってレコーディングがセット・アップされ、地元の放送局 WFBMのスタジオで録られた曲 How Long-How Long Blues がこれがかなりのヒットになったってワケです。
そちらのオリジナルは 1928年 6月19日の録音ですが、How Long - How Long Blues Part 2は同じ 1928年ながら、暮れも近づいた12月19日(今度は Chicagoで)と、ちょうど半年後の録音でございます。
録音施設がしっかりしてるせいか、まず音質がかなり良くなってる!と言いたいとこですが、これは 78rpm SPから起こしたものだとすると、その盤のコンディションで大きく左右されますから比較すること自体がナンセンスっちゅーことになりますねえ。
ただ、目立った違いとしてはこの Part 2では Scrapper Blackwellがはるかに「やる気」を出してるよに聞こえる、っちゅーとこでしょうか?

彼の最後は徹夜に近いパーテイでの過度の飲酒の後で倒れ、そのまま還らぬひととなった、なんて話も伝わっておりますが 1935年 2月に Vocalionに吹込んだ Six Cold Feet in the Groundという不吉なタイトルそのままに、彼は再度の吹き込みに現れることなく、1935年 4月29日に、すでに死亡していたのでした。
彼の墓は Indianapolisの Floral Park Cemetaryで「再発見」され、ファンによって維持管理されるようになった、といいます。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-13 22:19

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